第4話 家庭的な姫

 身も凍るような気温の外から帰宅し、セレーナの作ったポトフで身を温めた食後。


「そうだな……明日は二時間しかないし……」


 俺は自宅のリビングソファに座り、紅茶を啜りながら明日の授業内容を考えていた。今日は無駄話ばかりしてしまったし、流石に明日はちゃんとした授業をしなければならない。特にオリビアは来年十六歳だし。

 ちなみに、俺の家はアパートではなく一軒家だ。軍に居た頃は戦果に応じて相応の報酬が支払われたが、日々作戦やら訓練やらで使う時間が一切なかった結果、莫大な金額が手元に残っていたため、それならいっそということで家を買うことにしたのだ。まぁ、皇都と言っても端にあるので、そこまで値は張らなかったが。

 で、この家の隣にセレーナが持つ一軒家がある。いうなればお隣さんだ。

 そんな彼女は、現在流し台で使用した食器類を洗っている最中だ。時折、機嫌良さそうな鼻歌聞こえてくる。


「今更ながら、皇女に皿洗いなんてさせてもいいのか……」

「本当に今更だね」


 俺の呟きが聞こえていたセレーナは振り返って苦笑した。


「いいんだよ。私が好きでやっていることだし」

「いや、何だか唐突に申し訳ない気持ちになってな……」

「気にしなくていいよ~。ほぼ毎日お邪魔させてもらってるし。それに、私自身は皇族じゃないと思ってるから」


 そのタイミングで洗い物を終えたらしく、セレーナはタオルで手を拭いてから俺の隣に腰を下ろした。


「私のお母さんは皇室に仕える使用人の一人で、貴族でもなんでもないからね。単に皇帝の目に留まっただけだし」

「そういえば、昔からお前だけは公務が一切ないって言ってたな」

「そ。そりゃあ、皇帝が一時の気の迷いで作った子供なんて、誰も見たくはないでしょ。個人的には、面倒で大変なしがらみも多い皇室と絶縁出来て、せいせいしてるけどね~」


 言って、セレーナはティーカップに紅茶を注いだ。

 確かに、言われてみれば皇室というのは色々と制限が付きまとう身分だ。命を狙われるのは当然のこと、貴族同士の付き合いや柵、挙句の果てには好きでもない相手と子を残さなければならない、ということもあり得る。

 セレーナが皇族と絶縁していて、本当によかった。絶縁していなければ、俺が傍にいるだけで色々と面倒なことになっていただろう。


「それ、明日の授業?」

「え? あぁ、そうだ。今日は無駄話を随分と長くしてしまったからな。流石に明日はちゃんと授業しないと」

「無駄話って……どんな内容?」

「軍に入隊した魔法士が最初に行う、影獣に対する恐怖心を克服する訓練だ。最初から心をぶっ壊されている俺たちならともかく、平和な場所でぬくぬくと育った温室育ちには、相当きついだろうな。いきなり喰われかけるんだから」


 実際には教官が近くにおり、危険だと判断すれば即座に介入するようにはなっているが、新兵にはそのことは伝えられず、死んだらそこまでだと言われる。

 大半の者たちは小便を漏らすか、間近に感じる死への恐怖で大泣きしてその日を終えることになる。遠くから見ていて、滑稽だったのは今でも覚えているな。


影獣シャドーが怖いってのは理解できるが、泣き喚いて顔をぐちゃぐちゃにするくらいの恐怖ってのは、いまいち理解できないな」

「いきなり死が間近に迫るのは、怖いと思うけど……」

「それが、正規ルートと孤児組の違いだろうな。で、その訓練内容を聞いた生徒たちは大騒ぎだ。国を護る魔法士を志すなら、避けては通れない道なんだけど。避けたい気持ちはわかるが」

「軍って、私が思っているよりも大変なんだね……戦場外でも心労が絶えないなんて」

「まぁ、そんなもんだ」


 慣れが大きいがな。

 どれだけ大変な環境でも、人間は生きるために環境に順応するようにできている。常に恐怖に晒され続ければ恐怖への耐性が身につき、肉体的に疲れる環境に身を置けば筋力や体力がついて、環境に適応する。

 だから、古参兵=環境に適応、即ち慣れてしまった連中ということになる。

 話していたら、授業を作る気が無くなってしまった。俺はノートを閉じて机の上に放り、背凭れに体重を預けて脱力した。


「俺も、今の環境に順応しちまったみたいだ。少し授業をして雪かきをしただけで疲れる身体になった……」

「ふふ、それでもいいんじゃないかな。今のソテラは軍人じゃないんだし」

「そういうわけには、いかないだろ……」


 俺は一気に襲って来た眠気に抗い、目を擦る。

 駄目だな。食後はどうしても、眠気が襲ってくる。


「なんか、私も眠くなってきたなぁ……今日は泊っていくね?」

「今日も、の間違いだろ。ここ数ヵ月くらい、自分の家に帰ってない気がするんだが?」

「実は荷物もほとんどこっちに移していたり」

「……まぁ、好きにしてくれ」


 ほとんど同棲に近い……というか、同棲だな。これじゃあ、元帥が結婚したと勘違いしても文句は言えない。

 あぁ、そういえば貰ったネックレスをまだ見せていなかったな……いや、止めておこう。あのネックレスは歴史的価値もあり、皇都の一等地が買えるほどの金額になると言っていた。それはつまり、俺がセレーナに今まで上げたプレゼントよりも断トツで高い金額になる、ということ。セレーナへのプレゼントで一番高いものを元帥からの贈り物、というのは何というか非常に気に入らない。


「……ごめんね」


 と、不意にセレーナが謝った。

 それが一体何に対する謝罪なのかわからず、俺は反射的に問いを返す。


「何がだ? 皇帝の暴挙に関しては……じゃないな」

「寿命のこと。まだ、何も見つけられていないんだ……」

「そのことか」


 俺はセレーナを抱き寄せ、彼女の頭を優しく撫でつける。

 彼女は、俺が最も信頼を寄せる人。身も心も、全てを曝け出せると思う女性だ。それは恐らく、彼女の方も同じだと思うし、お互いに隠し事はなしにしよう、と約束もしている。

 だから、セレーナは俺の余命についても知っている。どうして残り五年の命になってしまったのか、その経緯も全て話してある。


「手掛かり、見つけようと頑張ってるんだけど、中々見つからなくてさ」

「俺としては、このまま見つからず仕舞いな気がしてならないけどな」

「そんなこと言わないで。きっと、ソテラが五年後に死なない未来を掴むことはできる。そう思わないと、私の心が壊れちゃうよ……」


 俺の胸に顔を押し当てるセレーナの声音は、今にも泣きだしてしまいそうなものに変わっている。

 正確には、四年と半年の命。セレーナは何とか俺が死ぬ運命を変えようと、日々奮闘している。残念ながら、有益な情報を手にすることができた試しはないが。


「怖いなぁ……ソテラのいない日常が来るなんて、考えたくもない」

「一緒に死ぬ、なんてことは考えないでくれよ?」

「今のところは、そうするつもりだけど?」


 真顔で告げたセレーナに、俺は思わず呆れてしまった。

 これは、嘘偽りない本音だとわかる辺り、余計に困ってしまう。


「絶対に止めてくれ。死んだら一緒になれるとか、馬鹿なことを言うんじゃないぞ? 死んだら何も残らない。身体だけじゃなくて、思い出も全てな」

「わかってるけど、ソテラのいない生活が幸せに送れる気がしないよ」

「……」


 悲しそうに吐露するセレーナから視線を外す。

 これはあんまり言いたくないことなんだが、ここまでネガティブになってしまったセレーナは立ち直るのが遅い。そうなれば、明日は朝から陰鬱な気分にならなければならない。

 はぁ。なるべく顔を見ないようにしよう。


「セレーナ」

「ん?」

「言っておくが……俺が死ぬ前には、ちゃんと遺しておく、つもりだからな? 少なくとも、俺はそのつもりだが」

「遺す? …………………あ」


 長い間を空け、俺の言葉の意味を理解したセレーナは声を上げ、顔を赤くしながらだらしなく口元を緩めた。

 うわぁ、凄ぇにやけ顔だ。


「も、もう……それじゃあ、死ぬわけにはいかない、ね」

「あ、あぁ……ああ!! もうこの話はやめだ!!」


 そこはかとなく甘くなった空気に耐え切れず、俺はセレーナから離れてソファを立った。


「シャワー浴びてくる」

「あ、う、うん……」


 お互いに気まずい雰囲気を自覚しながらも、俺は極力気にしないよう心掛けながらリビングを後にし、浴室に向かった。

 その時、洗面台の鏡で自分の顔を見ることになったのだが……見ているこっちが恥ずかしくなるくらい赤くなっていたのは、ここだけの話だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る