たとえあなたが吸血鬼でも――

第1話

 1:


 深い森の中。わずかに館の屋根が見える。生い茂る木々のほんのわずかな隙間に、暗ぼったい色をした屋根が。


 苔むした石造りの館――どう見ても廃れていた――やや大きめに作られた噴水も、雨水と泥と藻が入っているだけ――庭園は雑草が生い茂り、高々と伸びる木々のせいで地面に光が入ってこない。庭園と外界の境界線すら曖昧になりかかっていおり、背の高い格子状の鉄の門が無ければ、ここが外界と分けられた土地であることすら分からなかっただろう。


 当然、人の通れる道どころか、獣が通ったような場所すらなかった。


 そんなエリザベート・バートリー邸の上空を、一機のヘリコプターがやってくる。ワイヤーでコンテナを吊り下げて。


 エリザベート邸の庭園に狙いを定め、下げていたコンテナが降りてくる。コンテナは中空でパラシュートの傘が開くと、ゆっくりと庭園のほぼ真ん中に重々しい音を立てて落ち着いた。


 周囲が静まる。風で擦れる青葉の音だけ。虫の音すらない


 カシュンカシュン――


 突然、コンテナから薄い金属板の擦れる音が鳴った。


 続けて勢いのついた霧が噴き出される。コンテナについていた噴霧器から、ガス噴射のように、白い水蒸気が辺りを霧に包みこんだ。


 庭園に動きがある。


 ガサリガサガサリ――そして呻き声。


 雑草が生い茂りすぎて見えない地面の底から、寒気とおぞましさがこみ上げてきそうな、恐々とした響き。連鎖のように。重なり合うように。あるいは厚塗りされるように。


 声の正体は動く吸血鬼――腐った屍奴隷(グール)たち。


 コンテナの噴霧器から放たれた聖水の霧が、庭園内に捨てられていた大量の屍奴隷達を苦しめ始めていた。


 血液の供給も栄養の摂取も無く、腐り朽ち果て、吸血鬼としての生命力でかろうじて動く屍奴隷達が、次々に。


 数は計り知れない。


 だが弱りすぎた屍奴隷達から聖水の霧によって討ち倒れていく。一度立ち上がった屍奴隷も、聖水の霧の力に負けて、また土と同化するように消えていった。


 残ったのは、まだ廃棄されて間もない……かろうじて人の形を保った屍奴隷たち。


 ――コンテナの屋根が展開され開かれていく。


 コンテナから飛び出したのは小さな二つの影。フランが操る二体の人形、チェルシーとレイチェルだった。


 チェルシーは刃を、レイチェルは杭のような槍を――まとっているフリルドレスの隙間から出し、周囲にいる屍奴隷達を一蹴し始めた。


 たまたまコンテナの近くにいた屍奴隷――その頭が爆発する。


 コンテナの中に潜んでいたフランが、手に持っていたショットガンで屍奴隷の頭を吹き飛ばしたのだった。


 オリジナルフランケンシュタインが作った子供――フラン・Q・シュタインには、ショットガンを持つ両腕のほかに、もう六本の腕が備わっていた。


 本体の腕に、背中から伸びている金属質な三対のアーム。


 計八本の腕にはそれぞれ、ショットガン(本体から両腕で持っている)、アサルトライフル、サブマシンガン、接近用の大型ナイフが二本、それぞれ備わっている。そして、銃の弾を入れ替える腕が二つ。


 黒い戦闘服姿に身を包み、体中を弾薬庫にしたフランが、目に留まる限りの屍奴隷達へ銃弾をばら撒いた。


 聖水でできた霧の中で、けたたましい銃声がマズルフラッシュと共に響き渡る。


 視界は悪い。だがチェルシーレイチェル、フランは、屍奴隷達を着実に一体一体屠っていった。


 その中を銀の外套を着た女と、赤いコートを羽織った少女が一直線に疾走する。


 ヴァンパイアハンターの珠枝と、人狼の摩子だった。


 二人が木々の合間を、または屍奴隷たちを縫うように走る。そして珠枝が銀のコートの中から手榴弾を取り出しピンを抜き、館の玄関口へスローイングで投げた。


 雑草の生えた石版に数度硬い音を鳴らし、手榴弾が爆発する。


 辺りにいた屍奴隷もろとも玄関口を吹き飛ばし、赤いコート姿の摩子が素早い身のこなしで先行した。その後を珠枝が続く。


 エリザベート邸に入る直前に、珠枝は銀のコートの中からライフル――ウィンチェスターライフルを両手に持って突入した。


 玄関口は広く、二階まで吹き抜け構造で階段がある。階段までの間に屍奴隷が三体――手近にいた一体目をウィンチェスターライフルで頭部を打ち抜く。続けて二体目、撃つ。


 遠目にいた三体目を冷静に構えて撃つ。命中。別の部屋からさらに屍奴隷たちがやってきた。


 どれくらい放置していたのか分からないが、腐り骨肉を露出させた屍奴隷たちは、朦朧とした足取りで向かってくる。まるで生ける屍(ゾンビ)の様でもあったが……それとは違い、腐り風化した状態であってもヴァンパイアからの命令に従順している。


「あらいらっしゃい。女のドラクラハンターさん」


 階段を上がり、見上げると、初めて見る女ヴァンパイアがいた。


 足を止め、見下すように眺めてくる女ヴァンパイアへ睨み返し――ながら、背後から寄ってきた屍奴隷の一体を、ライフルで無造作に打ち抜く。


 現れた女ヴァンパイアは、まるで訪問してきた相手を出迎えるような足取りで階段の手すりに手を掛けながら降りてくる。


 有無を言わさず、ライフルを構えて女ヴァンパイアへ撃ち放つ。


 女ヴァンパイアが、階段の上でくるりと回って弾丸から避けた。階段の段差に弾痕と硝煙――さらに連続で撃つ。


 緩やかに舞うように、女ヴァンパイアがくるくると回って弾丸を避けていく。


(――違う)


 避けているんじゃない。当てられない暗示を掛けられている。


 こちらの出方が悪かった。目が合った瞬間に、既に当てる事が出来ない暗示を掛けられていたのだ。


 急に視界がぐらつく。


 とっさに、ライフルで自分の頭、側頭部を叩いた。


 目の中で光が弾け、痛みが走る。


 どんな暗示だったのかは定かではないが、痛みで自分を呼び戻せた。


「乱暴ね」

「――ッ!」


 声はすぐ耳元だった。まずい。


 ほとんど直感的に、後ろへ飛ぶ。階段の上であったため、足を踏み外して転がった。


 すぐさま相手を――女ヴァンパイアを見上げる。目線は合わせないまま。


 思った通り、女ヴァンパイアの腕が水平にまっすぐ伸びていた。階段から転がるのを承知で後退していなかったのなら、女ヴァンパイアの手刀か爪辺りで、こちらの首をえぐられていただろう。幸い打ち身だけで首に傷はない。


「勘が良いわね……ハンターさん。そういうのは面倒くさくて嫌いよ」


 女ヴァンパイアの目が見開かれ、荒々しい形相があらわになる。


「摩子!」


 名前を呼ぶとすぐさま摩子が現れ、そのまま女ヴァンパイアへ蹴りをくりだした。しかし女ヴァンパイアに腕で叩き落とされる摩子。


「バック!」


 摩子は珠枝の声で即座に立ち上がり、女ヴァンパイアとの距離を開けつつ、こちらにやってきた。


「摩子。あれの相手をお願い」


 あれ、と顎でしゃくって女ヴァンパイアを指す。


「わかった」


 摩子が女ヴァンパイアへ向き直る。


「この私に、子供の相手をしろと……いいわよ。私はエリザベートがまだ本当に小さい頃から看ていた乳母だから、子供は嫌いじゃないわ」


 女ヴァンパイアは肩に掛けていたショールを、両手でひとまとめにし、まるで鞭でも構えるように伸ばした。


「子供は嫌いじゃないけど、悪い子供にはちゃんとお仕置きするわ。しっかりとしたお仕置きをね!」


 女ヴァンパイアが手に持っていたショールを放り投げた。そして手品か何かのように、本物の鞭が手の中に現れる。


「獣くさい臭いね……あなた人狼? こんなに小さいのに大変ねえ。さあ、かかってきなさい、小さな雌犬!」


 女ヴァンパイアが摩子へ鞭を振るい、摩子の手を絡め取った。そのまま女ヴァンパイアが引こうとして、摩子が微動だにしない様子に……初めて疑問を持った。


「摩子」


 呼びかける。


「命令よ。確実に仕留めなさい、全力でやっていいから。そしてちゃんと戻ってくること」


「うん」


 摩子が珠枝に返し――摩子が犬歯を剥き出しにして唸り始めた。


 女ヴァンパイアがはっとなって驚く。幼い人狼の子、摩子の両目に金の輪が現れたからだ。


「金冠の人狼……」


 犬歯を剥き出しにした摩子から、びりびりと地肌に感じる空気が。


 メリ、メリメリメリ


 赤いコートの中、摩子の裸身、音を立てて変化していく。 


 グキリ、ゴキゴキゴキ


 全身から青黒い毛並みが現れ、顔の鼻先が伸びた。


 ザワザワ、ザワザワザワ


 数秒の変化の後、摩子が一匹の狼の姿へと変貌し、

 さらに大きく膨張し始めた。


 四本の脚の狼の姿から、二本立ちとなり、体が膨れ上がり巨大な半人半狼の姿へ。


 小さな子供の姿から狼の姿へ、そして上半身が異様に巨大な人間と狼の間のような姿となった。


 赤いコートは、巨大な人狼の頭にフードのようにかぶさっている。


 オオオオオオオオオオオオッ!


 遠吠えを放ち、金の輪が眼に映る人狼――摩子が、女ヴァンパイアを掴み頭上へ放り投げる。珠枝の頭上で弧を描く女ヴァンパイアは、階段から玄関へ投げ飛ばされ、摩子がそれを追って飛び掛って行った。


 見届けてから、背を向けて空いた階段を上りきり、廊下を進んでいく。



 目の前に屍奴隷が数体――目に入っている分で四体。別室にも潜んでいるだろう。ライフルの弾を入れ替え、一射づつ冷静に頭部を狙っていく。


 撃つ、狙う、撃つ、弾を入れ替える。進む。的確に、迷いなく。


 朽ちかけている屍奴隷たちを屠りながら進んでいくと、通り過ぎたドア――背後から気配が。


 素早く振り返って、ライフルで狙いを定める。


「たま、え……」


 現れたのは、女性の屍奴隷。



 その姿を見て、頭の中が真っ白になった。

 その屍奴隷はもう顔の半分も肩も口も、骨が見えるほど腐りきり、かろうじて動いているような姿の――


「たまえ、おね、がい」


 よたよたと、今にも転びそうな崩れてしまいそうな、おぼつかない足取りでゆっくりとこちらに向かってくる。


「わた、しを、ころ……して……」


「お母さん」


「たま、え……わた、しを……」


 変わり果てた母の姿に、珠枝は――

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