第17話 一大事

「はぁ……はぁ」


 氷像となった烏が雪の上に落下したのを確認した直後、俺は激しく脈打つ心臓を抑えるように荒く息を吐き、疲労感に思わず膝を着いた。雪の上に膝が埋まると思っていたが、予想に反して硬い氷の感触が伝わる。どうやら、壁だけでなく足元の雪まで凍り付いてしまったらしい。


「流石に……無茶だったか……ぐッ」


 ズキッ、と鋭い痛みを発した胸に指を立てる。

 可能な限り外傷なく殺すためとはいえ、無茶が過ぎたようだ。極寒だというのに汗が服に張り付く気持ち悪い感覚が伝わる。チッ、どのみちもう一回風呂に入らなくてはならないな。

 俺は鼓動が正常値に戻ってきたためゆっくりと立ち上がり、雪の中に埋もれる氷像と化した三羽の烏を両腕に抱えた。当然だが、羽毛の感触は一切なく、氷の冷たさと硬い感触が伝わるだけだ。不気味な三つの瞳と四つの脚に、思わず顔を顰めてしまう。普通にキモイ。


「とりあえず持って帰るが……元帥には見せられないな」


 ある程度の事情は報告しなければならないが、詳細を話すことはできないだろう。

 俺は元帥に報告する最低限の内容だけを頭の中で考えながら、騒がしくなってきた街の裏道を通り、帰路に着いた。



「これがその影獣? 思ったより小さいね」


 家に帰ってから三十分。

 軽くシャワーを浴びてリビングに入ると、ソファに座ったセレーナが机の上に置かれた影獣の氷像死体を指で突いていた。そういえば、彼女は影獣を見るのは初めてだったな、と思いながら首肯する。


「そいつは黒烏マルクルという、影獣の中でもかなり小さな種類だ。他の影獣の死肉を漁り、更には死肉に群がってきた虫を捕食している」

「じゃあ、魔法士を襲うことはないの?」

「そいつ自体は魔法士を襲わない。だが、比較的知恵が回る上に、そいつの鳴き声は周辺の影獣を呼び寄せる力があるんだ。人間を見つけたら、その居場所を伝えるように鳴く」

「かなり厄介なんだね」


 実際、この烏のせいで全滅した部隊は少なくない。影獣リストの中でも、こいつの危険度はかなり上位に食い込む。戦場で見かけた場合、鳴かれる前に殺さなければならないのだ。部隊後方に配置するスナイパーは、こいつを殺すためにいると言ってもいい。


「奪還作戦を行う前には、その領域にいる黒烏を全てを駆除する作業が必要になる」

「で、そんな影獣が人類領にいるっていうのも、おかしな話だよね。どうやって入ってきたのかも、なんで入ってきたのかもわからないし」

「最大の謎はそこだ。こいつらはどうやって入ってきたのか」


 人類領は防衛ラインと呼ばれる地点から内側を、大きなドーム状の結界が覆っている。結界と言っても実際に壁があるわけではないが、その結界に影獣が触れると、奴らが体内に内包しているマナが暴走し、絶命する仕組みになっている。

 勿論、大抵の影獣は防衛ラインに常駐している魔法士によって迎撃、駆除されるため、結界まで辿り着くことはほとんどできない。


「もしも本当に結界に抜け道があるのだとしたら、一大事だ。一刻も早く元帥に報告し、結界を全て点検しなくてはならない。でないと、大量の影獣が皇国に侵入してくることになる」

「皇族は嫌いとはいえ、流石に祖国が蹂躙されるのは勘弁したいからね」

「あぁ。まぁ、皇国が駄目になったら何処か他の国に亡命するが」

「もう、最悪の事態が起こる前提で話を進めないの」

「悪い悪い」


 俺は適当にセレーナに謝り、氷像の一体を手に取った。


「それ、溶けないの?」

「俺が命じない限り少しも溶けることはないから安心しろ。それに、溶けたところでこいつらは既に死んでいる。暴れることはない。この氷は普通の氷じゃないからな」

「……それって」


 何かを言いかけたが、セレーナは途中で言葉を止めた。


「いや、いい。私がとやかく言うことじゃないからね」

「何を言おうとしたのかはわかるが、大丈夫だ。誰にも見られていない。それに、今回はこいつを綺麗な状態で殺したかった理由があるんだ」


 標本となっている烏の三つの瞳を覗き込む。

 黒い水晶体の中に、一点だけ小さな白い模様が混じっているのは、こいつの数多くある特徴の一つだ。


「この黒烏は、影獣の集団の偵察役を務めることもあるんだ」

「偵察?」

「あぁ。俺たち人間が来たことを上空から確認し、一鳴きもせずに引き返すことが稀にあった。そして、こいつらがそんな行動を取った時、必ず予期せぬ方角から影獣の集団が押し寄せる」


 こいつらにそこまでの知能があるのかはわからないが、そんなことが今まで何件も報告されている。仮に、こいつらにそこまでの高度な知能があり、それらの例を考えるのならば……。


「こいつらは、何かを偵察するために空を飛んでいた、ということも考えられる。しかも、地面から近い低空をな」

「偵察って……誰の? それに、何のために?」

「わからない。だが、偵察というよりも、探しているという気もする。何か、奴らが欲するものを」


 思考を巡らたための沈黙が訪れる。

 あまりにも情報が不足した状態での考えは、あくまで予想にしかならない。しかも、全くあてにならない仮説以下の不確定な予想だ。だが、影獣はわからないことだらけの謎の生物。人間のように統率者がおり、それに従って行動を起こしているとしても、全く不思議ではない。

 となれば、多くの影獣に命令を下している、最も位の高い個体は──バキ、っと亀裂が入る音が響いた。我に返り手元を見れば、手にしていた黒烏の氷像に皹が入っている。


「──っ、しまった」

「落ち着いて」

「あぁ、悪い。結界の内側に侵入した影獣のことは、俺たちじゃなくて軍に任せるべきだな」


 俺は既に軍属じゃないし、影獣に関しては完全に軍の領分だ。俺は情報を提供し、元帥たちが行う対策を見ていれば、それでいいんだ。

 皹の入った氷像を机の上に戻したタイミングで、セレーナが呟いた。


「でも、ソテラの言った仮説は凄く説得力があったなぁ」

「こいつらは、何かを探しているってやつか?」

「うん。何だか、本当にそのために動いているように思えてきたんだ」


 氷像を指先で突いたセレーナに、俺は返す。


「俺の予想は、これまでの経験やら培った知識の中でしたものだからな。そりゃあ、経験も知識もない奴が酒を飲みながら話しているほら話とは、訳が違う」

「だとしても、ほとんど情報がない状態でよくそこまで考えられるね」

「あのな。俺は仮にも部下を率いていたんだぞ? 部隊の隊長は、敵の行動を予測し、それに対応した行動を取るよう部下に伝達しなければならない。無能な奴が隊長を務めれば、部隊は早々に全滅するだろ。まぁ、俺の部隊は、全滅したがな」


 当時のことを思い出し、再び昂りそうになった感情を必死に抑える。

 半年が経過したとはいえ、やはり記憶には鮮明に刻まれている……やめよう。これ以上は、本当に抑えが効かなくなりそうだ。

 ソファから立ち上がり、俺は通信端末を取り出した。


「とにかく俺は、今回の件を元帥に連絡する」

「こんな時間に大丈夫? 夜遅いけど」

「別に大丈夫だろう。国の一大事と言えば、それでいいからな。セレーナも、早々に寝ろよ? 寝不足は美容の大敵って言うしな」

「わかってる。もう寝るから、心配しなさんな~」


 おどけたように返したセレーナはキッチンから野菜を保存する木箱を運び、その中に黒烏の氷像を収納し、元の場所へと戻した。

 俺は彼女にお礼を告げ、端末を操作して耳元に当てた。

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