第4話
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姉の答えはYESだった。
無論、そう答えてもらえなければ、あそこで自分は消えていただろう。
自分の命をかけた綱渡りを、また一つ通った。
姉がその取引に応じないほど、感情的な人間でない事は昔から知っている。冷静さを大事にして、感情的になることを戒め、慎重でいる事にこだわる姉。
自分の復讐心とヴァンパイアハンターとしての使命を天秤にかければ、十中八九後者を選ぶと踏んでいた。
冷静になる時間を与えれば、姉は必ず合理的な選択肢を求めはじめる。
本当は、押さえ込まないとガタガタになってしまうほど、感情に左右されやすい姉なのだが……。
――ああいうのがヒステリーを起こす女だって思われるのにね。
エリザベート邸に戻ってきた。あれから一日半ほど間を空けて、わざと時間を遅らせて戻ってきた。もちろん、姉に準備をさせるためだ。
エリザベートを倒す準備をさせるため。
主のいない椅子の前で伏していると、椅子の隣にいた吸血鬼イローナが口を開いた。
「で、あなたは今まで何をしていたのかしら?」
「はい、追っ手の追撃を撒くために。ですが、追っ手を撒く事ができず、まもなくこちらにドラクラハンターがやってきます。私の失態でございます」
「あなたの戻ってくる場所が、ここだったのかしら?」
この女、性格が悪い。
「しかも、追っ手を撒く事ができずにハンターを呼び込んだと? いったい何をやっているのかしら。決めるのはエリザベートなのだから。せいぜいあの子の遊び道具になったらいいのよ」
イローナが、伏している自分の目の前まで来ると、足の裏でこちらの頭を踏みつけてきた。頭の真上から乗せてきた足に力が入って、首を痛めるほど頭部を下げられる。
「で、ヴィヴァリーはどうしたの? あの子は?」
「ぐ……ハンターに、倒され、ました」
「は?」
がつん。蹴るように、イローナが踏みつけてくる。
「ごめんなさい、もう一度言ってくれるかしら?」
「ハンターに……」
「はあ? 小さくて聞こえないわよ?」
「ハンターに、倒されましたっ」
ガッ!
真横から飛んできたイローナの脚に、体ごと吹き飛ぶ。
目の中に弾けるような感覚がして視界がちらつく。起き上がろうとして、近づいてきたイローナに首を踏まれる。
「私の足に触るんじゃないよ!」
首の骨が折れそうになるほど、力をこめて踏みつけてくるイローナ。
「もう……しわけ、ありま、せん」
「誰が許しを請えと言ったのかしら?」
耐えろ、堪えろ。ヴィヴァリーの力をさらに得た自分は、実力でならイローナに勝てる。だが、エリザベートには敵わない。今は、耐えろ。
玉座側の壁、その隅にあった扉の開く音が聞こえた。
「ああ、エリザベート!」
イローナが首から足を離し、現れたエリザベートの下へ行く。
現れたエリザベートの姿を見上げ――ぞっとした。
エリザベートは『血濡れの伯爵夫人』という異名の通り、血に濡れていた。
目を凝らせば、腕手指、つま先にと、赤い血と一緒に細かい肉片らしき細かい物まで。
「…………」
首を絞められるよりも、息が止まりそうになった。
エリザベートは何をしていたのか? 考えただけで鳥肌が立つ。
全身を真っ赤に染めたエリザベートに寄り添ったイローナが、彼女の頬へキスをした。
「エリザベート、ヴィヴァリーが、死んだそうよ。この小娘のせいで」
イローナがエリザベートの足元に跪くと、手をとって、べっとりと血のついた手の甲を自身の舌で舐め取り、さらに頬を当てた。
「ああ、愛しいエリザベート、どうか悲しまないで、毎夜の添い寝は私がするから……私があなたの愛を受けるから、どうか悲しみに染まらないで……」
なるほど、そういう事か。と気付く。それでヴィヴァリーがエリザベートに忠誠を……いや、愛着をしていた理由はこういうことだったのか。
エリザベートが、震えていた。
「あの子が……あの子が、死んだの?」
両手を顔で覆って、衝撃に打ち震えた。
イローナが震えるエリザベートを抱きしめ、慰める。
「なんて可愛そうなエリザ! あなたと私だけになってしまった。あなたと! 私だけになってしまった! 誰かこの子を愛してあげて、愛してあげて!」
「……こいつか、この小娘が」
「ええそうよ、ヴィヴァリーを死なせて、おめおめと戻ってきたのよ」
エリザベートが悲しみと怒りの矛先をこちらへ向け始めた。エリザベートから見えない位置で、イローナがしてやったりの笑みでこちらを見下ろしてもいる。
そうか、こうしてエリザベートの癇癪から自分だけ逃れようとするのか。
エリザベートからの、多少の拷問は覚悟している。それも狙いの範疇なのだから。ここでヴィヴァリーを失った失態による罰を受けていれば、少なくとも死ぬことはない。サディストならば、一瞬で殺すことはしないだろう。じわじわと、なぶり殺しにしてくるはずだ。
そしてその間に、姉がここまでやってくる。この二人を始末してくれる、ヴァンパイアハンターの姉が。
目の前までやってきたエリザベートが、返り血の衣装もそのままで、こちらの髪を引っつかんで投げ飛ばした。
「中に入れ」
投げ出された先に、今さっきエリザベートが出てきた扉があった。
半開きになったドアの先は真っ暗……いや、下に続く階段がある。
「その先に、巫女のダルヴァリーがいる。今すぐ呼んで来い」
この地下へと続く階段は――
「さっさと入りな!」
背後に来たイローナに蹴られ、扉の中に入った。
入る前から分かっていた、鉄と血の臭い。
蹴られた腰をさすりながら、くの字に曲がった石段を降りて中へ入っていく。
深さにして、先ほどいた部屋の真下……のさらに深い……地下のようだ。
鉄の扉を見つける。鍵は開いているようだ、簡単に開いた。
中は――拷問器具ばかりだった。
どれをどう使って拷問をし、血を絞り出すのかは分からない。よほど専門的なものなのらしい。寝そべられるくらいの台の上は、棘だらけ。視界を巡らせれば鉄でできた人間――中を開くと、内側に向かって伸びている無数の針が見えた。これがアイアンメイデンというやつか。他には、金属のビスが打ち込まれた鞭やら、どう使うのか分からない火気類も……。
だが、巫女のダルヴァリーの姿は見つけられない。
ぽたり……ぽたり……
わずかに聞こえる水音。
室内で自分が立っているすぐそばからだった。血が滴っている。
見上げてみると――
「ひっ!」
吊り上げられている鉄でできた球体状の鳥かごに、若い女性が全裸で入っていた。
死んでいるのか? そう思えたが、だらり力無く垂れている腕――が、わずかに動くのが見えた。この女はまだ生きている。そもそも、死んだのならば吸血鬼は塵となるのだから、体の形が保たれている以上生きているものだった。それすら忘れるほど、凄惨な姿になっていた。
巫女のダルヴァリーとやらは吊り上げられた球体状の鉄かごの中でぐったりとしている。近くにあった脚立を運び、鉄かごのところへ。
「…………」
息を呑む。これは鉄の鳥かごのような――拷問器具だった。
この鉄かごは内側に向けて、針よりも太い鉄の棘がいくつもあった、中に入れば、かごを揺らすだけで全身が切り刻まれるだろう。
かごの入り口を開けて、若い女性の吸血鬼を身を乗り出して眺める。
自分と同じぐらいの年の、女学生のような女の子だった。
拷問器具の鉄かごからダルヴァリーを引っ張り出し、とりあえず体を床に寝かせた。
運び出すときに気がついたのか、ダルヴァリーが目を薄く開いて声を出した。
「あ……あなた」
「?」
「あなた、巳代珠枝さんの妹さんね」
「お姉ちゃんを、知ってるの?」
「ええ、きれいな人よね、学校で友達になったの」
「何でこんなところに?」
「逃げるつもりだったけど、失敗して。それでここに」
どれほどの拷問を受けていたのかは分からない。吸血鬼の能力からか、徐々に彼女の体は癒えていく。掠れた声と衰弱具合からでしか推し量れない事が、かえって不気味だった。
「希美さん、だったっけ?」
「ええ、そうよ」
「お姉さんに似てるわ」
「私はあんなヒステリックになったりしないわ」
ダルヴァリーがふふっと含み笑いをした。
「ごめんなさい、巳代さんに同じ質問をしたら、きっと同じことが返ってくるんだろうなって思ったら」
こんな状況でも、彼女は少しだけ笑った。
「なんで、こんな時に笑えるの?」
彼女は今、逃げ出そうとして失敗し、こんな拷問部屋に監禁されて処罰を受けていた。なのに、
「それは……なんだか、うまくいえないけど。やっぱり、笑って生きていたほうが……いいでしょ?」
「そんな」
そんな簡単なことで、
ダルヴァリーが上半身だけ体を起こして、こちらの手を握ってきた。
こちらの顔を覗き込んで。
「やっぱり、瞳の形が同じね。あなたのお姉さんと」
「それは、姉妹だから、ね」
急に迫ってきた顔と視線に、ダルヴァリーから合った目をそらしてしまう。
「知ってますか? 顔の形や容姿を変えられる吸血鬼がいるけれども、瞳だけは変えられないんですよ」
「そうなんだ」
その容姿を変えたり相手に強い催眠を与えることができる能力が、自分の吸血鬼の能力なのだが。それは黙っておくことにした。
「私は容姿を変えたりする能力が最初だったから」
「あなたも?」
言ってしまってからあっと口を塞いだが、遅かった。
「あなたも私と同じなのね」
「あ、と……」
口を滑らせて、さらに視線を宙に漂わせたのを見られ、ダルヴァリーがまたふふと笑みをこぼす。
「自分では意外と気づけない欠点なのよ、これは」
「う……」
「かわいいわね」
ついでに、頭を撫でられてしまった。
「人を傷つけるのは、嫌?」
唐突に話が切り替わって、
「…………」
答えられない、なぜならもう――
「私もよ。もう……だから、逃げ出したかった」
はっとなってダルヴァリーを見返す。
「失敗したけど、まだ生きているから諦めないわ。私は」
ダルヴァリーの瞳の奥は年相応以上の、それこそ何百年も越えた、深い色を湛えいていた。
「私たち、友達になれるかしら? 複雑に一人で考えちゃうよりも、誰かと一緒で、考えてやっていけたらって、良いわよね?」
仲間、友達。共に。
このダルヴァリーになら、自分の苦しみも求め望んでいることも、話しても良いのかもしれない。打ち明けても……。
「あの――」
そこで拍手が鳴った。部屋の入り口から。
見れば、そこにエリザベートとイローナの姿が。
嫌味たらしく、イローナがニヤつきの笑みを浮かべて言ってきた。
「良い子芝居をありがとう。一応褒めてあげるわ。美しい美しい……友情っていうのかしら?」
エリザベートが前へ出てきた。ヴィヴァリーを失った、怒りの瞳をして。
「お前たち、まだ自分の立場が分かっていないようね」
ぞくり。肩に背中に冷たい電気が走った。
「
お前たち二人に命令する――」
吸血鬼は自分よりも上位の吸血鬼には、絶対に逆らえない。
もうすでに、耳をふさげない。身震いする視線から離れることができない。動けない。
「ダルヴァリー、そして巳代希美。お前たちは死ぬまで永遠に、私に揺ぎ無い忠誠を誓いなさい」
与えられた吸血鬼の血が、本能へ鎖のように呪いのように絡み付いてくる。
「決して逃げず、否定せず、ただ私の赴くままに。ただただひたすらに私の命令を聞き続け、その身が滅ぶまで永遠に、私の手足となりなさい」
その答えに拒否の言葉は出せない。
脳から、胸から、神経から心の底から、湧き上がるような抗えない衝動とでも言うのか、今ではもう、その言葉に拒否をすること自体が恐怖として現れていた。
唯一出せる言葉は、これしかなかった。
「はい」「はい」
命令を受ければ、吸血鬼は自分より上の吸血鬼には決して逆らうことができない。
「迎え撃て。ここに来るであろう、ヴィヴァリーを倒したヴァンパイアハンターたちと、戦え。血祭りに挙げよ。よいな」
「はい」「わかりました」
絶対に、逆らうことはできない――
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