第6話

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 おそらく、エリザベート・バートリーがヴァンパイアハンターに狙われながらもここまで長く過ごしていたのは、このヴィヴァリーという女執事のおかげなのだろう。


 そう思う要素が十分にあった。


 彼女はエリザベートに対して三百年以上も忠臣として尽くしている。


 経験も思慮も深く、そして慎重だ。


「お前の姉は、一人で来ることはないだろう。伏兵を置いてくるだろうな」


 彼女、エリザベートの女執事は断言した。


「それは私が相手をしよう。希美、お前はドラクラハンターの姉に集中しろ」


 主人の楽しみのために戦う。つくづく馬鹿げてる。だけどそれを通さねばならないから、主従関係なのかもしれない。


「分かっています」


「くれぐれも倒すな。まだここで倒してしまっては、エリザベート様のお暇を紛らわすのに足りん。止めを刺すのは控えろ。何より私が与えた血の分は、エリザベート様を楽しませてもらわねばならぬ」


 ヴァンパイアハンター組織〈シルバニアン〉は、異形を使う。


 先日のように、そして昼間のように、〈シルバニアン〉の者たちはオリジナルフランケンシュタインが作り出した自分の息子娘たちや、人狼を使役し、吸血鬼を狩る。


 ヴィヴァリーはそれを知っている。彼女の経験――相手が武装した人間だとしても、まだ一対一なら通常は吸血鬼が勝る。気をつけるべきは使役している異形のほう。


 ヴィヴァリーは今まで、ヴァンパイアハンターたちから自分の主人を守ってきた猛者といっても、過言ではない。


 ただ、彼女がどうしてここまであの鬼畜吸血鬼の主人を守るのか、それは私の知るところには無い。おそらく話もしないだろう。


 本心では、あんなサディストに、よくここまで尽くしていられるなと思うところだったが、やわらかく聞く。


「エリザベート様の事が、よほど大事なのね」


「お前には分からんだろうよ。私の身の上も、エリザベート様への気持ちもな」


「これからやっていく仲間のはずよ」


「からかうな、お前を信用したつもりは無い」


 それが正解だと、自分の心の中で頷いてしまった。


「お互いに心を開いてくれなければ、信用もなにもないと思うけど?」


「必要無い。私はエリザベート様に永遠に尽くす。それだけできれば他は無用だ」


 彼女とエリザベートの間には、いったい何があるのだろうか? それとも、何があったのだろうか?


 どっちにしろどうでもいいか。心の内を聞いてそれで本当に信用をお互いに持ち合う気は無い。ただの無駄話だ。


 彼女が今の立場に満足している事や、その使命を全うし続ける理由になど、真に興味は無く。これから私が行う『賭け』に何の関係もない。


 ただ一回たりとも失敗は許されない。考えうる限り自分の命をかけて綱渡りに生き残るしかない。このままでも地獄。生き残っていてもハンターに狩られるまで狙われ続ける。失敗をしたら当然死ぬ。いったいどうすればいいのか……。


 もし、自分の姉にこの胸のうちを打ち明けたのなら、姉は協力してくれるだろうか? 見逃してくれるだろうか? それでも受け入れてくれるのだろうか?


 ――ないね。


 こんな甘えを持っていては、足元をすくわれる。


 もうすでに、私は姉を利用しこれからも利用するのだ。


 もう布石は置いてきた。


 ただ生きていたいという、ただそれだけの事に自分の命をかける。なんて矛盾なのだろうか?


 ――いまさらね。


 ただの自問自答。


 私のそれだけの願いを聞き届けてくれる者は、この世に一人としていない。もしかしたら、ヴィヴァリーが自分に身の上を明かさないのは、信用できないというだけでなく、もうとっくに自分を理解し受け入れてくれる者が、自分の主人以外に存在しないと分かっているからかもしれない。


 ――そういえば何年ぶりにお姉ちゃんと一緒だったのかな? 三年半くらい?


 あんな事がなかったのなら。私たちは今でも父母と姉と、普通に暮らしていたことだろう。


 ほんの一時間ほどの、他愛もなかった帰り道を思い出す。


 遠くを眺めて見ても何も見えたりはしない。


 ――もう、戻れないんだよね。


 屍奴隷化した母と父に襲われた直後、姉がやってきて二人は姉のほうへ向かっていった、その後に現れたヴァンパイアハンターによって姉は保護され、一時的に失血死状態になった私は、母に運ばれてそのままエリザベートの雑兵の一人となった。


 その後は顔も名前も変えて、エリザベートへ血を運ぶ下っ端の日々。


 屍奴隷は上位の吸血鬼に絶対に逆らえない。精神が、心が追いつかないまま、私は同類の屍奴隷を密かに増やしながら、血を集めて親元へ運んだ。


 どんなおぞましさに苛まれようとも、否応なく。


 そんな日々を強いられた。


 そしていつの間にか、嘔吐したほどに気持ち悪い血を見ても平気になった。人を傷つけてもなんとも思わなくなってきた。胸の中で枯れた感覚しかなくなった。


 屍奴隷にした同年齢の子と、顔の形を同じにしてすり代わり、別人になって、こんな吸血鬼の世界で生きるしかないと絶望していたからだろうか。そんな時に、初めて一緒に過ごす男の子ができた。


 恋をした。


 自分で止められなくなった恋心で、自分勝手に彼を吸血鬼にした。


 そう背丈も高くなく、自分では体は頑丈だと言いながらも、見た目はまったく平均的でたくましさなんて見えない彼は、いたって普通で、少しだけお調子者で、子供っぽいところがあって……好きだった。


 ほぼ同時に、姉が国外から帰ってきた。戸惑った。


 話しかけても面と向かっても、名前と顔どころか人間ですらなくなった私が、いきなり現れたらどうなるのか。


 姉はどこか冷たい印象を持っていた。やはり、あんな事があって、変わってしまったのかもしれない。初めは様子見をしていた。遠目から見ているだけにした。しかしそれは間違いだった。


 ヴァンパイアハンターに保護された後、姉はヴァンパイアハンターになって戻ってきたのだった。


 向こうで訓練を積んできたのだろう。少し考えてみれば、あのしっかり者の姉がただの被害者のままで終わるはずがない。自分から志願してハンターになったと言うほうが納得できる。あの姉なのだから。


 それが余計に、姉へ自分の正体を打ち明けられなかった理由でもあるのに、そうこうしている間にこうなってしまった。


 ――気づいていてくれたこと、本当は嬉しかった。まだ私はここにいるんだって思えたんだよ。本当は。


 あの姉の事だ、エリザベート達に復讐するのかハンターとしての使命としてか、エリザベートたちとの戦いを望んでいるだろう。そして屍奴隷と化した私も放ってはおかないだろう。


 姉は私を殺しに来る。必ずやって来る。私がやっている事を考えれば当たり前だ、やっていることは人殺しなのだから。しかもこんな残虐な方法で。


 私を安らかに眠らせるために、あの私たち家族をぐしゃぐしゃにした終わりを求めて、必ずやってくる。あの悲惨な事件に決着をつけるために。


 ――分かってる。それくらい分かっているよお姉ちゃん。でもね。


 私はまだ生きている。


 私は屍奴隷になっても、吸血鬼になっても心が残っている、意思もあれば考える事もできる……まだ生きているのだ。死にたくないのだ。


 姉が現れた事で、姉がヴァンパイアハンターになって帰ってきた事で、事態は転じた。エリザベート達は自分たちを狩りに来たハンターをどうにかしなければならない。


 私は吸血鬼側にとって、ハンターをどうにかする格好の餌になったのだ。


 このまま流れに身を任せたら、私は姉に倒されるだろう。その間にエリザベートたちはその間に逃げるか徹底抗戦を構えるか――無論、姉を倒せたら今まで通り、エリザベートの奴隷としてまた永遠に……。


 この構図はどうにかしなければならない。自分の手で。


 ヴァンパイアハンターになった姉が現れ、エリザベートたちが私を使う事で姉をやり過ごすという流れになったこの状況――それが自分の生死の分かれ目だ。


 ここで生き残るための生命線を手繰り寄せなければ、私は姉に殺されるか永遠に奴隷のままだ。この転じた状況を、さらに自分の好転に変えるしかない。


 まず最初に必要なのは力だった。下位の屍奴隷の状態から脱するために……それはクリアーできた。屍奴隷の身の上から、吸血鬼ヴィヴァリーの血を持ってして上位に立つことができた。


 そして私の次の段階には、姉の力が必要になる。そう考えた――


「来たぞ、希美」


 バイクのエンジン音。数は一つ。


 まさか、馬鹿正直に一人でやってきたのだろうか?

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