第13話 夜の公園にて

 夜の公園。

 外灯の白い光が、夜の闇を削ってくれている。

 奇しくも夏休みに、おれがミホカと再会した公園だ。ただし場所はその時と異なり、池の傍にある東屋だった。


 あれからおれが立ち直るのには、結構な時間を要した。

 そのあいだ、浅間澪那が付いていてくれた。彼女がいなければ精神的に、いや、肉体的にもどうなっていたかわからない。

 池の水面に白い灯が映りこんで、落ち葉と一緒に揺れていた。『何も起こらない』というそれだけのことが、人の心を落ち着かせてくれるものだとは知らなかった。


「わるいな、こんな時間まで」

 やっと声を、出した。


「ううん、平気。あたしには、麻賀多くんのことが一番大事だから」


「そうか……。…あ」


 携帯に通知が入っていたことに気づいた。江ノ島ひとみからクラス全体に向けてだ。開くと、「クラス会のお知らせだよ☆(withうさぎのスタンプ)」と書かれ、場所と時間が記されていた。

 マサヲからはプライベートの方に「僕は最後だけ顔を出すことにするよ。そちらはご自由に」とメッセージがあった。

 おれがあんな目に遇っているあいだも、地球は平常運転を続けていたらしい。


「どうかした?」


「ああいや。今日うちのクラスで集まりがあって……そうだ、伝え忘れてた。これ使ってないの浅間だけなのに。ごめんな?」


「ううん、大丈夫。知ってても、あたしは行かなかったから」


「そ、そうだよな。そうだった」


 浅間は前からこういうやつだったっけ。でも、こういう時はそれが心強く感じられ、なんだかありがたくもあった。

 そのおかげか、ようやく普段の調子が戻ってきて、本題に入ることができた。


「あのさ。さっきのは一体……なんだったんだ?」


「あれは、災い」

 ベンチに座る浅間が、表情を動かさずに答えた。


「ワザワイ? あの化け物が?」


「そう。あれに遭遇して、何もできないでいると……人間は、不幸になってしまう」


 あまりにも漠とした説明だった。あんな化け物にでくわしたこと自体がすでに不幸だと言いたいところだけど、浅間が言ってるのはそういうことじゃないだろう。天然ボケならともかく、あえて冗談を言うような子でもないし。


「不幸って言ったってな……いろいろ種類があると思うけど、どんなことになるんだ? その、具体的には」


 浅間は具体例を想像したのか、わずかに眉を顰めながら、


「人それぞれだけど、どれも深刻だよ。事故とか事件に巻きこまれたり、性格が豹変して他人を傷付けるようになることもあるし………最悪の場合、本人や、周りの人間が死ぬ」


「死―――」


 息を呑んだ。

 あんな化け物に襲われて死ぬなんて、まっぴら御免だ。昨日までならごうも信じられなかっただろうが、さっき現実に遭遇した身としては非常な真実味を感じた。あのワニやカバより大きな口で食われて、まさか無事に済むはずがあるまい。

 あれを「災い」と呼ぶのだとすれば、合点がいく。


「でもさ。浅間はあの化け物を、なんか杖からビビビって出してやっつけたじゃんか。あれは?」


「あれは、あたしの――魂の力」


「タマシイの、チカラ?」


 ちょっぴり誇らしそうに言った浅間澪那に、おれは文節の切り方が正しいかさえ解らずに問い返す。


「うん。わたしたち人の魂には、元々ものすごいパワーが眠ってるの。それを解き放って、練習すれば、あんなふうに身を護ったり、災いをやっつけたりすることもできる」


 彼女は魔法使いとしか思えないような恰好で地面の上をスイスイ滑り、宙を舞い、凶暴なバケモノを桜の花びらで埋め尽くして退治した。

 あの摩訶不思議な力が全部、おれたちの魂に眠ってるって?


「タマシイって、あの魂でいいのか? 人の身体の中に入ってて、なんていうか、心の源みたいなイメージのある……」


「うん。そう」


 我ながら貧しい想像力だったが、それで当たっていたらしい。おれとしては、漫画っぽいイメージでそれっぽいことを言ってみただけだ。正直なところ、彼女の話には納得できないことが多すぎた。


 こういう時、できる選択はひとつである。ひとまず『そういうものなのだ』と考えて話を先に進めること。

 おれは背もたれに身を預けた。


「ふうん。魂っていうと、墓場に飛んでる人魂みたいなのを想像してたんだけどな。じゃああれか。あの桜の花びらみたいな魔法が、〝浅間澪那の魂〟っていうことになるの?」


「うん、そうだよ。あたしの場合は、魔法使いのイメージが強かったみたいで、あんなふうになったけど………ふふっ、これも小学生の頃から、毎日のように魔法を独学し、練習していたおかげだな……」


 途中から理想の魔法使いになりきって語る彼女は、なんだかちょっと嬉しそうだった。

 これまで浅間澪那が学校で見せていた奇妙な言動にも、それなりに根拠があったということらしい。やっとそれをおれに示すことができて嬉しいのかもしれない。さっきもカッコイイところを見せたかったとか何とか、こぼしていた気がしないでもないし。


 が。そこまで聞いて、不意に思い当たったことがある。

 おれはすかさずベンチから身を起こして、


「なら、あのけんも?」


「剣? あ――」


 もちろん、おれの目の前に突如として現れたナゾの剣のことだ。

 あの虹色の剣があったからこそ、2匹目の化け物を倒し、浅間を助けることができた。

 自ら成したことながら実感が湧かないというのが正直なところなのだが、彼女の説明からすると、あれも少年マンガ的で摩訶不思議なエナジー、「魂の力」とやらの発現だと考えた方がいいのではないか?


「うん、あのツルギもそう。私の杖や、魔法と同じで、麻賀多くんの魂が形になったもの………なんだけど………」


 答えてはくれたものの、どうも歯切れが悪い。視線を膝に落として、考えこむように沈黙してしまった。


「なんだ? 何かあるなら、隠さずに言ってよ」


 促されて、おずおずと口を開く浅間。曰く、


「予言では、虹色の剣をもつ人が、大災を討ちはらうと言われているの。彼のおかげで、あらゆる災いはこの世から滅び去り――人々は皆、幸福になる、と」


「ふうん……………え?」


 意味を理解して、彼女の方を見た。

 浅間は相変わらず整った顔で、おれのことををじっ、と見つめていた。


「〝虹色の剣をもつ人〟って……もしかして、おれのこと?」


 浅間はコックリと頷いた。

 当然。おれは大袈裟なくらい、手と首を大きく横に振ることになった。


「いや……いやいやいや。おれはただ、目の前に変な剣が出てきたから握ったってだけで。それ、絶対に人違いだよ。何より、あの剣がおれの物だって決まったわけじゃないだろう?」


「でも、あたしを襲った災いを、あれで倒してくれた」


「それは………」


 倒したという表現が適切かどうかも判らないけれど、あの剣で化け物を突き刺したら跡形もなくなったのは確かだった。いまも掌が、そのなんとも言えない感触を覚えている。


「きっと、あの剣には――麻賀多くんの魂には、ものすごい力があるんだと思うの。並みの災いからなら、何もしなくても護られているし、麻賀多くんにそのつもりがあれば、どんな強敵だってやっつけられる」


「…………」


 そいつはいったい、どんな反則級の最強主人公が持つ伝説の剣なのか。

 正直、主人公だけがやたら強い話とか、そういうのあんま好きじゃないんだよな。どっちかというと癖のある脇役や、美学のある悪役に惹かれるタイプだ。で、主人公は主人公で、そいつらと困難を乗り越えて強くなっていって欲しい。

 話を戻すと。


「そう言われてもな。あんなキラキラ光る剣、おれは見たのも初めてだったんだぞ? あの剣がおれの魂だっていうんなら、これまでにも同じようなことがあって良かったんじゃないか?」


 浅間は学生鞄を近くに寄せた。そこに彼女の考えが、めいっぱい詰まっているとでもいうように。


「それには、伊勢川さんが関係してるんだと思うの。いま麻賀多くんの魂は七色に耀いてて、伊勢川さんの魂とよく似てるから。麻賀多くんの方が、ちょっと荒々しいけど」


「ミホカと?」


 なぜここで、伊勢川ミホカが話に出てくるのか。

 困惑するおれに構わず、浅間澪那は灯りに照り映える顔をこちらに向けた。真相を見極めようとするみたいに、瞳を細め、


「だからあたし、『伊勢川さんが麻賀多くんに魂を分けたんだ』って思ったの。夏休みに彼女と、魂触りの儀式をしてね」


「魂を分ける? ……ああ、そういえば」


 タマシイ――ワケル――タマフリ――。


 どうやら、放課後に学校で聞いた話に戻ってきたらしい。てっきり小説か何かの話だろうと思いこみ、すべてフィクションだと断じてしまったあの話題だ。


「学校で言ってたな。要するに、おれがミホカから魂を分けてもらってたってことか。だからピンチになった時、そのチカラを使って化け物を退治することができた、と」


 頷く浅間。たしかに事の順序というか、筋道は通っている。

 その話が本当なら、あの七色の剣や魂は、もともとミホカの物だったということになる。自分にあんなヘンな力があったと言われるより、その方がまだ信憑性がある気がした。


 けど、それはそれで別な問題も発生する。なんでミホカにそんな珍しい魂が宿ってたのかとか、何のためにおれに分け与えたのかとか。明日あたり本人に『やあ、おれに君の魂を分けてくれてありがとう。おかげで助かったよ!』と言ったとしたら十中八九、変な顔をされることだろう。

 平穏無事な日常を送るためには、こういう常識外れなことはあまり口外しない方が良さそうだ。


「だからね。麻賀多くんは、伊勢川さんから魂触りを受けた憶えはない?」


 しかし浅間は真相を知りたいらしく、上半身をひねって訊いてくる。

 彼女がここまで、おれ個人の事情に首を突っこんでくるのは珍しい。というか、はじめてだった。どういう心境の変化だろう。


「そんなこと言ってもなあ。その魂触りって、どんなことするんだよ?」


「それは………あたしもやったことないから、よく知らなくて」


 ここへ来て、浅間は頬を少し赤らめた。どうやら肝心な「魂触り」とやらのことを、よく知らないのを恥じているらしい。せっかくここまで、淀みなく流暢に説明したのにな。


「なんだ、浅間も知らないのか。だったら判断しようがないけど、多分してないと思うよ」


「本当? 夏休み中にも?」


「夏休みねえ。そりゃああいつと再会した時は驚いたけど、時々会って遊ぶだけで、特別なことは何も―――ッ」


 そこで、咄嗟に口をつぐんだ(というか、手で押さえた)。

 忽然と。

 口に甦ってきた、奇妙な感触。

 ミホカとの――予期せぬファーストキスの、感覚。


「? どうかした?」


「あ、や……な、なんでもない。とにかく、浅間が言ってるようなことは何もないよ」


 自信をもって断言した。そんな怪しげな黒ミサみたいなことは、何も。


「そう………。でも、なんだか気になるから……今後は、ふたりのこと観察させてもらうね」

 彼女にしては珍しく、己の意志をハッキリ口にした。


「観察って、おれたちを?」


「うん。ふたりのこと、護らないといけないし。伊勢川さんも同じ剣を使えるのかどうか、知りたいから」


 浅間には悪いが、たぶん彼女はあの剣を使ったことがないだろう。

 日常生活でそんな機会ないというのもあるが、おれには到底、伊勢川ミホカが《魂の力》とかいう超パワーを使いこなしているとは思えないからだ。


 けれど、もしさっきみたいな脅威に再び襲われたとして、おれだけで何とかできる自信もなかった。その時またあの七色の剣が出てくるって保証は、何もないんだから。


「……わかった。お願いするよ」


 おれは承諾した。そうするより他に方法がない。〈災い〉とやらを退治するための特別な組織だとか部隊だとかがあれば別だが、それこそ少年マンガの世界だろうし。


「うんっ。麻賀多くんたちのこと、きっと助けるから……心配しないで」

 浅間は弾みが付いたように立ち上がった。



 それからおれたちは、言葉少なに夜の公園を歩いたが、敷地を出てしばらくしたところで足を止めた。


「どうかした?」


「ああいや――」おれは言った、

「あの時さ。化け物がばかでかい口を開けて……その時、口の中に自分自身の姿を、見たような気がしたんだ。自分の人生が全部、映像になって流れてるって、いうのかな。あれって、なんだったんだろう」


 自分の中で、整理し切れないものがあったのだと思う。不用意に踏んで、こびついてくるガムみたいなものだ。化け物のことは浅間がよく知っているみたいだったから、あの幻覚の仕掛けとか魔術的な原理とか、そういうRPGチックなことを聞いて、安心したかったのかもしれない。

 けど、浅間澪那の返答は意外なものだった。


「………そんなところに、麻賀多くんの人生は、ない………」


「え?」


「あれは、災い。自分ではない生き物の口の中になんかに、貴方の人生は、ないと思うの」


 意味深な答えだった。


「麻賀多くんが本当にすべきことは、麻賀多くんだけが知っている。他の人間や、生き物のことは、関係ない。それに気づいた時、はじめてあたしの魂は解放されて、魔法を使えるようになった。だからきっと――麻賀多くんも」


 2人で眼差しを交わし合ったが、いろいろ喋りすぎたと思ったのか彼女の方から視線を外し、「あ、あたし家、こっちだから…」と吃りがちに言い残して駅の方へ向かっていった。

 浅間が人混みに紛れていったのを見届けて、おれも反対方向へ、舗装された歩道を行き始める。




 今日一日、起こったことを振り返ってみた。

 夏休み明け初日におれを待っていたのは、ネットで知り合いだった女の子がうちに転校してくるという仰天イベントで。しかも、クラスの友達が魔法使いだったというサイドストーリー付きだ。その手の現代ファンタジーはもう流行らないって、誰かが言ってた気がするのにな。


 けど、それでも―――。

 七色の剣は、おれの前に現れた。伊勢川ミホカが、世にも珍しい魂を分け与えてくれていたおかげだという。


 もしこれが少年マンガだったら、きっと主人公は特訓を重ね、《魂の力》という妙な技――おれの場合は七色の剣――を使いこなして戦うようになっていくんだろう。小中の頃だったら憧れていたようなシチュエーションだ。

 しかしさっきも言ったように、ここは現実世界だ。そのせいで浅間澪那と一緒に山奥に修行にでも行くことになったら、おれは高校に休学届けを出さないといけなくなる。下手したら単位不足で留年することになるかもしれないんで、そういう面倒な展開は御免蒙りたい。


 でもまあ。ミホカってのが空から降ってきたり、身体が入れ替わったりする少女ではなく、単にネット上の知り合いだったというあたりが、いかにも現実らしいとは言えるんだけど。

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