第6話

 6:


「そうか、水か」


 今日の出来事をざっと夕食の話題に出した時、兄の和人がぽつりとつぶやいた。


「うん?」

「水だよ。水」

「水が何?」

「だから水だって」

「それは分かったから、次言って」


 兄の『穴だらけ探偵』高行和人は、説明口調で言ってくる。


「窓を割った犯人は、水で窓を割ったんだ」

「はあ?」


 それこそ、高水圧のウォーターガンでも使ったとでも言い出すのだろうか?


「水銃なんてベタな事は言わんぞ」


 なんだ、違うのか。


「どうやって水を使って、ウォーターガンじゃない方法で窓を割ったんだよ?」


「それはだな――ええっと」


 今考えてるし……。


 とりあえず俺は、兄の考えがまとまるのを待った。


 これでも兄はいたって真面目だ。本気で言っている。だからこそヘボ探偵なのだろう。


 一分か二分か、あるいは三分か、それくらいに考え込んだ兄は再び口を開く。


「向かいのビルから……何かに水を入れて……それを窓に叩きつけた。そしてお前が水浸しになって、証拠は何も残らなかった」


「それだと、水を入れていた容器が部屋に残ってるだろ」

「いいや」


 兄は否定してきた。


「たとえば、ガラス容器だったとしたら?」


「…………」


「たとえば、ビンでもいいが、ビンだと形が残ってしまう可能性がある。曲線じみた形でも駄目だ。そう、なるべく角ばった平たい……ウィスキーボトルのような形状のガラス瓶だったとしたら、それで窓に投げつけると同時に投げたもの自身も割れる。証拠は形状ゆえに、割れたガラスに混じって分からなくなる。そしてお前はそれを寝ぼけて、寝汗と勘違いしていたから、分からなかった」


 ほほう。これはある程度納得できる推理だな。


「だけどそれが本当かどうかは、もうゴミに出しちまったぜ?」


 真相は闇の中。もっと早くに気づいてほしかったなあ。


「んで」


 そうと仮定して、たとえその推理通りじゃなかったとしても……とりあえず核心を突く。


「誰が何で、そんな事をしたんだ?」


 静寂が広がる。

 十分な沈黙が流れた後で、『穴だらけ探偵』がぽつりと。


「思い当たる節は……あるか?」

「兄貴のほうは?」

「ない。と思う」


 真相は本当に、

 闇の中で迷走していた。



 まったく、何なんだよ今日は。

 風呂から上がったら濃くてどろりとしたものが飲みたい。もう水では飲んだ気がしない。


 昨日の夜の事もそうだが、朝から調子が悪いままで、ずっと喉が渇いて水物を飲みっぱなしになっていた。日が落ちてからは、体の熱と妙なふらつきは無くなっていて多少楽になったが……。


 そういえば昨日の晩の、何かで切られて倒れた街灯……あれもなんだったんだ?


 湯船に浸かって、ぼんやりと天井を眺める。何も思い当たらない。ぴんと来るものが無い。


 誌原さん。


 気がついたら、誌原希美の事を思い出していた。


 ゆるくふわっとしたウェーブの髪に、くりっとした瞳。小柄でむしろ小動物みたいな容姿でしかも、笑ったりせかせか動いているところなんて、本当に小リスかウサギのように可愛かった。


 しかも、そんな子が明日は昼に弁当を。


 ――透は無視の方向だな。


 頭の中でひょっこり現れた鮫島透を振り払う。


 ――あとそういえば。


 二年の先輩。巳代珠枝と言ったか。


 あの人は何なんだ? なんだか、遠回しに突っかかって来られているような……思い返して見ると、そんな風に見て取れなくも無い。


 艶やかで綺麗な黒髪。ストレートロング。鋭い目じり。冷ややかな声音。


 だが綺麗でどこか凛とした人。


 何なんだ? あの人。


 ぼうっと考えて、いつの間にかその巳代先輩と誌原さんが、交互に入れ替わるように頭の中で浮かんでは消え浮かんでは消え――


 ガンッ!


 後頭部に衝撃が走った。


「いてて……」


 考えているうちに頭が後ろに行って、そのまま浴槽のふちに頭をぶつけてしまったようだ。のぼせてる。


 俺、そんなにお湯に弱かったかな?


 ああ俺今、調子悪いんだった。」


 もう出るか。

 思い立って、俺は早々に風呂場を後にした。

 今日は早めに寝るか。

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