第33話 ておくれ

 一行が大陸周回競技レースにおける最後の停泊地であるネイピア辺境伯領の領都ノーディザムに到着したのは、大会開始から13日目のことだった。例によって宿の部屋で3人は今後について話し合う。


「ひょっとしたらと思てたけど、やっぱり1位になっとったか」


「まあな。1位も2位も迂回したみてえだし、そうなると途中で休まなきゃもつわけねぇ。たぶん2位とは1日以上空いてんじゃねぇかな」


 ヴェルファウストからノーディザムまでの海域は風が弱く、帆船は速度が出ない。そこを海賊に狙われるとひとたまりもないので、常識的に考えれば海域を大回りする。だが風の弱い海域で大回りすると日数が余分にかかり、小型船の場合は操船を担当する水夫の負担が増えてしまう。その結果どこかで休む必要が出てくるというわけだ。最短距離を休憩なしで駆け抜けた『知られざる英雄号』とは大差がついて当たり前だろう。


「意外と落ち着いてますねローザ。もっと取り乱すかと思ってました」


「あんな体力と暴力のゴリ押しを見たらもう驚かねぇよ。ほんっと出鱈目だよなノエルは」


 前半の海域では最短距離を駆け抜ければ、体力のある水夫ならなんとか休息無しでもたせることができる。だが後半になると気候の影響で速度が抑えられ、それによって危険への遭遇率も高くなるのでそういった無茶は通用しないはずなのだ。


 だが『知られざる英雄号』は前半のやり方で後半に入っても押し通した。普通ならば途中で脱落するところであるが、ノエルの底なしの体力と火力で強引に押し切ってしまったのである。具体的には途中で3度海賊と遭遇したのだが、いずれもノエルの銃撃によって撃退したのだ。出会った海賊は死者こそ出していないものの、身体にそれぞれ1つ余分な穴が増えてしまった。


「これで後はロンディニウムに帰るだけやな。こっからは逆風やししんどそうやけど」


「ここからはヴェラの風の加護が頼りだけど、それでも他の海域の倍は時間を食うと思う。あとこの海域で一番怖いのは悪天候だから、いざという時の為に体力的な余裕は絶対に確保するぞ。だから夜通し航海すんのはなし。例え他のチームに抜かされてもなし。いいな。わかったな。今度ばかりは言うこと聞けよ」


「ヴェラも共犯なのに僕にだけ詰め寄るのは何故なんでしょう?」


「明らかに主犯がノエルだからに決まってんだろ」


 確信をもって断言するローザに、苦笑を返すノエル。確かに最近ヴェラとの関係では自分が主導権を取っていることが多いので、主犯と言われれば否定はできない。ノエルは返答の代わりに両手を上げて降参の意思を示す。ローザはまだ疑わしそうだったが、今この場でこれ以上追い詰めることは不可能だと判断して矛を収めることにする。


 部屋の外から聞き覚えのある声がローザを呼んでいるのが聞こえたのは、まさにその時だった。




「だから、俺ぁ選手の身内だっつってんだろうが! 邪魔すんじゃねぇよ!」


「ですから、関係者証のない方は選手の方へお取次ぎはできません! お引き取りください!」


 宿の受付で従業員と何者かが押し問答をしている。どうやら中に入れろと騒いでいるようだ。だが大会開催中は不正や脅迫防止の観点から、選手たちの宿は関係者以外立ち入り禁止になっている。関係者であればそれを示す札が渡されているはずなので、騒いでいるのはそれすら持っていない者なのだろう。


 放っておけばそのうち従業員が摘まみ出すか、憲兵が呼ばれてしょっ引いていくだろうとは予想がついた。だがノエルとヴェラはともかく、ローザだけはそれを見過ごすことができない。何故なら騒ぎを起こしているのは……。


「何してんだよ親父」


「おうローザ! さっさとおめぇを呼べばいいのに、こいつが話のわかんねぇ奴でよ! てめぇも俺が呼んだらさっさと出てこいってんだ!」


 自分がやっていたことの意味もわかっていないのか、ダリルは宿の従業員とローザを非難する。非難された従業員はローザとダリルを見比べて何事か考えているようだ。おそらく憲兵を呼ぶかどうかを判断しているのだろう。


「ここは大陸周回競技に出てる選手の為の宿だ。無関係の親父が入れるわけねぇだろ。ってかなんでノーディザムここにいんだよ」


「うっせぇ今はそれどころじゃねんだよ! おいローザ! 今すぐそいつらと手を切って帰ってこい! でなけりゃガスが危ねぇんだ!」


「なに?」


 そのままダリルがまくし立てた内容を整理すると、ローザの弟であるガスが何者かにさらわれたらしい。そして犯人たちはガスの身の安全と引き換えに、ローザにヴェラたちと離れることを要求しているのだそうだ。


「わかったか! わかったらとっととこんな船遊びから手ぇ引いて、工房に帰るぞ!」


「……ちょっと待ってくれ親父」


「何を待てってんだ! てめぇはガスが心配じゃねぇのか! それでもガスの姉か!」


「だから待てって言ってんだろうが!」


「なんだとこの親不孝もんが!」


 言い返されたことが腹に据えかねたのか、ダリルは顔を真っ赤にしてローザに殴りかかる。だがローザを庇うためにヴェラが身を乗り出した結果、ダリルはノエルの容赦ない蹴りを鳩尾に食らい、吹っ飛んで転がった上に悶絶するはめになった。大変なとばっちりである。


「うわかわいそー。オッサン、ノエルの前で迂闊なことせんほうがええで。今のでようわかったやろ」


 とばっちりの原因になったヴェラが他人事のように言うが、ダリルには返事ができない。急所への強烈な一撃で呼吸が一時的に止まっているのだ。憎々し気にヴェラを睨みつけるだけである。だがその視線をノエルが遮ると、その表情には怯えが走った。


 ノエルはヴェラとローザに目で問いかける。ヴェラがローザの手をしっかりと握りながら頷くと、見届けたノエルはダリルに向き直った。


「今からいくつか質問をします。速やかに正直に答えてください。わかりましたね?」


 ダリルを見下ろすノエルの目には、慈悲も躊躇も見当たらない。それが一目でわかったのだろう、ダリルは勢いよく頭を縦に振った。相変わらず威勢がよくても根性はないらしい。


 ノエルによるダリルの尋問は実に効率的だった。ダリルの余計な発言を眼光だけで黙らせつつ、逆に隠そうとしていることや誤魔化そうとしている点を容赦なく突いていく。ほんの数分でいくつもの重要な情報を吐かせることに成功していた。


「つまり貴方の息子は誘拐されたのではなく、それどころか何の事情も知らずに今も工房にいると。で、貴方はフランシスの復讐にローザを巻き込ませないために、嘘をついて引き離そうとしたんですね?」


「あ、ああ。フランシスは誰かにあんたとそっちのハーフリングを痛めつけろって頼まれたらしいんだが、ローザは関係ないだろう? だから俺は娘を助けるために、その」


 自信なさげに絞り出されたダリルの言葉に反応したのは、ノエルではなくローザを抱え込んだヴェラだった。


「ローザは関係ないて、オッサンそれ本気で言うてんのか? フランシスがローザに手出しせえへんわけがないやん。フランシスに依頼した奴は、ノエルと仲のええもん全員を狙てんねんで?」


「「へ?」」


 ローザとダリルの声が被る。親子だけにそういう時だけは表情がそっくりだ。


「ウチらと別れてフランシスに合流なんかしたら、ローザは散々痛めつけられてから今度こそ人質としてノエルの前に連れていかれるんとちゃう? 依頼人の性格と、フランシスの趣味を合わせたら間違いないで」


「「え?」」


 やはりよく似た青ざめた表情でつぶやく親子。だがその理由は親子で少し違ったようだ。


「そ、そんなわけねぇ! フランシスは俺の親友だぞ! そんなことするわけが……」


「ちょっと待てよ! アンタらそうなるとわかっててアタイを巻き込んだのかい!?」


 ダリルの言葉には反応せず、ローザの詰問にだけヴェラとノエルが答える。


「いやあ、ウチもその辺の事情をちゃんと聞いたんがローザと仲良うなった後でなぁ。もう手遅れやなと思たから、いっそ仲間に引き入れて連れてこかなーて考えたんよ」


「正直誤算だったんですよね、ヴェラとローザがこんなに仲良くなるの。でもまあ、ご家族と上手くいってない様子でしたし、ヴェラが楽しそうだからいいかなと」


「それに船大工兼水夫で、設計も交渉もできて経営の知識もあんねんで。そんなもんウチらでのうても引き抜き狙うわな。むしろ今までそんな話が無かったんが不思議なくらいや」


 いけしゃあしゃあと悪びれもせずに事情を説明するノエルとヴェラ。無視された形のダリルは口を挟めずまごまごしていたが、ローザはそれどころではない。


「て、てめえら、アタイのことはめやがったな……」


「うん。てことでこれから稼ぎは3人で山分けってことで、よろしくなローザ?」


「こ、こ、この、ド外道どもがーーー!!!」


 ヴェラに抱えられたまま悲痛な叫びを上げるローザ。その残響はノーディザムの街の暗闇に呑まれて消えていったのであった。

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