江ノ島ひとみは楽しみたい

第14話 コンピラ先生の目論見

 そして、それから。

 その晩に食べたカレーうどんは、ほとんど喉を通らなかったが、あんなことがあった後ではそれも道理。


 次の日の朝はいつもと同じ時刻に起きて、いつものように家を出て、いつものように登校した。変わらない日常に復帰しようとする人間の(というか動物の)習性というやつかもしれない。


 で。あっという間に放課後になった。


『さあて。今日は……と』


 今日はまだ、伊瀬川ミホカに会っていない。

 学年どころか校種まで異なるので、どちらかにその意志がないかぎり、顔を合わせずに一日を終えることもできる。

 しかし、おれも昨日見つけた空き教室のことがちょっと気になっていた。浅間澪那から聞いた妙な話を真に受けたわけではないけれど、帰りがけに確かめに行ってもいいかもしれない。


 と。

 どうやら考えることは同じだったようだ。廊下に出て歩きだしたところで、むこうから歩いてくる人影を発見した。


「あっ、シントさん!」


 駆け足になるミホカの、明るい笑顔が炸裂した。これは1日の疲れも吹き飛ぶというものである。


「それに、澪那先輩も?」


「澪那?」


 声の向けられた先へ振り返ると、おれの後ろ3メートルくらいの位置に、浅間澪那がいた。


「うぉ?! い、いたのか」


「……うん。昨日、麻賀多くんから許可をもらったから………。迷惑だった?」


『許可?』


 何のことかと思ったけど、はたと思い当たったのは、おれとミホカを「観察」するという許可のことである。

 まさかそれが、こういうこと(放課後に尾行してくること)まで含んでいるとは思わなかったけど。


「いや、大丈夫。でも今度から、ついてくる時は言ってくれるかな?」


「わかった(コク)」


 ミホカはちょっと不思議そうな顔でおれたちの寸劇を見守っていたが、それが終わったのを見てとるや、


「そうそう。昨日の空き教室のことなんですけど、2人ともこれからお時間ありますか?」


「?」




 ミホカに連れていかれた先は、国語科準備室だった。

 ここは職員室とは別に、国語を担当する教師が詰めている場所だ。脇の棚には大判の日本語辞典を初め、古典や近代の文学全集などが置いてある。

 ということは。


「みんな、はろはろ~! 放課後も元気にしてるかなー?」


 このとおり、我らが担任教師がいる場所でもある。コンピラ先生、もとい琴平実沙枝は椅子を引き可愛らしくピースをしておれたちを迎えた。

 おれもそれに応じ、軽快に挨拶することにする。


「はい元気です実沙枝先生。ところで先生のその挨拶ってどうなんですかね。帰りのホームルームもいつも『はろはろ! みんな今日も一日楽しかったなー?』って始まるけど、さすがに痛々しいというか。先生が昔、幼稚園の先生になりたかったのは知ってますけど、それを高校でやられるのは公私混同だし何より年齢的に無理が……ぐゥ!?」


「何か言ったかなシントくーん? 頭のこのへんに健康にいいツボがあるんだけど、知ってるかなぁあ?」


「琴平先生の素晴らしい教育理念に感服していると、そう言いました。こんなに若くて瑞々しい先生から勉強を教わるなんてぼくらはしし、幸せ者だなあ!」


 おれは琴平実沙枝の生徒になれたことを、心から讃えた。素晴らしい学校で素晴らしい教師に出会えるのは、なんと素敵なことだろう。


「よろしい。では君たちに、これを授けよう」


 居ずまいを正して実沙枝が手渡したのは、古ぼけた一冊のノートである。

 表紙には《電気通信部 活動記録》と書いてある。


「電気通信部?」


「そうよ」


 無事渡し終わって安心したのか、ずずず、コーヒーを口に運んでくつろぐ実沙枝。


「えっと、昨日、職員室で困っていたら、コンピラ先生がどうしたのか訊いてくれたんです。シントさんの担任の先生らしいので、いろいろお話をうかがってました」


 実沙枝より先にミホカが口を開いた。うちの担任を愛称で呼ぶあたり、早速うち解けているらしい。彼女はあまり下の名前で呼ばれたくないようなので、そう呼ぶよう言い含めた可能性も高いが。


「もしかして――」


 おれの脳裡に、昨日浅間に連れていかれた先で見た、段ボールに入っている古そうな機械類を思い出した。それから当時はかなりハイスペックだったと思われるデスクトップパソコン。


「あの離れにある部屋、この電気通信部ってとこが使ってたんですか?」

 受けとったノートから推察したことを確かめると、


「そういうこと」


 可愛らしくウィンクを返す実沙枝。悔しいが、いまの角度はちょっと良かった。


「実は私、去年までそこの顧問だったのよ。だけど最後の3年生が卒業しちゃって、電通部は廃部になったの。で、使われなくなった部室だけが放置されてるってわけ」


「……でも、部屋の中の看板には、《幸い部》って、書いてあって……」


 俯きがちに、口を挟んだのは浅間だ。あそこを「幸い部」だと思いこんでいた手前、納得できないところがあったのだろう。


「ああ、あれね? あれはたぶん、昔の電通部の部員がイタズラして作ったのよ。確証はないけど、私が顧問になった時にはもうあったから」


「へぇ」


 動機は不明だが、納得はできる。《幸い部》なんて謎な名前のクラブが存在してたっていうよりはね。


「電気通信部って、何をしてたところなんですか? 電気で通信だから、インターネット?」


「ちっちっちっ、それが違うのよ伊勢川さん。昔はアマチュア無線って言ってね、無線のデッカい機械を使って、趣味で遠くの人たちと交信してた人がいたのよ。けどネットも携帯も普及したし、そんなの使う必要もなくなって、学校にあった電気通信部も多くは廃部になってしまった。ま、うちも最後の方は、無線からパソコン通信に切り替えてたんだけどね」


(おれが「つまり、実沙枝先生の青春時代ですね?」と確かめると、「残念でしたー、私の頃はポケベルもPHSもありましたあ!」と言ってツボを刺激されたことである。)


「で、こっからは先の話。あなたたち、新しくクラブを作る計画があるそうじゃない?」

 ここへ来て美沙枝は至極、気持ちのいい笑みを浮かべた。


「いや、計画というほどでは……」


「だったら、あの部屋を割り当ててくれるよう、許可をとってあげてもいいわよ? 内容次第では、顧問もやってあげなくもないわ。あんまり指導の大変な部活に回されると嫌だし、私も居心地の良い部屋が使えなくなって残念……じゃなくて、このままずっと放置しとくのも管理上問題あると感じてたし。どうどう? 引き継ぐ気ない?」


 少々(いやかなり)本音が漏れた気がするが、コンピラ先生はニコニコしながら告げた。さも『自分が一肌脱いてあげるから喜びなさい』という御気色なり。

 ふとミホカの方を見ると、


「あっ……ダメでしたか?」

 指と指を合わせ不安そうに、上目遣いに見返された。


「ダメではないけど」


 まさかここまでトントン拍子で事が進むとは思っていなかった。要領がいいというか、運が良いというか。おれが言うのもなんだけど、なんか変わったやつだよなミホカって。


「何々? 音楽性の違い? 大丈夫?」


 心配そうに(興味深そうに?)覗きこんでくる琴平実沙枝。「大丈夫です、結成はこれからなので」と答えておいた。

 実沙枝は空になったコーヒーをデスクに置き、


「何やるんだか知らないけど、なんでもやってみるのはいいことだと思うわ。しばらく引き継ぎ作業っってことであの部屋使わせてあげるから、いろいろ試してみて、続けられそうだったら、計画書にまとめて提出して? クラブの申請に通りそうかどうか、見てあげるから。

伊勢川さんは中等部だし、麻賀多くんと浅間さんは先輩としていろいろ教えてあげること。いいかしら?」


 最近そういうのは流行らないんだがなあ、と辟易しつつも、「はーい」と3人で声を合わせた。ミホカの瞳も、心なしかワクワクした光を湛えている。


 フム、仕方ない。

 せっかく浅間澪那が発見していた場所だ。そうそう学園ドラマや日常系アニメのようなワクワク体験はできないと思うが、せいぜいリラックスできる居場所として活用してやることにしよう。これも何かの、縁というやつかもしれないしな。


     ○

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