第二章 輪廻草と大樹の蜜 その四

 樹齢数百年は下らない檜と杉が群生する森の中心にある一本の大木が雲を貫いている。厳密に言えばこれは木ではない。夥しい量の蔦が生命を持っているかのように蠢き、絡み合い、天を目指して伸びている。

 蔦の太さは様々で、糸のように繊細なモノもあれば、周囲の木々の幹より太いモノまで幅広い。これが億か、あるいは兆の単位が交わり、遠方から眺めると一つの木をなして見える。

 紬は絡み合う蔦の足元から頂上を眺めようと目を凝らすが、精霊と等しい視力でさえ、頂を見ることは叶わなかった。


「ヒスイ様、これは?」

「塔と呼ばれている。依頼者は上に住んでいてね。頂上へ行かねばならんのさね」


 ヒスイが一歩踏み出すと、蔦の中でも一際太い一本が二人の前に項垂れてくる。紬の手を引いて蔦の上に乗ると、また別の蔦が天を目指す流れから離れ、下りてきた。


「俺から離れないように」

「離れると?」

「試してみるかね?」

「意地の悪い言い方をなさります……」


 わざとらしく頬を膨らませたが、ヒスイは悪びれた様子もなく、紬の頭を軽く叩くように撫でてくる。


「木に逆らわなければ大丈夫さね。身を任せればいい」


 蔦のいずれかが下りてくるまで待ち、下りてきた蔦に乗ってまた次を待つ。それを繰り返していくが、次の蔦が下りてくるまで数秒の時もあれば、十分以上も待たせる時があった。

 紬はヒスイの言いつけを守り、焦れを押し殺して耐え、二人が頂上に辿り着いたのは日が沈みかけた頃である。

 頂上の広さは二十畳程であり、羽毛よりも柔い蔦が幾重にも絡み合って床板のように均されていた。

 中央には革張りの椅子が置かれ、そこに一人の女が座している。一見すると人のようであるが、肌の色は半紙のように白い。

 一糸纏っていないが、蜥蜴の尾に犬の冬毛のようにふわふわとした白い体毛がびっしりと生えそろい、それを服の代わりであるかのように身体に巻き付けている。

 顔は蒼く隈取されており、カラスに似た瞳が濡羽色に光っていた。その面立ちは少女のように瑞々しく、けれど老婆のような年季を感じさせる特有の色が香っており、紬の頬を熱が撫でていく。


「久しゅう、ヒスイ」

「久しいな、秋雨」


 秋雨と呼ばれた精霊は、青い口紅を引いた唇に小さな笑みを咲かせた。


「変わらず嫌味なぐらい美しい目をしているわね。翡翠色の輝きはいささかも衰えていない」


 月でも愛でるようにヒスイを眺めた後、秋雨は紬を眼に映して微笑みかけた。


「そちらは精霊成り? 今回の当番はお前さまかしら?」

「まぁ、そうさね」


 秋雨は、視線をヒスイに戻して眉をしかめた。


「そう……過酷だわね。密蜂が散っていったのが見えたけれど、あれはお前さまかしら?」

「威嚇で撃ったら散っちまったよ」

「では、あの浅ましを見たのかしら?」

「一通りは。元締めのシュウという男が紫電樹にいるそうな」

「間違いないのかしら?」

「他に心当たりでもあるのか?」

「いくつか居場所の候補はあったわ。紫電樹の町もその一つ。そう、あそこにいたのね……」


 紬に理解する間も与えず、ヒスイと秋雨の会話はするすると進んでいく。人狩りと依頼者の話に、単なる同行者の立場である紬が口を挟むべきではないかもしれない。

 しかし精霊成りとなったからこそ、あの場で精霊たちに何が起きていたのか、きちんと理解したい気持ちがあった。


「あの――」


 遠慮がちに声を割り込ませると、秋雨は穏やかに破顔した。


「お嬢さん、何かしら?」

「あそこは、一体なんなのですか?」


 秋雨は口を噤んでしまった。気分を害したというより、言葉を選んでいる風である。


「そうね……精霊を捕え、人に奉仕させるのよ。どういう奉仕かは……まぁあなたの年頃ならそれとなく分かると思うけれど」


 もしも、ヒスイが助けにきてくれなかったら?

 想像するのも悍ましい行為をさせられていたはずだ。

 命を奪われる場面であっても精霊に人は狩れない。理に付け込んだ悪辣な行いだ。


「どうして人は、そんな酷いことができるんでしょうか?」

「さぁ……どうしてかしらね」


 きっと秋雨は答えを知っている。けれど紬が理解できる言葉にするのは難しいのだろう。はぐらかすように尾の先端を指で弄びながら秋雨は続けた。


「連中は、密蜂を使って精霊を閉じ込めるのよ。あれは精霊には真の夜闇だけれど、人の目にはほとんど映らないわ。だから精霊は身動きが取れないけど、人は難儀せず動けるのよ」

「密蜂とは?」

「夜の闇に、大樹が持つ樹液……つまりは大樹の蜜を噴霧するとできる代物よ」


 秋雨の説明を咀嚼できず、眉間に皺を寄せていると、代わってヒスイが語り始めた。


「夜間、熱して霧状にした大樹の蜜を同じ場所に吹き付けるのさね。これを十日間続けると大樹の蜜に夜の闇が浸透して生き物が生まれる。作ることは禁じられているんだがね」

「輪廻草も人が作ったものですか? 土竜さんが怖いものだって……」

「あれは大樹が生じた以後生まれた植物で、思考や精神を惑わせるもんさね。あれの種子や花粉に触れた生物は、体内や毛や衣服に輪廻草のそれらがある限り、何日も同じ行動を強制的に取らされる」


 何故同じ行動を取ってしまうのか。

 そんな疑問を口にしようとした瞬間、その考えを読んでいたかのようにヒスイが言った。


「あれの繁殖力は弱くてな。生育に適した場所に、幾度も種をまかねばならん。種を運ぶ生物に同じ場所へ幾度も種をまかせるため進化したのさね。他にも幻覚剤として嗜んだり、あるいは特定の場所に寄せつけないようにしたり、利用法は多岐にわたる代物さね」


 紬がここまで聞いた話を頭の中で整理していると、ヒスイは秋雨を見やり眼光を研ぎ澄ませた。


「秋雨。俺は紫電樹に行く。仕事が終わったら連絡するさね」

「ええ。期待しないで待ってるわ」

「随分つれないもんさね」

「いつも連絡をよこさないお前さまの自業自得よ」

「謝礼は貰いたいんでね。ちゃんと報告するさね」

「ヒスイ。シュウには気を付けなさい……あれは尋常の人ではないわ」


 表情には出していないものの、秋雨が恐れを抱いているのが見て取れた。凛とした彼女に恐怖を植え付けるシュウという男。確かに尋常ではないと悟った。

 一方のヒスイは、曖昧に微笑むばかりだった。


「まぁなるようになるさね。紬、塔を降りるぞ」


 ヒスイと共に紬は塔を降り、その足で紫電樹へと向かった。

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