第3話 第四皇女

 全く本題と関係のない話を長々としてしまった授業の後。

 すっかり空も暗くなり、街中に明かりが灯り始めた午後六時半。


「こんなものか」


 塾の前に積もっていた雪の除雪作業を終えた俺は、手にしていたシャベルを肩に担いで白い息を吐いた。

 当初は身も凍るような寒さで除雪作業なんぞやっていられるか!! と思っていたのだが、雪は一向に止む気配を見せず、このまま何もしなければ明日の朝には塾の扉を超える高さにまで積もってしまうと考え、泣く泣く作業に取り掛かったというわけだ。肉体的な疲労はないが、如何せん手先が冷えて上手く動かずイライラしてしまう。だがやらなければ、明日の朝に痛い目に遭うだろうし……はぁ。


「何をやってるんだ、俺は……」


 自分自身に呆れ果てる。

 一体何のために軍を抜けたと思っているんだ? 前線から退いて半年経って、何の手掛かりも掴めていない。目的はあるのに、それに突き進むこともなく、ただ無駄に時間を浪費している現状に、嫌気がさす。俺の寿命は、四年と半年しか残っていないというのに……。

 肩に担いだシャベルを握る手に力が入った時、俺の頬に温かいものが押し付けられた。一拍置いて、耳に馴染んだ綺麗な声が鼓膜を揺らした。


「お疲れ様。耳まで真っ赤だよ?」

「……セレーナ」


 俺は頬に押し当てられていたコーヒーの入った紙コップを受け取り、彼女の名前を口にした。

 長く艶やかで美しい灰の髪に、綺麗な鷲目石イーグルアイの瞳。灰色のコートで身を包んだ姿は、俺の心を高鳴らせる。

 セレーナ=アルシオン。

 アルシオン皇国第四王女にして、皇室から消された悲劇のお姫様だ。本人はまるで気にしていないどころか、柵から解放されて喜んですらいるが。

 俺は紙コップに口をつけ、コーヒーを一口に飲んでからセレーナに尋ねる。


「急ぎの用事でもあったか?」

「いや? 別に用があったわけじゃないよ」

「じゃあ、なんで?」

「早くソテラに会いたかったから来た、じゃ駄目?」


 微笑みを浮かべてそう言ったセレーナに、俺は数回の瞬きを繰り返し、思わず苦笑した。


「とりあえず、帰りの支度ができるまで中に居てくれ。流石に、外は冷えすぎる」

「うん、ありがと」


 セレーナを塾の中に招き入れ、職員用……というか、俺が使っている準備室に招き入れた。暖炉の火は入れっぱなしなので、室内は外と違って暖かい。入室した瞬間、暖かい空気が全身を包み、芯まで冷え切った身体を抱きしめてくれる。

 

「あ、また暖炉に火をいれっぱなしにしてる! 火事になるから止めてって、前に言わなかった?」

「あぁ、悪い悪い。けど、今日は氷点下二十度を下回ってるんだ。許してくれ」

「もう、危ないことはしないでって言ってるのに……」


 小言を言いながら手近なソファに腰を下ろしたセレーナは、除雪直前まで俺が読んでいた書物を手に取り、パラパラと捲り始めた。また勝手に、と思ったが、俺は特に咎めることもなく荷物を鞄の中に詰め込み始める。


「夕飯は食べたのか?」

「まだ食べてないよ。ソテラが帰ってくるのを待ってたから。下ごしらえはしてある」

「そうか。悪いな、いつも待たせて」

「そうだね。できれば仕事が終わったら速攻で家に帰ってきてほしいかな。一人で家で待っている私の気持ちを、少しは考えてほし──」


 ニヤニヤと笑っていたセレーナは言葉を止め、神妙な面持ちで手にしていた書物を机に置いた。まぁ、そんな反応をすると思っていたよ。特に、後半の頁に関してはな。


「だから、いつも勝手に人のもん読むなって言ってるだろ? それ、俺が軍に居た頃書いていた日記だし」

「……ごめんね」

「別にいいけどさ。何処読んだ?」

「六年前の一月七日の頁」

「一月七日?」


 妙だな、何が書いてあったのかわからない。

 俺は今まで数多く部下との別れを経験しているが、いつ誰が散っていたのかは正確に記憶している。パッと浮かんでこないということは、誰も死んでいない日なのだが……。


「何が書いてある? 全然記憶にないんだが」

「その……皇帝陛下が、貴方の仲間の墓を撤去するように命じたことが……」

「あぁ」


 思い出した。

 当時十二歳だった俺は怒り狂い、本気で皇帝を殺そうと武器を手に取り押さえつけられていたな。戦友の死を侮辱されても何もできない歯痒さを、俺は日記に殴り書いていたな。主に皇帝死ねとか、いつか絶対に殺してやる、とかだった気がする。子供だったし、語彙力も全然なかったから、汚い文字で同じような言葉を書き連ねていたな。その晩は、悔しくて一晩中泣いていた。


「俺が皇族を嫌いになった記念日だな」

「ごめんね、ソテラ」

「なんでセレーナが謝る」

「いや、一応……あの人は私の父親だからさ。血縁上は、だけど」


 絶縁しているとはいえ、自分の父親が犯した暴挙に責任を感じているのだろう。相変わらず生真面目な性格だな。

 俺は荷物を纏めた鞄を机の上に置き、セレーナの隣に腰を下ろした。


「例えお前にあのクソ皇帝の血が入っていたとしても、お前はお前だ。別に嫌いになったりしないから、安心しろ」

「でも──」

「そもそも嫌いだったら、お前が隣に引っ越してきた時点で家を変えているし、毎日寝泊まりを許すこともない。逆に言えば、好きでもない相手に身も心も許すわけないだろう」

「……うん」


 案外すぐに立ち直ったセレーナに安心し、俺は鞄を持ち、暖炉の火を消して部屋を出た。

 外に出た時、雪は数十分前よりも強く降っていた。同時に、気温も下がったように感じる。


「そういえば、セレーナ手袋は?」

「持ってきてないよ。いやぁ、忘れちゃってさ」


 てへ、と舌を出したセレーナに溜息を吐き、俺は左手の手袋を外して渡した。


「これ使え」

「ありがとう。でも、これじゃソテラの左手が──」

「こうすれば、多少はマシだろ」


 言って、俺はセレーナの右手を左で握った。握るというよりは、絡めると言った方が適切な握り方だが。

 一瞬呆気に取られていたセレーナはすぐに吹き出し、「そうだね」と頷いた。


「確かに、あったかい」

「名案だな。今度から片方が手袋を忘れた時はこうしよう」

「ふふ。なら、私は外出する時手袋をしないようにしよっかな~」

「防寒対策はしっかりしろ」

「は~い」


 気の抜けるような返事を返したセレーナは、ぎゅっと繋いだ手を握る力を強めた。

 この帰り道は、いつもよりも微かに温かかった……気がしないでもなかった。

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