第20話 未来を垣間見る
やがて学校を出て、日の暮れかかった帰り道。
学校から5人で歩き、駅まで来たところで分かれることになった。
金峯マサヲは感謝の意を表して穏やかに笑み、「幸い部、僕も入っていいかな?」と入部の意志まで表明した。
それに対し江ノ島ひとみが「マサミネくんも入るんだぁ!」なんて喜んでいたが、これは知り合いでさえあれば誰が加わっても喜びそうなので詳細は省く。
浅間澪那はというと、『来る者拒まず去る者追わず』どころか、もはや『我関せず』といった態度だった。この分だと、墓場から復活してきたキリストや故郷から逃れてきたムハンマドを相談なしに入部させたとしても文句は言われなそうだ。
仲間たちと別れる。
おれとミホカは方向が同じなので、横に並んで家へ続く道を辿った。ちょっと前から急にご近所さんになった幼なじみというのも、なかなか妙な気分だ。
「なんだか、こんな感じで活動していけそうですね! 幸い部の計画書、最初のメンバーは今日の5人ということで書いておきますね? いいでしょうか?」
しっかり者の中3女子から、手続きに関する提案を受ける。
ついつい、これからも似たような毎日が続けられそうな気がしていたけど、そうとも限らないんだった。今みたいな活動を続けるためには、新しいクラブとして承認を受けなくてはならない。
「そういえば計画書、いまミホカが持ってるんだっけ? いいけど、そこまでやってもらうのもな。おれたちで書いて出すよ?」
「いえやらして下さい、元々わたしが言い出したことなので。あ、でも、」
珍しく言いづらそうに、
「シントさんに、お願いがあるんだけど……」
「ん、何?」
「部長の役は、シントさんにやってもらっても、大丈夫ですか?」
「えっ? おれが部長?」
正直かなり驚いた。全然予想していなかったので。
「顧問は、コンピラ先生がやってくれるので相談したんですけど、部長が中等部生だと良くないらしいんです」
「なるほど」
役職のことは全く考えてなかったけど、たしかに中等部の生徒が高等部を差し置いて部長をやるっていうのは聞いたことがない。
新しく加入した2人に押しつけるのも酷だし、浅間は……あまり向いていないだろう。会議などがあった時、何も言えなくなって黙りこむ浅間澪那の姿が脳裡に浮かぶ。いたたまれなくて、結局付いていくことになりそうだ。
「副部長なら構わないそうなので、わたしがやります。仕事があったら手伝うので、やってもらえませんか…?」
ここに来て思わぬ壁にぶち当たったと、彼女の顔にも不安が兆していた。
事の発端はミホカだが、おれも賛同したことだ。部長をやったからってこんなクラブじゃ大した仕事はないだろうし、平の構成員たちも指導力なんぞ求めてこないだろう。
よし、ここは一丁、やってやるか。
「わかった。おれが部長で、ミホカが副部長だ。他はまあ、テキトウに書いとけ」
「いいんですか? ありがとゴザッ……あ!」
浮かれて油断したのか、振り向いた拍子に躓いてしまうミホカ。
おれは我ながら失敗の多い人生を送ってきた方だと思うが、そこから多くを学ぶのが取り柄である。
そんなわけで咄嗟に身体を支えてやり、転倒を回避した。どちらかが地面に押し倒されるようなアクシデントもなく済んだ。
「あ…ありがとうございます……」
「ああ……いや」
しかし、こうやって助け起こした場合に、どのくらい距離が接近するのかという与件はなかった。
ふたりの脇を、自転車が通りすぎていく。
体勢を立て直すと、ちょっと距離を開けて歩きだした。
「に、にしても、今日は驚いたな。まさか、あいつに恋の悩みとは」
「そうですね。恋の……。………」
実際、興味をそそることでもあったし、いま起きたことから気を逸らしたいというのもあった。
が、どうもこれはあまり上手くなかったらしい。ミホカはさっきとは違ったムードで言葉を詰まらせている。おれは先を急かさずに待った。
「あの……。シントさんは、人から好きだって告白されたことありますか?」
そう来たか。
「え? いやあ、ないよ」
はたして齢15、6で、恋愛に関する経験が何もないというのは恥ずべきことなのだろうか? そうだとすれば、全人類の7割程度が恥ずかしがらなければならなくなるとおれは信じている。問題は、大切な事柄ほど、数や量とは無関係だということだけど。
「ミホカは? 誰かに告白とか、したことある?」
せっかくの機会だと、軽い気持ちで尋ね返した。
「あ……。えっと………」
道は駅前の陸橋に差しかかっていた。坂道を登りながら、ミホカは何ともない調子で続けた。
「一度だけ、あります。でも、その人から、まだ返事をもらえてなくて」
「え?」
急に足どりが鈍った。子泣きジジイにでもしがみつかれたのかもしれない。置いていかれないように、速度を上げる。
誰かに、好きだと告白したことがある……?
しかも、まだ返事をもらっていない、と。
言うまでもなく、おれはされていない。そんなことを考えてしまうなんて見っともないようだけど、近くでやりとりするようになって、なんとなく良い雰囲気でいるような気がしていた。一緒に過ごす時間とか、メッセージを交換する頻度も増えていて、これはもしかしたらそういうことなのかもしれないと、何もかも上手くいってるように感じていた。
けど、それはおれの早とちりというか、誤解で曲解で重解で、彼女は他の誰かから返事を待っている………?
「あっ! いいんです、気にしないで。昔のことですから」
昔のこと。
そうか、昔のことか。
だったら何も問題ないはずだ。
「あ、うん。そうだよな。変なこと聞いてごめんね」
上陸前の嵐が起こしたような感情のざわめきを、表情には出さず答えた。
ただ、ちょっと出なさすぎなのが、かえって違和感あるくらいなもので。
陸橋の上から眺めると、業火のように由々しい黄昏の光を放つ元凶が、ビルの谷間にのろのろ沈んでいくところだった。
やがて伊勢川家の前に着いた。その頃にはもう、普段どおり軽い調子で会話するようになっていた。
彼女の家は駅から15分程度の分譲マンションで、かなり新しい。たしか数年前に古い公団を取り壊して、新築されたはずだ。エントランスホールへは住人しか入れない仕掛けになっている。
「幸い部のこと、すごく楽しみです! それじゃあ、明日もよろしくお願いします」
マンションの前で手を振るミホカ。
「何事も、あんまり期待しすぎないこった。また明日」
おれは先輩らしい(くたびれた大人の、とも言う)アドバイスを送って、再び歩きだした。
背中に、以前までとは違う空気感があった。すでに新生活は始まっているというのに、きっと後から遅れてやって来たのだろう。予感というか、気配というか、そういうものが。
気配?
後ろを見た。
『………? いま、誰か―――?』
誰かが。
どこかから、おれたちのことを見ていた気がした。
●
風呂から出てもすぐとは寝られなかったので、深夜にやっている毒にも薬にもならないようなテレビ番組を見るともなく見て眠りに就き。
翌日。
この日も、いつもと同じ時刻に起きて、いつものように家を出て、いつものように出社した。
集まってきた人混みの中プラットホームに列んで、到着した電車に乗りこんでいく。
電車が動きだした。奥の方まで押されていったので、窓際に突っ立って、流れていく街の景色を見つめた。
『……あれ?』
急に、今朝みた夢のことを思い出した。
それはずいぶんと長い夢で――部分部分を、断片的にしか思い出せなかったが、たしか高校に通っている夢だ。
最近よく見るんだよな、学校の夢。
その昔、おれの学校の友達に浅間澪那ってやつがいて、ちょっとオタクっぽい話をしたり、メールで自作の小説を送ってくれたりしてた。
しかし夢の中では、なぜかおれが駅で変な化け物に襲われ、浅間が魔法使い(!)になって駆けつけて来た。けど途中で彼女がピンチになったので助けようとしたら、脈絡もなく目の前に光耀く剣が現れて(さすが夢だ)、おれがこの手で化け物を退治した。
それから、なぜかサークルっぽい部活に所属していて、当時同じく友達だった金峯マサヲと、これまたなぜか、教室で言葉を交わす程度の仲だった江ノ島ひとみと一緒に活動していた。
それと………誰だろう? もう1人、他にも後輩の女の子が出てきた気がするんだけど、誰だっけ……?
記憶がはっきりしないので、たぶん誰でもない想像上の人物だろう。夢だとよく、現実に存在しない人が出てくることがあるから。
で、その女の子と夕暮れの道を一緒に帰ったあたりで、目が覚めた。起きた後もしばらくは、幸せな気分が続いていた。永らく感じることのなかったものだ。
ったく、なんていう夢を見てるんだか。もしかしたらそれなりに楽しかった学園生活を、おれの無意識が久々に回想したがったのかもしれない。
我が夢ながら可笑しくて、満員電車の中、ニヤける口許を隠したことだ。
でもまあ、こういう職場だとあんな夢を見ても不思議ではないのかもしれなくて。
「麻賀多さん、嬉しそうですね?」
仕事の休憩時間に、今年入った女性社員が話しかけてきた。おれがコンビニで買ったサンドウィッチとミルクティーの昼食を前に、やけに上機嫌なので気になるだろう。
「あ、ううん。昔からおれ、こういう仕事できたらいいなぁって思ってたんですよ。今朝いきなり、それを思い出して」
「今更だなぁ。麻賀多くんが原作やったあれ、大成功だし。今度映画化したら、今一位のやつ抜くかもしれないんでしょ? そりゃあ嬉しくなきゃ失礼ってもんでしょう」
近くにいた先輩社員に突っこまれる。
「いやあ、おれは、好きなことに
本心を告げて笑った。
「本当、幸せそうですよね。来月にはイワ〇〇〇さんと――」
彼女の口許が、一瞬クローズアップされたように感じる。
なんでそう感じたかというと、オフィスの雑音に紛れたらしく、彼女の言った名前が聞きとれなかったからだ。だれか女性の名前を口にしたらしく、
「――結婚するし」
「そうだったそうだった。いやあ、ホント羨ましいねえ! もう本当、幸福の絶頂って感じじゃない?」
言われて胸の内で、なんだか幸福感のようなものが高まり、「そうですね」と答えた。
そんな折、内線に呼び出しがあった。
「麻賀多さん、いま1階で、面会希望の方が待ってるそうです」
「え、面会? そんなのあったっけ……。なんて人ですか?」
「金峰マサヲさん、だそうです」
「かなみね? ………あ」
懐かしい名前だった。
おれの学生時代の友人の1人だ。約束をした憶えはなかったが、今朝のは正夢というか、彼が来る予知夢みたいなものだったのかもしれない。
エレベーターで降りていくと、ソファに懐かしい姿があった。白いシャツの上に、クリーム色のベストを羽織っている。
「久しぶり! 突然どうしたんだよ? マサヲが行ってる大学院、このへんだっけ?」
ソファから立ち上がるマサヲ。あの頃と同じように、剽軽な仕草で肩をすくめ、
「ふぅ―――まったく、何をやってるんだか。シントはいま、こんなことをしている場合じゃないだろう?」
「え?」
どういう意味だろう。
せっかく、シアワセナセイカツを送っているのに。
「己の成すべきことを成せ。〝彼女〟が待ってるよ」
「彼女? ……………あ」
―――いせがわ、みほか。
目が覚めた。
カーテンの隙間から、朝の明るい日ざしが射しこんでいる。時計を見れば、アラームが鳴る前だった。
けたたましい音を聞かされる前に予約を切って、布団から出た。
変な夢に起こされたぶん、早めに家を出て、いつもより早く学校に着いた。
教室にはまだ誰も来ていなかった。今日は1番乗りらしい。室内の澱んだ空気を外に出すべく、窓の開放作業を行う。
「おはよう、シント」
「あ、おはよう」
振り返れば、2着は金峯マサヲだった。珍しいことだと思いながらも、思い出したのはオフィスビルの1階でソファに座って待っていた夢の中の彼だ。
おれは笑いながら言った。
「いやあ、今日変な夢を見たよ。大人になって、充実した毎日を送ってるんだ」
「ほう?」
「どっかの会社に勤めててさ、これから誰かと結婚する予定なんだ。なんだかやけに幸せな気分で。でも最後にマサヲが出てきて、『こんなことやってる場合じゃないだろ』って起こされるんだよ。まったく、変な夢すぎて笑ったよ」
「……それは、夢ではないよ」
「え?」
彼の方を見返した。冗談を言っている顔ではなかった。
「肉体は時間に縛られているけど、魂は年をとらない。だから、永い時を容易く越えてゆくことができる」
「!?」
「あのままだと危なかったから、呼び戻させてもらったよ。シントの魂は、未来へ行っていたんだ。このまま進んではいけない、間違った未来にね」
「………。タマシイって、まさか――」
これまで耳慣れないでいたはずの単語に、言葉が詰まる。それは、浅間澪那たちが語っていたのと同じ話題だった。
先程から他の生徒が登校してきて、教室内はにわかに騒がしくなっていた。それを見てマサヲは一歩、机から離れ、
「このところ、すっかり女の子たちのペースにやられてるからね。どうだい、たまには放課後、男2人で帰るってのは?」
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