第2話 授業

「今日は……少し教材に書いていないことも教えるから、まずは復習からしようか」


 俺は黒板に白墨で「現在の世界」と書き記し、指先に付着した白い粉を払った。これは本来十三以上の少年少女なら知っていることだが、今日の授業では必要となる内容なので、一度おさらいをしておいた方がいいだろう。三人がしっかりとした知識を持っているのかも、わからないからな。


「カルミラ、影獣シャドーについての説明をしてくれ。座ったままでいい」

「はい」


 カルミラは教科書を見ることなく、饒舌に答え始めた。


「影獣はおよそ三百年前に世界各地で同時に出現した、全身を黒く染め上げた奇形生物です。通常の動物とは内包するマナ、腕力や凶暴性などが桁違いであり、人間を優先的に捕食する、日光を浴びると極端に弱体化する、という特徴を持っています。発生原因はウイルスとも種族進化とも言われていますが、真偽は不明。ですが、影獣という天敵の出現により、我々人類は陸と海の八割を奪われました。影獣による死亡者は、ざっと七十億とも言われています」

「よし、じゃあ次に、影獣によって齎された世界の影響を、オリビア」


 影獣についての知識は十分と判断し、次の説明を求める。

 指名されたオリビアもカルミラと同じように、教材を見ずに答える。


「三百年前には世界中に二百を超える国がありましたが、現在ではアルシオン皇国、レスティラ共和国、アガレバス王国、セパレム帝国、シフォルニア教国の五つに縮小しました。加えて、全ての国が影獣に対抗するための軍を結成。光武具ロシェルという武器と、影獣の出現と同時に現れたマナというエネルギー体を源とする魔法を作り、それらを操り影獣と戦う魔法士の育成に心血を注ぐようになりました」

「そこまででいいぞ」


 流石に勉強しているだけのことはある。知識に間違いは一つもないし、一度も躓くことなく答えてくれた。オリビアはよしとして、カルミラはこれだけできるんだから、もう少し自己肯定感を強く持ってくれるといいんだがなぁ。


「これだけ知識として頭に入れているなら、上出来だ」

『でも、これは十三歳までには頭にぶち込んでおく内容だろ?』

「人間は使わない知識はすぐに忘れる。忘れていないかの確認も兼ねていたわけだ」


 まぁ、魔法士として影獣と戦うことを夢見る彼女たちが忘れているとは、あまり考えていなかったけどな。その通りでよかった。


「話を戻すが、現状影獣は軍の管轄下にある魔法士たちの活躍によって、人類領土への進行を許すことなく撃退できている。それだけではなく、魔法や光武具の技術進歩によって、失われた領土の奪還まで成し遂げている」

「ニュースでよく見ますわね」

『まぁ、信憑性は薄いがな。そこのところは、元軍人のソテラ的にはどうなんだ?』


 十代前半にして、既に情報を疑うことを覚えているのか。

 成長が早いというかなんというか……。


「元軍人として言わせてもらうと、ニュースの情報は結構誇張されている部分が多い。全てを全て信用しない方がいい。じゃなくて──」


 話が脱線しかけたので、俺は強引に軌道修正して本題に戻す。

 危ない、前回も話を脱線させて、予定していた授業を終わらせることができなかった。今日はそうならないようにしなくては。


「俺たち人類だけでなく、生物は長い年月をかけて環境や天敵に適応するため、生物としての進化を遂げてきたと言われている。全て辿れば、俺たちの先祖は全て微生物だって言われているくらいにな」

「? どうしていきなり生物進化学を?」

「まぁ、要するにだな」


 俺は軍関係者の中でも一部にしか知られていない事柄を口にした。まぁ、生物進化学を勉強していれば、いずれは疑問に思うことだろう。俺は……実際に、戦場で理解したわけだが。


「進化しているのは、何も人類側だけではないってことだ」

「それって……影獣側も、人類に進行するために進化しているってことですか?」


 目を見開いたカルミラに、俺は頷きを返した。


「軍の魔法士って言うのは、主に二つの役割に分かれている。国を護る防衛の役割を務める者と、影獣に奪われた領土を奪還する者。最近、後者の魔法士が任務に失敗し、部隊が全滅する回数が増加している」

『既存の魔法士じゃ勝てない影獣が増えた、ってことか?』

「そう解釈して貰って構わない。今はまだ、盾となる魔法士の数は多いのでそれほど問題にはなっていない。だが、矛となる魔法士は確実に数を減らしている。死亡率は、数年前よりも三倍程上がっているだろうな」


 魔法士を志す少女たちには、少々酷な現実だろう。

 彼ら彼女らが思い描いている魔法士としての未来も、嘘だとは言わない。だが、実際には血生臭く残酷で、非情な世界なのだ。


「影獣の進化については、周囲に言いふらしたりしないようにな。妙な混乱を招くことになる」

「そんな情報を、私たちに教えてもよかったんですか?」

「そこはまぁ、俺の教え子になった特権ということで。領土奪還の最前線で戦って来た魔法士が教えるんだから、他の奴が教えるよりも有益な教育をしなくてはな。育成学校に通っているだけだと、死ぬことはないにしても、こうなるぞ」


 言って、俺は義足を嵌めている右足を見せた。

 衣服を着用している時は目立たないが、露骨に見せられると、人間のそれではない黒い足が人目を引く。


「死ななくても、こうして部位欠損になれば、魔法士としてはやっていけないだろう。お前たちはまだ若いし、この先も長い。だから、間違った選択はしてほしくないんだ」

「……そういえば、先生は義足でしたわね」

『まだ、自分の手足とおさらばはしたくねぇな』

「うん。できれば、五体満足でいたいよ」


 自らが俺と同じような身体になることを想像したのか、三人は顔を青くしながら手足を摩る。

 そう、これが本来あるべき姿だ。

 戦場とは命を散らす場所であり、恐怖に支配された場所だ。最近の学生や若い魔法士たちは、戦場を好きに魔法がぶっ放せるストレス発散の場所と勘違いしている奴らが多すぎる。本来、魔法士志望者はもっと減少しなければならないのだが……高給取り且つ、命を軽視ししている志願者が殺到しているのが現状だ。

 一度元帥に如何なものか、と進言してみたことがある。だが、魔法士は国力そのものであり、領土奪還のためならどれだけいても問題はない、と突っぱねられた。彼に恩義はあるものの、もう少し命を尊重しろ、とかなり言い合いになったのを覚えている。結局、俺が折れざるを得なかったが。周囲は親子喧嘩とか言っていたな。誰が親子だ。


「とりあえず、楽観的に考えていたら、いずれ命を落とすことになるってことを伝えたかっただけだ。勿論、人類の影獣に対抗する力も日々進化している。ちゃんとした危機感と心構えを持っていれば、九割のことは大丈夫だ。残りの一割は、自分の運と実力次第だが」

「わ、わかりました……」

「かなり不安になりましたけど、魔法士を目指すうえではいずれ通る道ですものね」

『一緒に戦って来た仲間が目の前で、なんてこともあるだろうしな。寧ろ、死者が多い前線ならそういうことも珍しくはないか』

「あぁ、その通りだ……」


 胸に刃物が刺さったように、痛みが走った。

 そして、無意識の内に、俺の脳裏には記憶が蘇る。半年前、俺の運命を大きく狂わせた、あの日のことが──。


『おい、ソテラ!』

「──! 悪い、放心してた」


 エルシーの機械的な声で、俺は我に返った。


「体調、悪いんですの?」

「いや、そういうわけじゃない。なんというか、お前たちが魔法士になった時のことを思い浮かべてな。カルミラが、影獣相手に泣き叫んでるところとか」

「そんなこと絶対に……とは言い切れませんけど、しませんよ!!」

「馬鹿野郎。大半の魔法士は初めて影獣と遭遇した時には恐怖で泣き叫ぶんだ」


 軍の中で常識となりつつある、新人魔法士の恐怖耐性訓練。

 そういえば話したことなかったな、と思いつつ、俺は三人に話して聞かせる。

 結局、授業とは違う話に脱線してしまい、この日は予定の半分程度の範囲しか教えることができなかった。

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