第15話 先生の夢

 私がソテラ先生の自宅に来てから、三時間が経過した。

 先生と一緒に同棲──本当はお隣さんだけど、ほとんど同棲している──セレーナさんが作ってくれた夕食を食べ、お風呂に入って、今はリビングのソファでホットミルを飲みながらセレーナさんと二人で話している最中。先生は今お風呂に入っている。

 私が最後に入りますから、と申し出たのだけど、先生はかなり長湯をするらしく、後から誰も入らない方が急がなくていいから気楽。ということで、一番風呂をいただいてしまった。罪悪感を感じたけど、浴槽も広くてとても気持ちのいいお風呂だったなぁ……。あれだけ伸び伸びとお風呂に入れたのは、かなり久しぶりな気がする。

 私はお風呂で温まった余韻を感じながら、近くに座っているセレーナさんに尋ねた。


「あの、セレーナさん」

「んー?」

「セレーナさんは、ソテラ先生の恋人、なんですよね?」


 ここに来てからの二人を見ていれば、説明されなくてもそうだとわかった。二人とも心から気を許しているみたいだし、お互いに好意を持って接しているのもわかった。特に、先生は普段私たちには見せない表情をセレーナさんに見せていたし。

 けど、セレーナさんは私の予想に反して、曖昧な笑みを浮かべながら首を傾げた。


「そうだよ。とは断言できないかなぁ……」

「断言できない、ですか?」

「うん」


 それはどういうこと? と私が尋ねる前に、セレーナさんは続けた。


「勿論私はソテラが大好きだし、ソテラも私のことを好きでいてくれてる。だけど、付き合おうとか将来結婚しよう、みたいな言葉は交わしていないんだよね。だから、恋人とは断言できないんだよ」

「そうなんですか……」

「まぁ、いつか子供は作ろうとは言ってるんだけど」

「順番おかしくないですか?」


 子供を作ろうって……普通は付き合ってそれなりの年数が経った恋人同士が言う言葉だと思う。恋人なのかもわからない関係性の人たちが言う言葉じゃない。

 セレーナさんはホットミルクを一口飲み、一度頷いてから結論づけた。


「まぁ、恋人でいいと思うよ。というか、よく考えれば恋人じゃないと私が困る。ソテラと一緒になるために、皇室から名前を消されるように頑張ったんだし」

「………………え?」


 何でもないようにセレーナさんが言った言葉に、私は思わず目が点になった。いや、だって、皇室って……国を治めている、最高権力者の家系で……。


「セレーナさんは、皇族の一員、だったんですか?」

「一応だけどね。元第四皇女。私のお母さんは貴族でもない一般人で、平民の血が半分入ってるからって理由で冷遇されてきたの」


 私はもう、驚きすぎて言葉が出なかった。

 だって、先生の恋人が元皇族って……ソテラ先生の経歴も凄いけど、セレーナさんはもっと凄い。い、今更だけど、こんなに砕けた話し方でいいのかな……。


「ちゃんとした言葉遣いにした方がいいとか思ってるでしょ?」

「え? えっと……その、はい」

「別に礼儀なんていらないからね。私はもう皇族じゃないし、敬意を払われるような存在じゃないよ。皇室から追放されるように行動したのも、ソテラと一緒になるためって言う身勝手な理由だし」

「へぇ……ソテラ先生とは、何処で出会ったんですか?」

「お、聞きたい?」


 ニヤリと笑って聞いてきたセレーナさんに頷きを返すと、彼女は簡単な馴れ初めを語ってくれた。


「別に、そこまで運命的だったりロマンチックな出会いじゃなかったよ。十三歳の時、公務で領土奪還軍の本部を訪れた時が初めてだったかな。その日は丁度、クレセスっていう小さな湖周辺の領域を奪還した翌日でね。その作戦に参加した魔法士が帰還するから、皇族である私が労いのスピーチをすることになっていたの」


 懐かしいなぁ、なんて呟きを挟みながら、セレーナさんは続けた。


「で、スピーチを終えた後、今の元帥の元へ向かおうと通路を歩いている時に、私と歳の変わらない軍服姿の男の子を見つけたわけ」

「それが、ソテラ先生ですか」

「そう。その時のソテラを見た時、私は本当に心を痛めた」


 語るセレーナさんの瞳に映っていたのは、悲しみだった。

 当時のことを思い出しているようで、何だか、今にも泣きだしてしまいそうに思えた。


「当時のソテラは、心も身体もボロボロだったの。毎日厳しい訓練に参加して、戦場に出る度に仲間を失って……初めて彼を見た時、彼の瞳は死んでいた。身体はともかく、心は完全に壊れていたんだ。十二歳の子供には、あまりにも厳しかった。後から聞いた話だけど、ソテラは誰かを無くす度に、別れた仲間の名前を自分の部屋の壁に書いていたらしいの」

「……」


 私は知らなかった先生の過去に、言葉が出なくなる。いや、きっとこれでもほんの一部、私が想像できるのは断片でしかないんだ。大人でも逃げ出す人がいる奪還軍に、たった十二歳の子供が居続けたなんて……。


「その時、思わず呼び止めて抱きしめたのが馴れ初めかな。私がこの子の心の拠り所になってあげないと、って思ったの。まぁ、今ではソテラが私の心の拠り所になってるんだけどね」

「何だか、凄く貴重なお話を聞けた気がします。特に、先生って本当に凄い経験をされてるんですね。時々私たちに話してくれることはあったんですけど、どれも現実味がなかったというか……」

「そうだね。ソテラの幼少期は、一般人からすれば嘘みたいに聞こえると思う。けど、彼は嘘を吐く人ではないから、全部本当なんだよ」


 つまり、以前話していた魔法の訓練の話も本当ということになる。私、これから先生に対する見方がかなり変わると思うな。ちょっと意地悪だけどいい先生から、凄い先生に。

 と、セレーナさんは私の肩に手を置いた。


「私からのお願いなんだけど、カルミラちゃん」

「な、なんですか?」

「ソテラの夢を叶えてあげてほしいんだ」

「先生の、夢?」

「うん。国の防衛も、領土の奪還も果たせる凄い魔法士を育てる、っていう夢を」


 先生にそんな夢があったのか、と思いつつ、続けるセレーナさんの言葉に耳を傾けた。


「軍のいた頃は夢も希望も抱けなかったソテラが、ようやく見つけることができた夢なの。それを叶えることができるのは、ソテラの教え子である貴女たち三人。普段は言わないかもしれないけど、彼は貴女たちに凄い期待してるんだ」

「そうなん、ですか」

「そうだよ? あの子たちの体質は災害じゃない。寧ろ、光り輝く希望の原石なんだーって、嬉しそうに言っているくらいだもん。だから、彼が抱いたの夢を、どうか叶えてあげてほしい」


 私の頭を優しく撫で着けたセレーナさんの表情は、儚げで、何処か寂しさを含んだものだった。

 どうしてそんな表情をしているのかはわからなかったけれど、私は彼女のお願いに、頷きを一つ返した。

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