これは私が決めた事
第1話
1:
「実は私、前々から気になっていて、その。巳代さんに、告白がしたいんです」
「え?」
ガタガタガタッ
驚いた椅子は三つ。金澤桃絵と田中理李、そして三木静香。
静香は驚いて両手を口に当てていて、理李は目を丸くして、どこに焦点を定めていいかわからずおろおろとしていた。
突然の、横島奈緒代の一声は私に向いている。
いきなりの事で何が何なのか分からず呆けていると、奈緒代がこちらを見ては赤く火照っている頬に手を当てていた。
「マジか!」
「桃ちゃん鼻息荒い!」
妙な眼鏡の輝きをさせて意気込んでいる桃絵に理李がツッコむのだが、場の静寂のほうが強かった。
「今ここで言うのは気が引けてしまいます、場所を変えさせてください」
奈緒代が言うなり、こちらの手を引いて教室を出て行く。
「え? ちょ、ちょっと!」
場所は、ランチボックスを広げて昼食をとった場所だった。校庭の中庭にある木の下は、きれいな芝生の絨毯になっている。
「ここなら、見られていても話の内容までは聞かれませんね」
奈緒代につられて辺りを見回すと、もうすでに物陰に潜んで(見つけられている以上潜められてないのだが)桃絵理李、静香が頭だけを出して校舎の壁からこちらを見ていた。
「改めて、初めまして」
奈緒代がそう改まった口火を切り出してきた。
「エリザベート・バートリーの配下の一人、巫女のダルヴァリーです」
驚いた。
「表情はあまり変えないでいたほうが良いかと。後々になって根掘り葉掘り聞かれてしまうのではありませんか? 巳代さん」
すぐ後ろから、隠れているつもりでいる三人の視線がはっきりと感じ取れていた。
横島奈緒代――吸血鬼ダルヴァリー。敵であるはずの吸血鬼が、目の前で正体をさらして向かい合っている。
「何が目的なのかしら?」
告白というのは嘘なのだとわかった。こうして一対一で話をするためにこうしたのだと。
宣戦布告か? それとも一時的な条件付きの休戦か? それとも先日の希美のように駆け引きを敷きにくるのか……。
「単刀直入に申しますと、私はこの後、逃げようと思います」
身構えたつもりだったが、息を呑む。どういうことだろうか?
「逃げるのならば、なぜそんなことを?」
「順を追って話しましょう」
奈緒代改め吸血鬼ダルヴァリーが仕切り直した。
「私は元々、エリザベート様の元で巫女をしておりました。この姿のとおり、今のアナタと同じくらいの年までその城に住んでいて、エリザベート様の命令で女性の血を集めていました。廃棄する事も……ああ、あなたたちにとっては何百年も昔のことなので、案外どうでもいいのかもしれませんね。知りたいのは今の事と、この状況についてでしょうか?」
「そうね」
「こんな事を告白するのは初めてで、緊張しました」
クラスメートの三人は奈緒代の背後で隠れているためか、奈緒代の姿は後姿しか見えず、逆に私の顔は彼女たちに見えるような位置になっていた。
「それなら、私の疑問から入っても?」
こちらの提案に、奈緒代が促してくる。
「ええ、どうぞ」
「なぜ、自分の正体を明かしたのかしら? 私は知った以上あなたを倒さなければならないのよ?」
それに対して奈緒代は、吸血鬼らしい皮肉じみた笑み――ではなく、よく見せてくる温かい笑みを浮かべた。
「静香さん、桃絵さん、理李さん」
彼女は後ろにいる三人のクラスメートの名前を挙げた。
「みんな……みんな良い子なんです。当然他のクラスの人も、別の教室の人たちも。私はこの中で、誰一人として血を吸ったり屍奴隷にしたりもしていません。誓います。私はみんなが好きなのだと」
「その事がなぜ、私に正体を明かす事と?」
「その前に、貴方はエリザベートと戦うのですね、近々……もう準備に入っている」
「……ええ、そうよ」
「わたし、その騒ぎに乗じて逃げようと思います」
「本気なのね?」
「ええ、あなたたちがエリザベート邸を襲撃する、その準備と実行を機に、私は今からエリザベートから逃げるんです。もし、今エリザベートの元へ戻ったら、確実に迎撃するように命令を下され、私はそれに逆らえないでしょう。あなたと戦う事になり、永遠にエリザベートの下僕として生きる事になる。そうなる前に、ここから逃げます……こういうことは、実行する前からばらすわけにも行かないんでしょうね。本当は」
それならそれで、よりいっそう。
「その通りね、何で私にこれから逃げるということを?」
「さっきも申したとおりです。あの子達、とっても可愛くて、好きなんです。みんな、みんなが……離れなければなりません。お別れをしなければ」
そう話す彼女の表情は、心に決めた決意と、これからの不安と、今のこの場の温かさ居心地のよさに後ろ髪を惹かれたような、複雑な表情をしていた。まだ彼女の中では迷っているのかもしれない。
「あの、あなたに言うことでは、本来そんな事をいえた義理もないのかもしれませんが……あの子達と、仲良くしてあげてください。私がいなくなっても、いつも通りでいさせてあげてください」
そういって、横島奈緒代――吸血鬼ダルヴァリーは頭を下げた。
「お願いします」
数秒。硬くなっていた周囲の空気に、柔らかい風が入ってきた。
頭を下げた奈緒代の奥では、目を見張ってこちらを見ている三人の顔があった。
彼女はずっと頭を下げたまま、まるでこちらに首を差し出しているかのようだった。
――そこまでして。
「頭を上げて、とりあえず」
「はい」
言われてから、ゆっくりと奈緒代は頭を上げた。
「みんな、みんな私の大切な友達です。良い友達たちで、あなたが現れても、楽しいままで、できれば私がいなくなった後でも、そんな温かい仲でいて欲しい。もちろん、あなたも含めて」
「そうは言われても、本当のところはまだ会って数日の面識しかないんだけど」
「大丈夫です、居心地の良さや良い人たちだって、もう少ししたら分かります」
さらに「私が保証します」とはっきり言う奈緒代。
奈緒代と、その背後にいる三人(とっくに隠れているのがばれていると分かっているので、三人とも姿を現していた)たぶんこちらの話し声は聞こえていないのだろう、奈緒代が頭を下げたあたりから、はらはらとした面持ちでこちらを眺めている。
(この奈緒代さんの事を心配しているのね)
どう見ても、勇気を出して告白した女子を後ろで応援しながら、どうなるのかと心を張り詰めさせている様子だった。
(この奈緒代さんも、みんなのことを……)
「吸血鬼が、人間を好きになっちゃいけないかしら?」
そんな道理は――無かった。
無言で返すと、奈緒代が話を切り替える。
「私の小さい頃は城でずっと暮らしていて、暮らしていただけで、こんな学校なんてなかった、同じ年の子達と学術を学んだり、青い芝の上でご飯を食べたり、いろんなことを話して笑ったりすることなんてなかった。この日本に来て、年相応に学校に入って……この学校生活が眩しく楽しかった……今まで知らなかった楽園のようでした。三百年以上も生きているのに。ここにきて、私は人間の暮らしの中に入ることができて、人が好きになってしまいました」
「…………」
こちらが黙っていると、奈緒代も黙ったままになった。
数十秒か一分か、そんな時間が流れて、
「だけど、知ってしまった以上、私たちから逃れられるのかしら?」
「少なくとも、今なら一度だけ逃げられる。今のあなたたちは、これから吸血鬼の大物を討伐しなければならない。ドラクラハンターとして、逃げる私を、時間かけて追い込む時間はないはず……二兎を追うもの一兎も得ず、ですね。今ここで悩み直したところで、出る答えは、逃げる小物はいったん無視して大物が逃げる前に仕掛ける。という事しか選べないはずでしょう?」
確かにその通りだった。
「ずるい事なのは承知の上です。ですがいつかはこうなるって、自分から離れなければならなくなるだろうって。分かってました」
彼女は自分の失態を自嘲するように笑った。
「そういうことです」
彼女の長い告白は、終わった。
「どうしますか?」
「それでもあなたを追うと言ったら?」
「命がけでどこまででも逃げます、やっぱり。どんなに時間をかけてでも。まだ自分を諦められません。がんばって、最後まで……生きていきます」
彼女の表情は、話の内容とは裏腹に輝いていた。自分のこれからに希望を託し、決して諦めないという決意と共に笑顔であった。
「……そう」
横島奈緒代、吸血鬼、エリザベートの配下、巫女のダルヴァリー。
彼女についてどうするか。決める前にまだ一つ聞く事がある。
「あなたは、もし私が見逃したとして、そうしたらあなたは人間に牙を向けるのかしら?」
彼女は、それも質問のうちと考えていたらしく、すぐに返答してきた。
「だから取引です。一度だけ私を見逃してください。エリザベート邸襲撃の邪魔もしませんし、逃げた後の私は、人に危害を加えることはしません。元々吸血鬼が血を得ることは力を欲したり手下を作るなどの『能力のうち』でしかないので、なので普通の食事でも生き続けることはできるのです――私は今後、人に危害を与えません」
「…………」
彼女の願い、人間社会の中で生きて行きたい。人間が好きで、たとえ自分の吸血鬼としての否応無い能力を抑えてでも、人の中で生きて行きたい。
その願いを、
「こっちはエリザベート討伐の準備で忙しいの。その件は終わった後で対処するわ。その後で討伐の命令が下りたのなら、そうするしかなくなるから」
「……ありがとう、ございます」
横島奈緒代――吸血鬼ダルヴァリーは、こちらに頭を下げてそう言った。
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