第19話 残影
「相談?」
何かと妙なものに興味深さを見出すやつではある。が、その金峯マサヲが「相談」とは、余興にしたって珍しいことがあるものだ。
「いいけど、ここの主旨は解ってる? 受け付けてるのは、幸せに関する相談だぞ?」
このいつも飄々としていて、幸不幸とは無縁に見える男友達にどんな悩みがあるというのか。1秒間に地球を8周半する粒子でも発見されないかぎり、こいつを悩ませるのは難しい気がしていたが、
「そうだな、一言で云うと――人探し、かな」
「人探し?」
思いも寄らないワードに鸚鵡返しした。てっきり《ウォーリーをさがせ!》紛いのゲームブックでもやらされるのかと思っていると、
「まずは、この写真を見て欲しい」
彼が机の上に置いたのは絵本ではなく、タブレットPCに収められた一葉の写真だった。
「これは――ああ、この部室の外にある」
「祠ですね?」
みんなで画面を覗きこんだ。(浅間も気になったらしく、がやがやしてるのを見て本を閉じ、おずおずと近寄ってきた。)
長方形の画面の3辺を縁どっているのは、赤い鳥居だ。その中にはゴツゴツした岩があり、その上に建っているのは、木造の祠。
「この部室の、窓から見えるやつですよね? この祠って、なんであんなところにあるんですか?」
「あ、それ私も気になってた! 説明書きとかないもんね?」
ここ吾嬬高校には、とりたてて宗教的な校風があるわけではない。にもかかわらず校庭の一角に何かが祀られているというのは、だいぶ浮いた印象を与えていた。
「それが、調べてみたんだけど詳しくは解らなかったんだ。ただね、」
と、前置きしてからマサヲが語るには、
「あの鳥居は、昔は向かいの神社の一部だったみたいだよ。でも境内からはずいぶん離れてるし、工事の際に取り壊す予定だったんだけど、それだと縁起が良くないだろうってことで残すことにしたんだって。鳥居の中に、岩があるだろう? これが本体らしい」
「へぇ」
なるほど、祠の下には岩が安置されていた。
「でも、いま大事なのはそれじゃあない。一緒に写ってる、ここさ」
マサヲは2本の指を滑らせて、写真の或る一点をズームアップした。
そこには、うちの生徒と思しき女子が写りこんでいた。端の方ではあるがレンズからそう遠くないので、わりかし画質も鮮明である。
ちょうど上半身を曲げ姿勢を崩したところだ。振り返りざまの涼しい眼差しは――己が被写体の一部として写りこんだことに気づいたのか――あたかもカメラ目線になっていた。
「べつに狙って撮ったわけじゃなかったんだけどね。なんというか、この子のことがとても………気になって」
「……はぁ?」
つい呆けた声を返してしまったものの、
「マサミネくんそれって……ひ、一目惚れってこと?」
江ノ島さんがわかりやすく目をキラめかせていた。ついでに、珍妙な渾名を付ける癖も発動したらしい。
マサヲはというと、「マサミネ?……ああ、ボクか」と一拍遅れで己のことを呼ばれたと了解し、
「そうだね、そう言えないこともないかな。ただほら、一目惚れだって、知り合ってみないと解らないことも多いしね。その前にまずは彼女の情報が欲しいっていう段階なんだよ」
「うんわかる! そういうのってあるよねッ」と言っている江ノ島さんだが、はたして彼女にもあるのか。あるとすれば江ノ島さんを一目惚れさせた男は、どんな
「そんなわけで、探すのを手伝って欲しいんだけど。どうかな?」
「よし、決まりだな」おれは笑顔で言った、「断るか」
「あはは、やっぱり?」
当人もそれを予想していたようで、苦笑しながら首の後ろに手をやった。
「当たり前だろう……同じ学校ったって何百人もいるんだ。その中から1人を見つけるなんて至難の業だし、そんな理由で探された方も迷惑だろう。第一、幸せとは何も関係ない…」
「ま、待って下さい」
写真を押し返そうとするのを引き止めたのは、意外にもミホカだった。
「わたし思うんです。学校で経験したことって、全部、大事なんじゃないかって」
「というと?」
伊勢川ミホカは生まれて初めて切符を自動改札に通す乗客のように、おずおずと、
「勉強や部活も、もちろん大切だと思うんですけど……そのために色んな人たちが集まるのって、特別なことだと思うんです。そういうところはリアルも、ネットと同じというのか…。たしかに付きまとったりしたら迷惑だろうけど、誰なのか知るくらいならいいんじゃないでしょうか?」
「そうだよね! 昔から、ラブストーリーは突然だっていうもんねっ」
江ノ島さんのピント外れな喩えが炸裂したように聞こえたが、これは措いておくことにする。
「要するに、人探しを手伝いたいと?」
ミホカは頷いた。
多数決とすれば、賛成3、反対1、棄権1といったところで――。民主主義の精神に則れば、結論は出たらしい。最大多数の最大幸福、というやつだろうか。まったく、おれみたいな少数派の幸福もちっとは考慮して欲しいところだぜ。
「やれやれ……分かったよ。やるだけやってみよう」
「! はいっ」
しかしミホカは誤解しているかもしれない。あの金峯マサヲのことだ、どうせ大して本気じゃないんだろう。誰かと付き合ったような話はまだ聞いたことがないが、ニヒリストが道化師の仮面を付けたような彼が、色恋沙汰に熱を上げるところは想像つかない。
……いやでも、そう見えるだけか? こういうやつに限って案外、『恋は盲目』という慣用句に忠実だったりするのかもしれない。友人の恋愛観なぞ知りたくもない、と、いうこともないが。
「では早速。皆さんは、誰か心当たりありますか?」
「う~ん、見たことないなあ…。あさみゃんは、ある?」
「あたしも、知らない……」
人脈の多そうな江ノ島さんが知らず、日頃から人間を観察してしそうな浅間も心当たりがないんじゃお手上げだ。いわんや、転校してきて間もないミホカに見当がつくはずもない。
「まかちゃんは?」
むろんおれにも憶えはない。この写真で見ると曰くありげな視線を投げかけているようにも見えるが、そんなのは錯覚で、どうせ思春期女子に特有な自意識過剰の
「いや、待てっくれ」
平面なんだから実物と一致するはずもないが、斜め下から見た時に何か、頭に電流が走ったような感覚があった。
整った顔だち。
ちょっと気が強そうで、赤みがかった目。
大人びた身体を、無理矢理に矯正させられたようなアンバランスさ。
『この娘、どこかで――』
記憶の中のぼやけた像が、焦点を結ぶ。
「あ」
「どうしました?」
確証は持てなかったが、
「今日会った先輩に、似てるかも」
「本当に!? 誰だいそれは?」
マサヲが食いついてきた。思った以上に真剣な反応で、おれの方が驚いてしまう。もしかして、わりと本気なのか?
「いや廊下で偶然、鉢合わせただけだよ。たぶん――」
拾ったプリントに印刷されていた文字が脳裏に閃く。学内で、あんな書類を扱う学生組織はひとつ。
「生徒会役員だと思う」
●
その後、ミホカの「じゃあ今日帰る前に、確かめに寄ってみませんか?」という鶴の一声がかかって。
我々は長い廊下の中途にある、壁の一部が凹んだところ(名前なんていうんだ?)に身を潜めていた。卒業制作らしき前衛的なオブジェや、衝立の掲示板が置いてあったりする場所だ。
「あ、いまの?」
「えっ、どこですか?」
「さっきのかい? あれはどう見ても、別人だよ」
コソコソと、いかにも怪しげに見える3人。この位置からなら、生徒会室に出入りする人々の様子を窺うことができる。
「…………」
おれはというと、そこから一歩離れて立っていた。こうしていれば、彼らと無関係に人待ちでもしてるように見えるのではないかという淡い期待もある。
ふと見れば、浅間も集団に加わらず、反対方向に目をやっていた。
「どうした? まさか、また災いとかいう化け物が――?」
「死角のチェックをしておこうと思ってな……。ふくく、偵察任務ならあたしの得意分野だ。抜かりはない」
これはこれで、相当に乗り気だった。
「はぁ…。今日はいないのかもしれんよ。おれの勘違いってことも、ありえるし」
聞く耳を持っているとは思えなかったが、3人の後ろで呟いた。あまり長居すると教師や、当の生徒会役員たちに見つかる危険性も高まる。そろそろ撤収すべきではないのか。ただ単に早く帰りたいだけってのもあるけど。
「あっ」
「え?」
ミホカが声を出したので、釣られてそっちの方を見た。
「あれ、シントさんの言ってた方では?」
姿勢を低める。小声に促されて見れば、そこには。
1人の女子が生徒会室のドアの前に立ち、やって来た数名の生徒に受け答えしていた。写真の人物に相違ない。
「ああ…そうそう。あれだよ、おれが逢ったのは」
「本当……キレイな人」
江ノ島さんがそう呟いたのも
一度廊下でぶっつかったおれからしてみると、どうも取り澄ましたふうにも見えるけど。
「モデルみたいー」
「本当ですね。……シントさん?」
つい視線を奪われてしまっていたようで、彼女の呼びかけで我に返った。
「え? あ、ああ、そうだな。これは思ったより手強いんじゃないかね。どうだマサヲ?」
今回話を持ち込んだ友人に振る。と、金峯マサヲは直立したまま顎に指をかけ、彼女の方を見据えていた。
そういえば、マサヲは一応美術部だったっけ? こいつが絵を描いてるところを見たこともなかったが、尋ね人を前に、険しいくらいに目を細め、モティーフとしての真価を見極めようとしているように見えた。
いや、そういうわけじゃないか? 仮に画家の視線と繋がるところがあったとしても、十中八九そいつは
不意に背を向けて、反対方向に歩きだした。
「?」
残されたおれたちは顔を見合わせたが、すぐにその場を離れて追いすがった。
「どうしたんだよ」
「ダメだね」
「ダメ?」
「ああ。本人だとは思うけど、写真で見たのとはだいぶ雰囲気が違ってたよ。髪型だって変わってるし」
「そんなの、付き合ってから変えてもらえばいいだろう。ま、そこまで行けたらの話だけどな」
さっきまであんなにご執心だったのに、実物を目の当たりにした途端に怖じ気づくとはこいつらしくもない。ちょっと焚きつけてやろうかとも、思ったんだけど、
「なるほど。時にシント、君は女の子と付き合ったら、自分の好みに合わせてくれって頼める方かな?」
「………いや」
質問が撥ね返ってきて口ごもる。
あいにく経験がないので想像するしかなかったが。相手にもよりそうだけど、なんか無理な気がする……。
「僕は頼める」
「っておい」
いまの質問はなんだ。
「ついでにシントの分も頼もうか?」
「何をだ」
ますます解らなくなってくる。痛切に、哀切に。
それもいつものことか。
後ろで女性陣が楽しそうに談笑する中。いち早く昇降口に到着したマサヲは、誰のとも知れぬ下駄箱を眺めて、
「いいんだよ。あそこにいると解っただけでも、目的は果たせたから」
「?」
よく解らんやつだ。
ま、だからこそ、おれなんかの友達でいられんのかもしれないけど。
●
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