第21話 時の旅人

 友達との下校途中。空は、ほのかなグラデーションを描く青色だった。


 左手ゆんでには高架線が長々と続き、右手めてにはだだっ広い空き地が広がる。

 空き地とはいえ、所々に高層マンションなどが出来ていて、これからもっと開発が進んでいきそうに見える。

 けど、いまはまだ地平線の彼方が見えそうだった。いや実際には建物で視界が遮られているけれど、青い空があんまり広々と続いているので、地平線が――それとも水平線が――見えるように錯覚してしまうのだった。


「なんだか、想像できないな」


「何が?」


「こういう毎日が、いつか終わるってのがさ。朝から教室に集まって、毎日新しいこと勉強して、放課後はくだらない話をしながら家に帰る。それから宿題やって、夜にはネットやテレビで見つけた話題を、シントやなんかに送ったりする。……こういう当たり前の日々が、いつかは終わってしまうって。そんなの、想像がつかないと思って」


「急になんだよ。卒業なんて、まだ先の話だろう?」


 マサヲは苦笑いして、


「そうだね。でも、やり残したことっていうのは、終わった後でないと気がつかないものだろう? なのに気づいた時には、もうその時には戻れなくなってしまっている。こんな不条理、信じられるかい?」


「…………」


 本当言うと、おれだって信じられないところはあった。例えばもうすでに小中学校に戻ることはないわけだが、それでさえ、なんだかすごく嘘くさい。


 べつに戻りたいわけじゃないんだ。けど、ちょうど休み明けの朝に目が覚めて、『ああ今日学校だっけ? 行かなきゃなぁ…』と感じる時みたいに、卒業してからも特別な登校日が用意されていて、我々は再び学校に行くことになるんじゃないか? その日だけは全てが元に戻ってて、あの頃と同じように一日を過ごさなければならない。でも次の日からはまた大人に戻って、おのおの他の生活に戻っていく……みたいな。なんだか、そんな気がすることがあるんだ。


 おっと、余談だったな。いまはそれどころじゃなかった。現在進行形の問題に、取り組まなくてはいけないからだ。


「前置きはこれくらいにして。そろそろ、話してくれたっていいんじゃないか?」

 悠々と隣を行く友人に、催促した。


「まあそう慌てずに。正直、僕も何から説明したらいいか困ってるんだ」


「そうかい。でも、おれの知りたいことは単純だよ。今朝おれが見た夢はなんだったのかってこと。まるで一瞬、未来に行ったみたいで――」


「それは朝にも言ったとおりさ。シントの魂が時間から遊離して未来に誘いこまれ、囚われてしまったんだ。だから引き戻させてもらった」


 解ったようで解らない説明だ。そもそも、

「未来ったって……ただの夢だろ? 本当に未来へ行ったわけじゃない」


「なら訊くけど、もしそのまま目が覚めなければ、どうなっていたと思う?」


「それは………あっちの方が現実だと、錯覚した」


「だよね? それが、魂が未来に行くってことだ。本当は何も経験などしてなくて、途中の過程を全部すっ飛ばしてるのに、それに気づかない。『自分は本当にこういう人生を送ってきた』と信じこんでしまう。魂の錯誤だ。みんな知らないだけで、そうやって大人になってしまう人間も多いんだよ」


 たしかに、あそこに至るまでの記憶もちゃんとあったから始末が悪い。高校を出て、無事に第一志望の大学を卒業し、あの会社で働き始めた。そしてこれから誰かと結婚するところで、人生が万事うまく行っていると。

 本当に、そう感じていたのだから。これぞまさに一炊の夢、ならぬ一睡の夢か。


「あのさ。今日は朝から魂がどうのって言ってるけど、お前も浅間澪那や江ノ島ひとみと同類ってことでいいのか?」


「そうだな。一応、イエスだ。少し事情が異なるところもあるけどね」


 少しくらい事情が違ったって、困ることは何もない。そんなことに構うには、もう不思議な体験をしすぎている。

 だから或る程度、こうなった原因も予想がついている。


「じゃあ、おれの魂が未来へ行ったのも、ミホカが原因ってことになるのか? なんだか知らないけど、みんな寄って集って、あいつがおれにくれた魂に秘密があるんだって言うんだけど」


「それは―――」


 てっきりYESと即答すると思われた友人は、目を細め横顔を向けた。

 本当に何かを言うべきか迷っている様子だった。あの金峯マサヲが、である。

 やがて決心がついたらしい。彼が厳かなムードで口にしたのは。



「彼女は本来、存在しない。伊勢川ミホカは、この世界に、生まれてこないはずの人間なんだ」



「?」


 マサヲの発言に対しておれが浮かべたのは、純度100%の疑問符だ。

 だってそうだろう? 「生まれてこないはず」と言ったって、伊勢川ミホカというのは疑いもなく、おれの身近に生存している人物なんだから。マサヲの発言は訳が解らないどころか、意味さえ通じない。


「何言ってるんだ? ミホカなら、現にああして存在してるじゃないか。今日だって学校で一緒にいただろ?」


「いや。彼女は本当なら、絶対ここにいなかったはずの存在なんだよ。僕には解るんだ。だって、僕は未来からやってきたんだから」


「は………?」


 口をあんぐりと開けた。


 まず意味をとるのに2、3秒。そこから思考を働かせ何らかの結論を出すには悠久の時を要した。

 脈絡が付かないままでいると、金峯マサヲはそのままの調子で語り始めた。


「今から、かなり先の未来。世界はものすごく、とんでもないことになる。ありていに言うと、人類は滅亡する」


「………?!?」


「人間にとって幸運だったのは、すでにタイムスリップの技術が完成し、時間遡行ができるようになっていたことだ。あわやというところで、滅亡する前に戻ることができた。

だけど、ただ待っているだけでは人類が絶滅するのは避けられない。そこであらゆる時代の、あらゆる可能な分岐をシミュレーションし、『どうすれば人類は滅ばずに済んだのか?』を、徹底的に洗い出した。その結果、」


 前を行き背中を向けていたマサヲが、こちらに向き直る。


「やっと一つだけ、人類が滅亡せずに済む可能性を見つけた」


「それは?」


「伊勢川ミホカだよ」


 いつの間にか話に引きこまれてしまっているおれへ、聞き慣れた名前が返ってくる。マサヲは続けた。


「世界は人々の選択によって、幾通りもの在り方に変化するからね。こうして僕と君が出会っている世界もあれば、出会っていない世界もある。そんなふうに現実は、無限とも言える可能性へと分岐している。

そんな中で、たった一つだけ人類が滅びずに、その先もずっと続いていく世界があった。その世界とその他すべてとの違いは何か。それはということなんだ。それがここ、この世界だよ」


「この世界? いまおれたちがいる、この世界か?」


「そう」


 マサヲは、射貫くような眼差しをおれの目に向け、


「なぜか伊勢川ミホカが産まれた世界だけは、人類が絶滅せずに、生き延びることができるんだ。彼女がいれば、世界は救われるんだよ」


「どう………して……?」


 引きこまれるを通り越して、呑みこまれそうになっているのに気づき、頭を引っ掻いた。

 ミホカが生まれていれば、人類が救われる? なんで? どうして?

 が、このまま呑まれてしまってはいけない気がした。


「いや、ちょっと待て。やっぱり駄目だ、ワケがわかんねえよ」


「何が解らない? この時代のキミには、話が難解すぎたかな」


「そうじゃない。お前がいた未来ではミホカが生まれてなかったけど、この世界では生まれてた、そこまではいい。要するに、そういうふうに分岐したっていうか、そういう世界なんだろここは。選んだ選択次第で結果が異なるなんてのは、ゲームなんかでよくあることだからな。

けど、だからなんなんだ? あいつが生まれてたら何ができるって言うんだよ? 将来、何かすごい薬でも発明でもするのか? それとも政治家になって、世界大戦を止めるのか?」


 何かと不思議なやつだからな。努力家で行動力もあるし、そこへ幸運が味方すれば、世界史に名を刻むような偉業を成し遂げたとしても意外と納得できてしまう。

 でも、それが全世界を救う、救世主規模の奇跡だとしたらどうだ? さすがに想像がつかない。

 だが、友は直接質問に応えることはせず、ゆっくり首を振った。


「残念ながら、それは僕にも解らない。彼女についてはデータが無さすぎて、シミュレーションすることさえ叶わなかったからね。どうして彼女がいれば、人類は破滅をまぬがれられるのか――それを知るためにこそ、僕はこの世界に送りこまれたんだよ」


 しばらく、青空の下を沈黙が支配した。

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