第5話
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「ほら、頭を動かさないで、じっとしてるの」
「う~ん」
湯が勢いよく出ているシャワーを脇に、珠枝は摩子の髪を洗う。
当然、風呂に入っているためお互いに裸のまま、
「目が痛い」
「我慢しなさい」
「痛い~」
「だったら自分で洗えるようになりなさい、もう小学生でしょう」
「うぅ~」
シャンプーの泡が入った目を擦ろうとして摩子が動こうとする、それをまた怒り口調で。
「ほら、動かない」
「わぅ~」
ほとんど泣きべそのようなうめき声を聞きながら、摩子の髪をもうひとかきして終わる。
「終わりー?」
「まだよ」
お湯が出っ放しのシャワーを手元に戻して、摩子に言う。
「これが終わったら次はトリートメントよ」
「もうやだぁ!」
「だめ! ほら!」
逃げ出そうと動いた摩子の手をすかさず掴み、引き戻す。
「やあ!」
素肌同士のままで摩子を片腕で抱き締めつつ、片手に持ったシャワーで摩子の髪を流してやる。
「ちょっと摩子!」
摩子が顔を胸にうずめ、ついでに胸を掌で触ってくる。
「はーやーくーおわってー」
「大人しくして! もう」
と――
「うん?」
浴室の曇りガラス越しに、呼び鈴が鳴ったのにようやく気が付いた。
摩子が逃げ出さないか気にしつつ、簡単に体を拭いて、さらに浴室から逃げ出そうとしていた摩子へ素早くドアを閉める。インターフォンの画面で確認したあとで、バスタオルを体に巻いて、住んでいるアパートメントの玄関のドアを開けた。
「少し早いわね」
「やあ珠枝、する事が無くて早めに来ちゃったんだ」
「そう」
玄関前にいたのは金髪長身で柔和な顔つきの男。印象的なのは額に巻かれた分厚い布だった。
「外まで入浴してる声が聞こえていたよ」
「だったら空気読んで。何で外で待っててくれなかったのかしら?」
「そうした方が良かったのかな?」
柔和な顔つきに相応な優しい声音の男性。
「フラン」
金髪男性の名を呼ぶと、その彼、フランは顎に指先を当てて首を傾けた。
「なんだい?」
「今、摩子の体を洗ってあげてるんだけど、一緒に入って手伝ってくれるかしら?」
「それくらいお安い御用さ、パートナーだしね」
にこりと笑顔を付け足して、真に受けているフラン。
まっすぐにきつい視線を浴びせて、すっぱりと言い返す。
「ジョークよ」
フランは数秒ばかり何かを考えて、それから珠枝へ。
「ごめん。どこが笑いどころだったのかな?」
「……もういいわ」
フランのこの調子は毎度の事ながら、ため息をついて小首を振るしかなかった。
「体が冷えちゃうから、早く入って」
「うん」
フランが珠枝の部屋に入る前に、彼は背後にあった大きなトランクケースを持ち上げ、それから中へ入った。
風呂場で摩子を洗って出てきて、髪を乾かし、部屋着に着替えた。ダイニングのテーブルで珠枝は摩子と夕食を取る。野菜と肉を煮込んだポトフ――自分で作った夕食。珠枝はスプーンの動きを止めてリビングを横目で見た。
そこにはソファーに座ったフランがいるのだが、彼は何をするわけでもなく、ただじっと座って正面を向いているだけだった。
「フラン、あなたの分は本当にいらないの?」
先ほど夕食は取ってきたからと言われたばかりだが、再度聞いてみる。
フランはその言葉が耳に入ると、頭だけを動かし向けて言ってきた。
「夕食はさっき取ってきたからいらないよ」
まったく同じ台詞を返され、珠枝はため息をついた。
その自分の様子で分かったのか、フランがさらに言う。
「急に来るって言ったからね、だから夕食は君たちの分しか無いだろうと思って、先に自分で食べてきたんだよ。だから気にしないで」
「……それ、結構失礼だってわかってる?」
「してはいけない事だったのかい?」
「…………そうよ」
たっぷりと時間をかけて言い返す珠枝。
「どこが駄目だったの?」
にこやかな笑顔で聞いてくるフラン。
「自分で考えなさい。そのまま黙ってて」
「そっか。わかったよ」
珠枝はもう一度深いため息をついてから、スプーンを動かした。
彼を再度横目で見ると、またソファーに座ったまま正面を向いてじっとしている。
「…………」
会話は成立しているのに、ひどく人間味が薄い青年。フラン。
円滑なコミュニケーションを作るための言い回しや作法なども分からない。そしてなにより彼は今ソファーに座って正面を向いているだけ。何もしていないただ座って、じっとしているだけだった。
フランの横には、大きめの絵画でも入っていそうな大きなトランク鞄が置いてあった。彼の私物であり、その中身も知っている。
珠枝は彼の正体を知っている。だからこれ以上はどうすることも出来ない。
「ほんっと、もう……」
つい口に出そうになった言葉を、珠枝はポトフの野菜と一緒に咀嚼して飲み込んだ。
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