第16話 いるはずのない獣

 「何の話をしていたんだ?」


 カルミラが来客用の寝室で寝静まった頃、俺は暖炉の傍に設置された安楽椅子でくつろぎながら、ソファに座って雑誌を読んでいるセレーナに問いかけた。風呂から上がった時、何やら楽しそうな話声が聞こえてきたので、その内容が少し気になったのだ。

 が、セレーナは雑誌に視線を落としたままはぐらかした。


「男の子に話しても、全くわからない話だよ。詳しく聞くのはマナー違反……というか、デリカシーがないよ?」

「その類の話を大きな声でしていたのか? 全く……まぁ、それなら詳しく聞くのはよそう。最低限のデリカシーは持っているつもりだからな」

「賢明な判断ですね~」


 ニヤニヤしながら俺の方を見たセレーナは雑誌を閉じ、俺が腰かけている場所の隣に置かれていたもう一つの安楽椅子に座った。


「結構楽しかったよ? カルミラちゃんの話も色々と聞けたし、私のことも多少は知ってもらえたからね」

「そうか。カルミラは驚いただろう? お前が元とはいえ皇族ということは言っていなかったらな」

「驚いていたね。いきなり身体が固まって、しっかりとした言葉遣いに直そうとしていたから全力で止めたくらい」

「まぁ、皇族なんて滅多に会えるものでもないから、その反応も当然と言えば当然なんだがな」


 俺は皇族に対しての敬意は全く持っていないが、彼らを名前でしか知らない多くの国民は、崇めるべき主導者として見ているのだろう。俺も、仲間の死を侮辱されなければ、そんな敬意を抱いていたのかもしれないな。今となっては仮定の話だが。


「話をして、カルミラの性格なんかは理解できたか?」

「多少はね。凄く自己肯定感の低い子なんだ、っていうのはわかった。魔法士を目指すなら、もっと自分に自信を持たないと駄目だね。厳しいことを言うけど」

「いや、その意見が正しい」


 自信のないものが戦場に出れば、間違いなく委縮して影獣に食い殺される。俺は戦場で、及び腰になって死んだ奴をごまんと見てきたからな。仮に今の状態で軍に入り影獣が支配する領域に足を踏み入れたなら、間違いなく食い殺される結末を迎えることだろう。


「俺の教え子にはそれぞれ問題点があるが、特にカルミラが抱える問題は致命的だ。常にネガティブな思考になってしまうことは、魔法の発動にも大きな影響が出る」

「根本的に、何が原因で否定的な思考になっているの?」

「母親だ」

「あぁ、そういえば、今日ここに来たのも家に居づらくなったからって言ってね。お母さんと、仲が悪いの?」

「仲が悪い、っていうのとは少し違うな」


 あれは不仲ではなく、互いに怖がっている。


「カルミラの母親は感情連動性暴発体質に理解が全くないんだ。少しでも機嫌を損ねればマナを暴発させてしまう、と考えている。暴発の恐怖からカルミラに対して極力不干渉になっていて、愛情を全く注がなかった。そして、カルミラも愛情を注いでくれず、怯えを宿した母親の目や投げかけられた言葉がトラウマになっているんだ」

「幼い頃からそういう家庭環境だったから、悪いのは自分だと思い込むようになってしまった、と。中々辛い目に遭っているんだね」

「そうだ。父親のレナンス中将も基本的には軍本部にいるから、接する機会もなかった」


 よくない感情を抱き合う母娘と、仕事で家庭にはほとんどいない父親。幼い頃から過ごしてきたその環境が、今のカルミラを形成したというわけだ。


「幼少の頃から培われた悲観的な思考は、そう簡単に治るものじゃない。自分自身を変えるのは、本当に難しいことだからな。俺も、かなり苦労した記憶がある」

「一人では到底できることじゃない。だから、周囲の人間の手助けが必要になってくるね」

「その役割を担うのは、本来彼女の教師である俺だ。だが、恐らくカルミラの母親は俺と面談するという気はさらさらないだろう。カルミラのことを、自分の娘とは思えないって、本人に向かって直接言うくらいだからな。気持ちはわからないでもないが」


 周囲を巻き込む可能性がある時限爆弾を抱え込むのは、並大抵の人間では不可能だ。だから、一概にカルミラの母親を責めることもできない。

 あぁ、クソ。塾講師がこんなに大変な仕事だとは思ってもみなかった。カルミラのことは何とかしてやりたいが、彼女にばかり構っている暇もない。俺は、何も彼女のために軍を抜けたわけでは──。


「ぇ?」


 不意に窓ガラスへと視線を向け、俺は一度大きく心臓が跳ねるのを感じた。

 今、俺の視界に映ったものは……窓の外を横切ったものは──俺は勢いよく立ち上がり、ベージュのコートを手に取り羽織った。


「ソテラ? どうしたの?」

「少し出てくる」

「い、今からッ!? もう夜も遅くて大分冷え込んでいるし……そもそも、お風呂に入ったのに外に出るの?」


 傍に駆け寄ってきたセレーナは、どうして俺が出て行くのかが理解できていない。彼女は窓の外を通ったものを目撃していないということだ。事の重大さを、理解していない。


「セレーナ、お前は光武具ロシェルを召喚したまま、家で待機しているんだ」

「光武具って──」

「俺も信じたくはないが──窓の外を、影獣が横切った」


 それを聞いたセレーナは目を見開き、呆然と声を零した。


「どういうこと? 防衛ラインが、突破されたってこと?」

「わからないが、それはないだろう。防衛ラインの外側には奪還軍が控えているし、仮に突破されたのなら、緊急サイレンが鳴り響くはずだ。つまり……何らかの抜け道があったってことかもしれない」


 色々と考えることはあるが、まずは外に見えた影獣の駆除を優先しなくてはならない。戦いはかなり久しぶり且つ、片足が義足になってからは初めてだ。不安は大きいが、やるしかない。

 不安そうに俺を見るセレーナの頭を撫で着け、俺はすぐに玄関へと向かった。


「大丈夫、なんだよね?」

「いざとなれば、奥の手もある。だから、心配するな。すぐに帰ってくる」

「…………わかった。信じるね」


 俺はセレーナに頷きを返して外へ飛び出し、今しがた影獣が過ぎ去った方角に向けて走り出した。片足が義足のため、軍にいた頃よりも格段に走る速度は遅くなっている。それでも、この義足は全力で走ることを想定して作られているため、速度は出ている方だろう。それでも、時たま自分の足が恋しくなるがな。


 赤い煉瓦で作られた家々の間を抜け、路地の中に入る。現在影獣の特殊なマナを探知する魔法を使っており、その反応はこの狭く暗い路地の中で強くなっている。

 だが、姿を視認することはできない。

 何処か建物の影に身を隠しているのか、それとも奴らも魔法で姿を見えなくしているのか……窓から見えた個体はそれほど大きくなかったので、狭い場所でも入ることは可能だろう。正確な形までは、見えなかったが。


「……近所迷惑にはなるが」


 俺は光武具──竜殺の槍を両手に構え、刃を雪の下に埋もれた地面に軽く打ち付けた。途端、音響弾のように耳を劈く音が発生した。

 刃に伝ったマナを地面に打ち付けて拡散し、空気に大きな振動を与えて音を鳴らす、所謂影獣よけとして使われる魔法──魔音響。

 影獣支配領域の探索時には重宝される魔法なのだが、このように大きな音が鳴るため本来街中で使うような魔法ではない。現に、音に驚いた住人が何事だと騒いでいる声が聞こえる。

 だが……おかげで、隠れていた奴らを炙り出すことができた。


「三匹か」


 俺の視線の先──頭上を旋回しながらこちらを見下ろしているのは、三羽の烏だった。身体はさほど大きくはなく、一見すれば普通の烏と同じに見える。だが、奴らの顔には三つの目があり、足も四本と普通のそれではない。

 黒い身体に化け物じみた姿、あれこそが影獣である。

 

「どうやった皇国内に侵入したのかはわからないが……奴らがそれに答えてくれるわけがないしな」


 俺は竜殺の槍を虚空に消し、すぐ傍にあった建物の壁に手を当てた。

 槍を投げて殺してもいいが、それだと二匹は逃がしてしまう。それに、あそこで突き刺してしまっては、肉片が俺に降りかかってきて汚いし、できれば綺麗な形で殺してあげたい。

 だから……俺は確実に綺麗に殺せる方法を取る。


「飲み込まれないように……微かに、少しだけ……」


 俺は空いていた手を胸に当て、ゆっくりと息を吐きながら心を落ち着かせる。

 一瞬後、俺は心臓がとてつもない熱を持つ感覚を覚えながら、壁に当てた手に意識を割く。

 すると、俺が触れていた箇所が一瞬にして凍結。氷は建物の上に向かって突き進み──上空を旋回していた三羽の烏へと氷を伸ばし、奴らを氷漬けにした。

 一瞬にして生命活動を停止した烏は俺の元へと落下し、緩衝材の役目を果たした雪の中に埋もれた。

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