最終章 青い果実 その四

 夕焼けを浴び、紅に染められた木々の隙間を縫うように、小銃を手にしたヒスイが森を進んでいく。

 紬を見失ってから早二日。

 森をくまなく探し続けているのに、紬やハルの足跡一つ見つけられずにいた。この森の中にいるという痕跡すら発見できず、さすがのヒスイも焦燥が募っている。

 ヒスイの左肩に乗った土竜は鼻をひくつかせながら、小さな瞳をしょぼしょぼとしかめた。


『なるほど……人狩り殿。ヒスイ殿。これは厄介だ』

「厄介とは?」

『そちらの鼻では分からぬようだが、輪廻草の匂いと青い果実だ』


 ヒスイは、渋柿を齧った時のように顔をしかめ、舌を打った。


「そういうことかね……」

『青い果実と共にある輪廻草は性質が狂う。辿り着きたい者は辿り着けず、辿り着きたくない者は辿り着く』


 青い果実と輪廻草。ヒスイが知る中でも最悪の組み合わせだ。そしてこの組み合わせが自然発生することはあり得ない。繁殖力の弱い輪廻草は、本来であればより生命力の強い青い果実に駆逐される。共存しているのならば人の手で品種改良された輪廻草に違いない。


「恐らく燻りの森でエリに育てられた輪廻草さね。紫電樹のシュウだけじゃなく、ここにも持ち込まれていたか」

『しかし面白いな、人狩り殿』


 土竜が皮肉っぽく笑んでいるように見えた。


「何がさね?」

『あの娘をえらく可愛がっていた人狩り殿は、あの娘の元に辿り着きたい』

「それはそうさね。狩らねばならん」


 精霊になれない精霊成りは狩らなければならない。

 今まで人狩りは、なり損ないの精霊成りを狩ることで自然の均衡を保ってきた。人の我を持ちながら精霊の奇跡を自由に扱えるそれは、我霊ですら足下にも及ばない脅威となる。

 精霊成りの真実を知るのは、人の中では人狩りのみ。全ての人に精霊成りの真実を伝えれば、必ず精霊成りの力を悪用しようとする人間が現れる。故に人狩りと獣と精霊は、精霊成りの真実を市井の人々に秘匿し続けてきた。

 これまで起きた天変地異と呼ばれる災いのいくつかには狩り損ねた精霊成りが関わっている。

 大樹に寄り添うことでかろうじて存続している人の文明を壊すなど、精霊成りがその気になればろうそくの火を吹き消すより容易い。

 なればこそ人狩りは、精霊になれない精霊成りを狩らなければならない。


『狩りたいとするならば、人狩り殿の匂いが妙だ』

「何が言いたいのさね?」

『狩りに行こうとしているのではない。助けに行こうとしている匂い。だから辿り着けぬ。狩ろうとしていれば辿り着ける』


 己の心と願望は自分が一番よく知っている。

 叶うことなら、紬が精霊になるまでもっと長い目で見てやりたい。仮に精霊になれなかったとしてもあんないい子が人に害を及ぼす存在になるとは思えなかった。

 おまけにハルは危険な存在だ。青い果実と輪廻草が共存しているなら彼の目的にもおおよその見当はつく。しかしこれはヒスイの心の話。人狩りが従うべきは、自分の感情ではなく理だ。


『人狩り殿。ヒスイ殿。あれを狩ろうとすれば、あんたは必ず辿り着ける。あれを助けようと考えている限り、あんたは辿り着けぬ。人狩り殿。何故人を狩る? あの子を狩りたいか?』

「それが理さね」

『理は人狩り殿の心を守る盾ではないよ』

「では、心のままに放っておけと?」

『それもまた人狩り殿の心が許すまいて。狩るにしろ、狩らぬにしろ。どちらに傾こうともはや戻れぬ。それが人の理じゃ。だからこそ進むがよい。あんたの心次第で全てが決まる』


 ――あの子と再会したら、俺が取るべき選択は……。


「ああ、もう決まっているさね」


 ヒスイは懐から一発の銃弾を取り出した。

 それは蜜を固めて作られたような琥珀色に輝く透き通った銃弾。


「人狩りとしてでき得る最善を尽くす……それだけさね」


 琥珀色の銃弾を強く握り締めて、覚悟と決意を両目に宿した。

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