第8話

 8:


 これは何だ?

 頭が重くてふらついてしまう。


 目の前に人の背中が、一つ二つ、三つ、四つ……。


 俺を合わせて五人。


 俺を含む、見知らぬ男女五人と向かい合うように、


 大柄の……人の形をした何かと、


 誌原さんがいた。


 目が合って、彼女は昼間と変わらない声音で言ってきた。


「おはよう。一騎君」

「誌原、さん?」


 しかし、誌原さんの容姿……服装は違っていた。


 私服にも見えない、ドレスにも似た白い服装。どこか官能的な印象を受ける服装だった。


「少しだけ、待っててね」


 誌原さんの柔らかい声。


 そして誌原さんは、俺以外の四人へ向かって、


「さあ、この子に献上しなさい」


 他の四人に命令した。


 四人が一列になって、大柄な人の形をした者へ向かっていく。


 最初の一人。


 大柄な『人の形をした者』が、先頭に立った成人女性の差し出した首筋へ、大口を開けて噛み付いた。


 じゅるじゅるという不快な音が聞こえてくる。


(……血を、吸っている)


 人の形をした何かが、成人女性へかぶりついて体液を吸っていた。


 献上。


 この四人は、あの『化け物』に血液を献上している。


 粘度を持った液体がすすられる音が聞こえてきて、その度に『化け物』の背中が膨らんでいく。


(吸い取った血液が背中に溜まって、膨らんでいる)


 俺もこうやって血を抜き取られるのか。

 動かない体で必死に目を見開いていると、誌原さんが気づいた。


「大丈夫。一騎君は献上しなくてもいいから」

「なん、で?」


 誌原さんが少し逡巡してから、口を開いた。


「この子はただの補給用……血を運ぶためだけ。そしてこの子がさらに上級へ献上することで、純度の高い、精気に満ちた血を親に運ぶの」


 もうすでに三人目の血を吸い出した化け物。四人目へ。


 紫がかった肌をした『化け物』が、だんだん体に赤みを帯びていく。黒い紫から赤紫へ、赤紫から赤い色が目立つ赤紫へ。


 この『化け物』自身が、吸い取った血で体中を一杯にしていた。


 動け、体。


(何で体が動かないんだ)


 拘束されているわけじゃない。体が痺れているわけじゃない。


 まるで、絶対的な支配者に命令をされたかのように、体を動かしたくても、動くなと言われ続けているようだ。


 ――少しだけ、待っててね。


 先ほどの誌原さんの声。


「心配しないで」


 目の前に、誌原さんが。


 丁度、化け物が四人目の血を吸い終わった。


「あの四人みたいに、あなたの血も吸わせたりしないし、あの四人もまだ死んでないから」


「きみ、は……いったい」


 力を入れすぎた拳が、腕まで震えている。


「あの四人は、これからも血を作らせて献上させる餌だけど。一騎君は違う」


 誌原さんが俺の首に両腕を回してきた。


 視線を落とすと、誌原さんの白い服装――開いた胸元が見えて、視線だけでもあさっての方向へ移した。


 俺の胸へ、誌原さんが自分の頬を当てた。


 状況的に不謹慎かもしれないが、胸に当たる誌原さんの感触に心臓が高鳴る。


「俺に、何をしたんだ……」

「手を見せて」


 俺の握りすぎていた手が開かれ、誌原さんはそっと絆創膏が巻かれている手を取った。


 俺の手を両手ですくうように、自分の胸元へ持ってきた誌原さん。甘いため息を漏らす。俺の指に自分の指を絡めてきて――誌原さんの顔を見れば、恍惚感の混じった表情をしていた。


「噛んだの」


 小さく、どこか恥ずかしさを堪えたような声で。


「私が噛んだから、あなたは私の下僕になったの」


 思い出す。俺の切った指を誌原さんが口に咥えて、噛んできたあの時を。


「今は私の命令を聞かずにはいられない。親が子供に強く命令するよりも、それよりも強い私の支配を受けているの」


 何をどう返せばいいのかわからず、誌原さんの次の言葉を待った。


「一騎君、あなたは今、吸血鬼……その下位の屍奴隷(グール)になったの」


 グール――だって?


「でも大丈夫。一騎君には、そんな餌になんてさせない。大丈夫よ」


 耳元を吐息でくすぐらせながら、優しく囁いてくる誌原さん。


 だからこそ、俺の背筋が凍えた。

 

 彼女はさらに俺の頬を撫でる。


「あなたには私の血をあげる」


(何を言っているのか、分からない)


「今は私の下になっているけど、グールは自分よりも上位のグールの血を得ることで、自分自身の位を上げる事ができるの……私の血をあなたに与えることで、あなたは私と同じ位になって、渇いてたまらない喉も抑えることができて、日の光にも耐えられるようになるわ。私のグールとしての位は、それくらいあるから安心して」


 誌原さんは吸血鬼の下位のグールで、俺が誌原さんに噛まれて同じグールに……いや、誌原さんと同じ吸血鬼になって、


「何が……狙いなんだ。俺をどうする、気なんだ?」


 何故そんな事をするのかさっぱり分からない。誌原さんの意図がまったく分からない。


「それは――」


 ブシュゥゥゥゥ!


 突然、水が吹き出る音がして、赤い噴水が舞い上がった。


 先ほど誌原さんが言っていた補給用のグール。血が溜まって膨らんでいた背中が掻っ捌かれていた。吸い取ったばかりの血を噴水のように出している。


 俺に身を寄せていた誌原さんも、突然の事に目を見開いていた。


 新たに現れた――黒い人物。

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