第15話 Hitomi strikes!

 あれから数日が過ぎ、どうなったかというと。


 元・電気通信部の部室は案の定、邪魔な物品を片付けただけで、居心地よい場所へと一変した。離れだけあって普通の教室とは造りも異なっており、穴場の観がある。


 新しいクラブ立ち上げの計画書も、琴平実沙枝の指導の下、鋭意制作中だ。

 団体名は、《幸い部》。

 大昔にここを使っていた誰か(おそらくは電通部部員)が勝手に名乗っていた団体名で、木の看板に掲げられていた名前でもある。

 他に思いつかなかったし、この名前をミホカが(と言いつつ、実はおれもちょっと)気に入ってしまったからだ。なるほど『幸せを探す』という、それだけははっきりしている目標にもピッタリだった。


 目標があり、顧問も決まっていて、場所も確保できている。残るは活動内容だが、これは現在、試行錯誤しながら練り上げている最中だ。

 コンピラ先生の言うとおり、まずは本当にできるものか実際に試してみて、できそうなら計画書にまとめて提出する。

 我々の活動が、学校生活や地域社会に寄与するものであることを大いに強調して作成する予定だ。幸せになりたいなんてのは人類共通のテーマなので、おれだったら将来有望なベンチャー事業として即許可するね。即戦力ばかりを雇って発想力が萎みマンネリ化していく会社の真似はしたくないものである。




 この日も放課後に《幸い部》の部屋を整理した後、椅子に座って休憩していた。


「幸せを探す、かあ」


 濡れ拭きして、すっかり綺麗になった看板を見上げた。

 伊勢川ミホカを起点に始まった目標:searching for happiness。その意味するところは単純だが、内容は実に曖昧だ。具体的に何をすればいいのかとなると途方にくれてしまう。


「Zzz………」


 今日はもう片付ける物もあまりなく、浅間澪那はソファ――来賓室かどこかのお下がりっぽい――で眠ってしまっていた。彼女は早速、惰眠を貪るというささやかな幸福を享受しているようだ。

 薄く開けた口許からキラキラ光る糸が垂れている気がしたが、浅間の名誉のため見なかったことにしておきたい。


「すっかり綺麗になりましたね~。もし誰か来たら、わたしが受付しますね?」

 ミホカは長机を前に、背筋を伸ばして見せた。


 実は校内の掲示板に、「幸せ相談、募集中~幸い部(仮)で一緒に活動してみませんか?」というスターティング・メンバー募集の張り紙を出したのだ。自分たちが言うのもなんだが、ちょっと怪しいし、今時そんなものに釣られて人が来るとは期待していない。

 おれは笑みながら、


「ああ、任せた。まあ、誰も来ないと思うけど」


 と言った矢先、


「お邪魔しまーす……」


 ゆるゆるとドアが開き、来客が顔を覗かせた。驚きの展開だ。

 しかもそれは、まさかの知っている顔だった。


「…あっ、麻賀多くんだ! あ、浅間さんもいるっ?」


 そう言いながら、扉を全開にしたのは、クラスメイトの江ノ島ひとみである。


「ああ、うん」

 思わぬ訪問者に、おれは微苦笑した。


 どうも説明が難しいんだけど、彼女みたいにクラスが同じやつには《幸い部》なんて謎な活動してるところ、あんまり見られたくない感じがあったんだよな。

 べつに陰気なわけではないけれど、さりとて陽気というわけでもなし。ミーハーな彼女にとっては、面白いものは何もないだろうと思われたからだ。

 けど江ノ島さんの方は、はじめて見た《幸い部》の部屋にかなりそそられたらしく、


「へぇえ、こんな場所が学校にあったんだぁ…! なんか秘密基地みたい」


 ふと、内輪のノリではしゃいでしまっていることに気づいたのか、ミホカの方を向き、


「あ、ごめんね? そっちの子は――」


「わ、わたしは受付の、伊勢川ミホカと言います!」


『……受付?』



 それから江ノ島ひとみは、ここに来た経緯を語った。


「――なんか、幸せの相談を受け付けてるって書いてあったから。貼り紙見てたら、コンピラ先生が勧めてくれたの」


 あのオバ……いやオネエサン、やってくれる。たしかに江ノ島さんとは、クラスでは時々話すし、教師の目には普段から仲良さそうに映ってたのかもしれないが、実際に交流があるのは教室内だけ。彼女がおれのことをどう感じてるのかというと、まあ穏当に言って『教室で気軽に話ができる男子』といった程度だろう。

 現代人にはこういう、友達と呼んでいいのか判らない微妙なラインがあるのだ。


「ということは、ひとみさんは何か、幸せに関する相談があるんでしょうか?」


 おれが畳んであったパイプ椅子を開いていると、ミホカが質問した。その瞳は彼女も興味をもってるのが隠せないでいる。


「あっ、ありがとう! うん、そうなの。話してもいいかな?」


 どうぞ、と言うしかない。《幸い部》と銘打っておきながら、募集しておきながら、客人を門前払いするわけにはいかないだろう。

 あんまり難しい相談だったらどうしようと、不安だったのだが――。


「最近、毎日が、あんまり楽しくない気がするの!」

 江ノ島さんが、かなり真剣な表情で言った。


「そう……なの?」

 おれが確認するように返してしまったのは、意外だったからである。


 世の中には、毎日が楽しそうに見える人間と、つまらなそうに見える人間の2種類がいる。そして、江ノ島さんは明らかに後者だった。もちろん「見える」というだけで、実際のところは不明だが。


「うんうん。なんだか何しても、シックリこないんだよね。どうしてかなぁ…?」


「そうなのか。江ノ島さんって友達多そうだし、クラスだと楽しそうに見えるけど」


「えー、そう見えるのかな~……あ、でも、いいことかなそれ?」

 首をかしげて、物足りなそうにしている彼女に、


「えっと……。つ、つまらなそうなのより、いいことだと思いますっ」

 ミホカがポニーテールを上下に揺らして答えた。優しい後輩である。


「そっか! ありがとうミホカちゃん」


 手をとって、『せっせっせーのよいよいよい』の調子で腕を振った。もしかすると女子の間にだけ伝わる、友達になれるおまじないなのかもしれない。


「でもね。そう見えるだけで、本当はそんなに楽しいわけじゃないの」

 膝の上に手を戻し、改めて呟く江ノ島さん。


 とはいえ、我々に何をしろというのか。とりあえず、無言のまま話を聞くことしかできなかった。

 早速、取りつく島もなさそうな相談者が来てしまったようだ。


「ぅ……。…じゃ、じゃあさじゃあさっ。麻賀多くんが最近で、一番楽しかったことって何?」


 身の置き所がなくなったと感じられたらしく、彼女の方から質問してきた。やれやれだが、ちょっと考えてみるか。


「え、最近で?……うーん」


 永らく使われないでいたこの部室を見つけたこと――とか。そんなこと? と思われるかもしれないが、ぱっと浮かんだのはそれだ。

 あるいは夏休みにミホカと再会し、遊んだことか。そうそう、この前浅間から届いたメール小説も面白かったな。駅で開いて、ついニヤケてしまったし。友達は少ない方だが、だからといってマサヲと駄弁るのが楽しくないこともない。

 なんだ。おれって最近、けっこう楽しんでるんじゃないか。これは意外な発見だ。


「最近は、そこそこ楽しいよ。これといって、何かある訳でもないけど」


「そうなんだ?」


「あの…。……楽しいって、どういうこと?」


 新しい楽器が自分のパートを始めるみたいに、加わってきた声は浅間澪那のものだった。江ノ島さんが入ってきた時に目を覚まして、皆のやりとりを眺めていた様子。


「えっ、あさみゃん、楽しいって感じたことないの!?」

 はじめて聞く渾名を口にしながら、驚きの声をあげる江ノ島。


 しかし、これはおれも同感だった。〈楽しい〉なんてのは、それこそ人間の基本的な感情で、それを知らないというのはどうしたって珍しいことに思えてしまう。


「楽しいっていうのは、楽しいんだよ? こう、わあー!ってカンジ、するよね? わぁ、私は楽しいんだーあってっ」

 と、江ノ島さんは説明したが、語彙力のなさを露呈しただけだった。国語の入試は大丈夫だったのかと、少し心配になった。


「楽しいのは、面白いと言うか……。嬉しくてドキドキする感じ…ですかね?」

 半ばおれに確認するように言った中3の方が上手く説明できてるように感じられたが、それは暫く問わずにおく。


 というのも、浅間はこれらの説明が腑に落ちなかったらしく、首を傾げていたからで。

 おれも少々不安になったので、尋ねてみることにする。


「浅間はさ、小説を書いてて、楽しいと思ったりしないの?」

「小説?」

「うん。メールで物語を書いてる時、何か感じたりしない?」

「うんと………。『麻賀多くんは、何て言うだろう』とか、『早く続きも書きたいな』とか……」

「そっか。なら、それが〈楽しい〉ってことだよ」

「あれが、楽しいんだ? 楽しいって、みんなよく言うけど、ずっと気になってたから――。聞けて良かった」


 浅間は焼きたての餅のように頬を火照らせた。感情そのものを知らなかったわけではなく、それに適切な名前を付けることができなかっただけのようだ。

(「あさみゃん小説書いてるの? スゴイ! 今度見せて?」という声には、椅子を引いてしまったが)


「その、ひとみ先輩の相談なんですけど、」


 そうこうしているうちに、ミホカが何か考えついたらしい。今日はじめて会った先輩へと、視線を向けて、


「今のままでつまらないのなら……これまで全然やったことのないことを、やってみるのはどうでしょう?」


「全然やったことないもの? 何々、それって何!?」


 俄然、興味を惹かれた様子で顔を近づけてくる江ノ島ひとみ。言うまでもなく、そんなのおれたちが知ってるわけがない。


「あ、いえその………行ったことない場所に行く、とか?」

 ミホカが思いつきを述べた。


 だいぶ苦肉の策だったように聞こえるが、江ノ島さんは真に受けたらしく、


「あー、それいいかも! でも夏休みも終わっちゃったし、あんまり遠いところには、行けなくない?」


「遠くなくても、いいのでは?」


「えっ、麻賀多くん、それどういうこと? っていうか前から思ってたんだけど、麻賀多くんって長いから、まかちゃんて呼んでいい?」


 なんだかんだで、江ノ島さんとこんなに長く話すのは初めてな気がしたが、いろいろ想像通りというか、想像以上だ。さりげない提案には「いやもう何でも」と本心を答えつつ、


「この近くにも、けっこう観るところあるみたいだからさ。目的もなく散歩するのも、楽しいんじゃないかなって」


「あ、ハイ! そうですね、わたし夏にこっちに引っ越してきたんですけど。わたしの住んでたとこと比べて、たくさん面白そうなものがあります。近所のお店とか、全部回れないんじゃないかと思うくらい」


 近所の店を、全部回る…? 発想からして何かが違うのを感じたが、田舎だと指摘すると(中略)なので、口を噤んでおいた。


「………江ノ島さんは、全部、回ったことあるのかも……」


 独り言みたいに、浅間がボソリと(目を合わせずに)呟くと、


「ううん、全ッ然行ってない! じゃあさじゃあさ。よさそうなところ探すから、今度の休みに、みんなで行こうよ!」


「「「…え?」」」


     〇

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