#7『入り江』 

どうも、皆様こんばんは、諸星モヨヨです・

皆様は今回はそんなジャンラフィットと呼ばれる人物をご存知でしょうか? その昔、カリブ海で暴れていた伝説的な海賊の一人で、某テーマパークの海賊モチーフアトラクションのモデルになったとも呼ばれている実在の人物です。

今回はそんなジャンラフィットにまつわる、身の毛もよだつある一夜の出来事をご紹介しましょう。




その夜、ニューオリンズはあまりにも穏やかだった………




 カーヴァー・コヴェントンにとって叔父―エリアス・コヴェントンは、十数年前に消えた父親代わりのような存在であった。

だから、より密接に付き合いたかったし、出来ることならばいっしょに暮らしてもいいとさえ思っていた。


 だが、エリアスの暮らすニューオリンズの家はカーヴァーの自宅から飛行機を乗り継ぎ、バスに4時間揺られなければ辿り着くことが出来ない。大学が長期休暇に入る8月ではないと会う事は難しい距離と時間であった。


 カーヴァーはコーヒーを口へ運びながら窓の外に見える、漆黒の闇を何気なく見つめた。

 帳が降り切ったメキシコ湾は風が無く、波は穏やかで、どす黒い海が息をひそめていた。

 彼はそんな光景をぼんやりと見つめながら、つくづく辺鄙な場所だと思った。市街地からは遠く離れ、殆ど人の訪れることのない岸壁の上にある叔父の家。Wi-Fiなど引かれているはずも無く、携帯も入るかどうか怪しい。決して悪い場所ではないが、文明社会に慣れ親しんだ者には天国とはいかない。


 叔父と父が生まれ育った家だと言うが、未だにこんな不便な場所に住んでいることがカーヴァーは不思議でたまらなかった。

 街の近くに住めば、もっと頻繁に会えるのに― カーヴァーはコーヒーをテーブルに置き、向かいに座った今年五十後半を迎える叔父を見る。安楽椅子に揺られながら携帯型のラジオを弄っていた彼は諦めたようにラジオをテーブルに投げ捨てた。


「ついに壊れやがったよ」


 カーヴァーはそれを取り上げる。

 側面にプリントされた古めかしい数字のフォントは剥げかけ、周波数を合わせるボリュームは錆び付いて力を入れなければ回ろうとしない。年代物のラジオだった。


「これで唯一の娯楽がパァだね」

 カーヴァーが笑うのはこの家にはテレビが無いからだ。


「新しいのを買わないとな」


「4時間かけて?」

 エリアスはふんっと声に出さず笑い返す。彼自身ここが余程辺鄙な場所だという事を理解しているのだ。それが分かったから、カーヴァーは立て続けて聞く。


「なんで、こんな場所にずっと?」


「なんで……だろうな」


 何かをはぐらかすように笑うとエリアスは窓の外をじっと見つめる。カーヴァーがつまらなさそうに椅子に背をあずけるとギィギィと鈍く軋んだ。


「なんか、話してよ」


「話か……」


「父さんの話でもいいよ」


 それを聞いた叔父はゆっくり椅子から立ち上がると台所へ消えて行った。少し間を置いて彼は片手にコーヒーを持って帰って来ると立ったまま、窓の外を見つめながら口を開いた。


「丁度、私がお前ぐらいの年の頃だ。あの夜も今日みたいな……異様な静けが満ちた海だった」










海水を覗き見ているとこれが全て重油のように思えて来て、エリアスはボートから身を引いた。


「どうしたエリアス、釣らないのか?」


「いいよ、僕は」


 兄―ギルへ簡単に返答するとエリアスはボートに深く身を沈めた。2人乘れば定員一杯になる木製の小舟が軽く揺れる。

天を仰ぎ見ると満天の星だ。兄の夜釣りにつき合わされ、毎晩連れ出されるのはあまり気分がいいものではないが、唯一この星空だけは眠い目を擦ってここへ来たかいがあったと思わせてくれる。


「今日はやけに静かだね」


 夜空に浮かぶ僅かな雲も殆ど動きを変えない。

 風も無く、波の音もしない。潮の匂いさえなければ宇宙に浮かんでいると錯覚しそうな静けさだった。


「確かに。気持ち悪いくらい静かだ。それに今日は……全く駄目だな」


 ギルは1時間ばかり垂らしたままにしていた釣り糸を引き上げ、そこに何もついていないのを確認すると首をひねって唸った。


「もうあと30分何もかからなかったら帰ろうよ」


 エリアスはボートに身を沈めたまま、手探りで赤いラジオを手繰り寄せると軽くボリュームを弄った。ノイズ交じりの音楽が静けさをほんの僅かに緩和したが、広大な海の沈黙はそれを飲み込んでいくようだった。

 水に釣り糸が沈む音が聞こえ、兄が姿勢を変えることで船が揺れる。

 眼を瞑り、揺れに身を任せているとエリアスの意識は次第にまどろんで行った。




 どれくらい時間が経ったのか、体の痛みや瞼の重さからして、エリアスは自分がかなりの時間眠りこけていたのだと思った。


 体はボートの底部に蹲っており、鼻にはまだ濃い潮の香りが残っている。しかし、背中越しに伝わって来る感触は海にはない接地感がある。


 片手で顔を覆い、眠気を剥ぎ取る様にして拭うとエリアスは身を起こした。

 そこは一面を巨大な岩で覆われた静かな入り江であった。入り江を隠すように周囲を覆う岩、その一点にわずかばかりの隙間があり、船はそこを通って流れ着いたのだと分かった。

 開け放たれた空から月が青白い光で浜辺を照らしている。

 白く柔らかそうな砂浜は岩礁のお陰で波が殆ど起きず、静かで、その奥に大きな洞窟が口を開けている。


「ここは何処だ……」


 エリアスは生まれ育ったこのニューオリンズ周辺の浜辺や入り江は知り尽くしている自信があった。しかし、その彼をもってしても見た事の無い場所であった。

 見た事も無い場所に迷い込んでしまっているという事実が整理し始められると、次はボートに兄の姿が無いことが気に掛かった。


 が、行方は直ぐに知れた。

 白い浜に点々と足跡が残っていた。足跡は一直線に洞窟へと続いている。

 まさか、あんな場所へ入っていったのか― そう思うや否や洞窟の入り口に人影が見えた。兄―ギルであった。


 ギルは引きずるようにして何かを月下の下へ投げ捨てると、エリアスの方を向いて大きく手を振った。


「おぉーーいッ! エリアスッ、手伝ってくれぇぇッ」


 少し顔を顰め、頷くとエリアスはボートから降りて兄の方へ駆けて行った。



「ここは……?」


「さあな。それより、これ。見てみろよ」


 相当体力を使ったらしく、ギルは大粒の汗を拭いながら地面に転がした木箱を足で蹴った。

 色あせてかなりの時間が経過しているらしいが、芯は頑丈ならしくまだ固く重い。その為、エリアスは蓋を開けるのに力を掛けなければならなかった。


 ガタンと音を立て木箱が開く。腐った木の匂いが鼻を掠める。

 同時にエリアスはハッと息を呑んだ。


「これは………」


 言葉を失ったまま、見つめているエリアスをギルが笑った。


「金貨ってやつだろう。これ」


 笑いながらギルはその一枚を手に取る。月光を反射して光るほど綺麗な状態であった。

 エリアスも恐る恐る手を伸ばし、その一つを掴んでみる。

 これが金か。そう思わざるを得ない感触であった。


 サイズと重さのバランスが、今までの経験の中で当てはまらない。

 異常なほどのずっしりとした重さ。

 この重さには人を惹きつける何かがある。エリアスはそんなことを感じた。


「奥にまだ何箱もある」


 ギルはびんっと硬貨を弾くとポケットへ突っ込む。


「で、でもこれ……」


「俺はピンときたぜ。ジャン・ラフィットだよ。聞いた事あるだろ?」


 エリアスは頷く。1800年代のニューオリンズ周辺を荒らし回っていた海賊の一人だ。なかでもジャンは無駄な殺生や略奪をしない紳士海賊として有名だった。


「ジャン・ラフィットは生涯でかなりの財宝を手に入れていたはずだが、その全てが現在では行方不明だ。一節には秘密の隠し場所へ埋めたという話もある」


 ギルは口を開けずに口角を上げた。


「つまり、これがそうだって?」


「じゃあどう説明する?」

 

エリアスは黙った。何にしても大量の金貨が目の前にあるのは紛れも無い事実なのだ。今はその正体を探ることはどうでもいいと思った。


「お勉強が終わったら、これをボートへ運ぶの手伝ってくれ」


 下を向き、色々と思いを巡らせていたエリアスは兄の言葉にうなずき、蓋が閉まった木箱の片方を持った。

 凄まじい重さであった。

 ボートまで50mも無いはずだが、ほんの少し歩いただけで足と腰が痛み、息が切れ始める。それでも不思議な重量感は、エリアスにこれを持ち帰えりたいと思わせる異様な説得力を与えた。


 衝撃を吸収してくれていた柔らかい砂地は欲望の重さで深く沈み込み、踏ん張ることも出来ない。

 そこから数歩も歩かない内に砂に足を取られ、エリアスはバランスを崩した。

 それは兄のギルも同じだったようで、ほぼ同時に2人は砂浜へ木箱と金貨をぶちまけ、倒れ込んでしまった。



 幸い、砂が衝撃を吸収してくれたおかげで体に痛みはない。


 しかし、立ち上がろうとした時、右足に違和感を覚え視線を下げた。


 手。そして腕。

 

例えるならばそれは、下手くそな奴が食べたローストターキーのような腕だった。皮と肉が辛うじて残っているが、ぐじゅぐじゅになったその隙間からは骨が見え隠れしている。

 そんな気味の悪い腕が砂中から飛び出し、エリアスの足首を握りしめていた。


「うあぁぁぁッ!」


 堪らず、彼が叫ぶと続けて兄も悲鳴を上げた。

 砂に足を取られていたのではない、この謎の腕が彼等兄弟の足をすくったのだ。

 腐敗寸前、いや現在進行中の弱々しい腕は見た目と対照的に強くしっかりとした力で足首を握りしめている。 咄嗟に引き剥がそうとしたエリアスが一瞬ためらった。とても素手で触りたくなるような手ではない。ヒクヒクと動く赤黒い筋肉から腐敗液が垂れ、ボロボロになった皮が今にも裂けようとしていた。


 フッと鼻を掠める回収を忘れたごみ箱の香り。


 胃液が逆流してくる口を押え、エリアスはもう片方の足で腕を蹴る。


「俺ノモノダァァァ……」


 ガラガラと口の中に何かがつっかえた不快な喋り方。その声は風に乗る様にして何処からともなく響くと、それを合図にして次々と不気味な声が砂浜を埋め尽くしていく。


「置イテ行ケェェ……」


「俺ノ宝物ヲ返ェェェェ……」


 一人の人間の声ではない。数十、いや数百の得体の知れない声が次から次へと聞こえて来る。


「兄さんッ!」


 エリアスは足で腕を払いのけようと蹴りながら兄の方を見る。


「これは俺が見つけたんだッ だから俺の、俺のもんだッ!」


 兄は足を掴まれながらも必死に両手で金貨をかき集めていた。


「た、助けてッ!」

 エリアスのSOSも眼前の金貨に夢中な兄には届かなかった。絶望に拍車を掛けるようにして足を掴む腕に一層の力が入る。

肌に指が食い込む痛みで仰け反ると、自分の身体が砂の中へ引きずり込まれて行くのが分かった。


 駄目だッ― エリアスが死を悟ったその瞬間だった。


 シャッという擦過音と共に体が楽になった。足首の痛みも無く、砂上を引きずられていた彼の身体も止まっている。

 ハッとして足元を見ると例の腕が手首のところで綺麗に両断されていた。よく砥がれた刃物ではないと出来ない鮮やかな断面である。


 砂に手を付き、体を起こすと深い潮の香りが腐敗臭を掻き消していった。彼に映像としてそれを知覚することは出来なかったが、気配は分かった。


 何かがいる。それもエリアスのすぐ背後。不思議と恐怖はない。


 気配はゆっくりとエリアスの背後に近づくと首筋を昇り、耳元で止まった。


「立ち去れ。何も持たず。そして二度と訪れるな」


 指先から鳥肌が駆け登り、凍り付くような寒気が全身を襲った。

 ハッキリとその言葉を聞いたエリアスは電光石火で立ち上がると、兄の元へ駆け寄り、何の躊躇いも無く両腕で腐敗した手を引き剥がした。

 立ち上がって尚、金貨を拾おうとする兄を制し、一目散にボートへ飛び込んだ。



 ここは来てはいけない場所だったんだ― あの財宝を持ち帰ることは死を意味する。

 ボートを押し、浜から離岸したエリアスはホッと胸をなでおろした。

 ギルはまだ何が起こったのか、状況の整理が追いつかない様子で目を血走らせ、爛々と遠退いていく浜辺を見ていた。


 浜辺には転がった金貨の山とそれに群がる、無数の腕。


「か、海賊たちの亡霊………」

 ギルがひとりごちる。

 船は誰も漕いでいないにも関わらず、ゆっくりと穴へ向かって進んでいく。


 と。

ドンっドンっと底部へ何かが当たる音がした。暗礁でもあるのだろうか。ギルはそこでやっと気を取り直し、ボートの縁から下を覗き込もうと身を乗り出した。


「ぬぅぅぅううぁぁぅぅッ」


 途端に海中から伸びた二本の長い腕がギルの首を締め付ける。

 エリアスが駆けつけ、引き剥がそうと腕を伸ばしたが少年ではどうしようもない強さであった。窒息するのが先か、それとも体力が無くなり海へ引き込まれるのが先か。最早それは時間の問題である。


 金貨は置いてきたはずなのに何故― 声の忠告を聞いたエリアスは一瞬に考えた後、気が付いたようにギルのポケットへ手を突っ込んだ。

 あった。

 重い、金貨だ。

 エリアスはそれを力の限り、浜の方へ投げ捨てた。金貨は弧を描き、浜には届かず、ぼっちゃんっと海中へ沈む。同時にギルの首から腕が解き放たれ、彼はもんどりうってボートへ転がった。











「そこから、どうやって帰って来たのか、私もよく覚えていない。陳腐な表現だが、気が付いたら何時もの港に帰って来て係留ロープを巻き付けていた。2人ともその事についてしばらく話さなかった」


 エリアスは話し終えるとコーヒーを啜った。

 カップから口を離し終えたのを見ると、静かに聞き入っていたカーヴァーはやっと口を開いた。


「その腕は海賊の亡霊だったの? 財宝を巡って争って死んだりした………」


「いや………兄は海賊の亡霊だと言っていたが私は違うと思うよ」


「なぜ?」


「……腕時計をしていたからさ。タグ・ホイヤーのね」


「………それは……」


「あの宝を見つけたのは我々が最初ではないという事だろう。幾人もの人間があれを見つけ自分の手中に入れようとして、命を落とした。つまりあそこは金貨に見せられた人間の怨念が渦巻く場所だったのさ」


「またその入り江を探したりしなかったの?」


「………したさ。恥ずかしいことにね………あの重さを一度でも感じた人間は心にある種の渇きを覚える、と私は思う。他の物では満たされない激しい渇きだよ。その渇きを少しでも潤す為、兄と数年間探し回ったさ。毎夜毎夜あの隠された入り江を探していく内に私はあの気配と声について考えるようになった」


「声?」


「私を救ってくれた謎の声だよ。あれは………ジャン・ラフィットだと思うようになった。彼は自分の宝を守っていたのではなく、多くの人間が金貨に魅せられ、身を滅ぼしていくのを防ごうとしていたんじゃないか、とね」


 エリアスはカップを持ったまま立ち上がると窓際に立って夜の海をじっと見つめた。


「そう考えると幾分心が楽になったよ。おかげで重みや渇きも忘れることが出来た。だが……」

 大きく息を吸う音が嫌に大きく聞こえて来た。


「だが?」


「君の父さんは違った。渇きをどうやっても癒せなかったんだ」


「じゃ、じゃあ……父さんは?」


「私も知らない内に船を出していた」

 抑揚のない、感情の読めない口調だった。


「父さんが消えたのは………その入り江を探しに行ったからって―」


「なぜここに住むのか……だったか?」

 エリアスはカーヴァーを遮るようにして続ける。


「私自身、渇きは忘れたと思っていたが……兄が一人で出発したと分かった時、心が躍ったよ。またチャンスがあるかもしれない。兄が金貨の山を船に乗せて今にも戻ってくる気がする。だから………だから、私はまだここで兄の帰りを待ち続けているのかもしれないな」


 遠くで微かな波音が聞こえるだけで、今夜もニューオリンズの海は静かだ。



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