第23話 はらをくくる

 コーベット工房で繰り広げられていたのは、一見すると少女同士の華やかなお喋りだった。ただし実態は多額の金銭が動く腹の探り合いである。居合わせたノエルとしてはなかなかに幻想の壊れる空間であった。


 そもそもコーベット工房との交渉はノエルが担当するつもりだったのに、いつの間にかヴェラとローザの間で話が進んでいる。ダリルが相手の場合はともかく、ローザが相手の場合はヴェラのほうが波長が合うらしい。元々ヴェラが気おくれしないのであれば、交渉はヴェラの方が適任だ。そう判断したノエルはこの場をヴェラに任せることにした。


「ウチからの提案は簡単や。前に乗せてもらったローザの船、あったやろ? あれを売って欲しいねん」


「アタイのって……アレかい? ありゃ売りもんじゃないよ。アタイの趣味で作った競技レース用だしね。仕事で使うにゃ癖がありすぎる。知ってるだろう?」


 ヴェラの話を受けて、先ほどより困惑するローザ。ローザが作った船というのは、競技用に作った小型快速船だ。ローザ自身が設計し、時間を見つけては少しずつ製作していた私物である。以前レアード海運の熟練水夫に試験航海を依頼したことがあり、その際にヴェラは同乗していたのだ。


 ちなみにこの船は最高速度こそかなりのものだが、操作性に極端な癖がある。さらに積載量も少ないため、運搬業務はもちろん潜水業務にも向いているとは言い難い。元々想定された競技自体が工房の技術力を誇示するためのものなので、一般的な船とは作られた目的が違うのである。


 おそらくヴェラはレアード海運が倒産するということで、このノエルという男と独立することを考えたのだろう。以前会った時に潜水サルベージ屋をやりたいとも言っていたはずだ。だがあの船では引き上げた品物が大して積めない。それがヴェラにわからないはずはないのだが。


「売りもんやないのは承知の上やけどな。あんだけの船、ずっと仕舞い込んどくんも勿体ないやろ? それとも他に売れそうな船でもあるのん?」


「そりゃないけどね……。一度も競技に出さずに売るってのは、ちょっと……」


 ヴェラの提案を、迷いながらも断ろうとするローザ。背に腹は代えられないとわかっていても、丹精込めて作った船を一度も晴れ舞台に立たせぬまま手放すことには抵抗がある。


 とはいえヴェラにしても引き下がるわけにはいかない。最高速度が速く、かつノエルと二人でなんとか扱えるという条件を満たしている船などそうそうないのだ。何よりコーベット工房は今窮地にあるので、他所より安く買い叩くことが可能である。これほどの条件が今後揃うことはまずないだろう。


「そない言うたかて、大会に出る目途が立たへんのやろ? 扱いが難しすぎて、乗りたがる水夫が見つからへんて言うてたやん」


「そりゃそうだけどさ。あれはヴェラの腕力じゃどうやったって扱えないよ? そっちのお兄さんなら扱えるって保証はあるのかい?」


 そう言ってローザがノエルに話を振る。だがノエルが所属していたのは海軍ではなく近衛師団だ。任務で船に乗ったことはあっても船を扱ったことはない。どう答えたものかとノエルが思案していると、ヴェラが少し自慢げに言い放った。


「水夫の経験はあれへんけど、ノエルやったら大丈夫や。体力は十分あるし何より頭がええ。きちっと教えさえすれば、なんとでもなるわ」


 言葉も表情も惚気が隠しきれていない。持ち上げられたノエルはと言えば、やや顔を赤らめてそっぽを向いている。突然始まった惚気にあてられ、ローザとしてはいい迷惑である。


 そもそもローザはヴェラとノエルがそういう関係にあるとは予想していなかった。レアード海運のオーエン水夫長がヴェラを狙っているという話は聞いていたし、その上でヴェラにその気がないのも見てすぐにわかったのだ。だからヴェラは人間の男性を恋愛対象に選ばないと思っていた。


「なんなんだよ急に。そういうのは他所でやっとくれ」


「なんやつまらへんな。せっかくウチの男を自慢できる思たのに」


「ああもうなんだってんだい。そんなにいい男なら箱にでもしまっときな」


「ええ男は見せびらかしてこそやで?」


 下らないやり取りを続けながら、ローザはヴェラの提案について改めて考えた。工房が倒産の危機にあるのなら、金が必要になることは確かだ。レアード海運から発注を受けた大型船を完成させた上で引き取り手を探すにしても、すぐに見つかるとは思えない。その間を繋ぐ資金はどうしても必要だ。


 だがあの船はあくまでもローザの私物で、個人的な夢のために作ったものである。扱いの難しさから試験航海を頼んだ水夫からは失敗作と言われたが、その点も改良を重ねていた。だからせめて一度は競技の場に出してみたい。自分の設計と技術を世に問うてみたいのだ。


 ここで考えられる妥協案としては、この二人に大会出場を依頼するという方法がある。だが直近の大会は年に一度だけ開催される大陸周回競技だ。このノエルという男が船を扱いきれたとしても、この大会は昼夜を通して競われるために交代要員が必須となる。今から交代要員を探す時間があるかどうか。


 いや、いることはいるのだ。探すまでもなく。水夫としては未経験だが、あの船を一番よく知る者がここにいる。父も弟も職人としてのローザを軽く扱っている手前、大会期間中に仕事を休んだとしても表向き文句を言われることはないだろう。


 だがそれを選ぶのは恐ろしい。大会期間中ずっとこの二人の惚気に付き合わされるという苦行もさることながら、根本的な、種族的な問題がある。ドワーフは人間より比重が重く、水に浮きにくい。だからほぼ全員が泳げないし、水が苦手だ。ドワーフの船大工は多いが、船に乗り込む船大工はまずいない。もちろん、ローザもまた例外ではなかった。そうでなければ試験航海を人任せになどするものか。


 種族的な宿命に深く苦悩するうちに、すっかり黙り込んでしまったローザ。気が付けばヴェラとノエルが心配そうにのぞき込んできていた。


「まあその、そんなに長く待てるわけやないけど、今すぐ結論出せとは言わへんから。ちょっと時間かけて考えてみてくれへん?」


 そう言われると、かえって時間がないことを意識させられてしまう。単に船を売る売らないの話であれば少しくらい猶予はあるのだろうが、大会の申し込み期限までは数日しかなかったはずだ。結論を出すには今しかない。


 ローザはもう一度だけ、今の状況を整理した。レアード海運の倒産。連鎖倒産の危機。小型船の買い取り。そして大陸周回競技。もしこの話に二人が乗ってきたとして、ローザにとっての利益は小さくない。念願の大会に船を出せるし、大会でいい成績を残すことができればコーベット工房の名が上がる。次の仕事に繋がる可能性も出てくるだろう。あと、確か上位入賞すれば賞金も出るはずだ。


 それに対して不利益はたった一つ。お水が怖い。それだけだ。その一点だけだ。もはや結論は出たも同然だろう。なら、やるべきことは決まっている。ローザは天を仰ぎ、人生をかけた一大決心をした。


「あの船を売ってもいい。けど、条件がある」


 こうしてヴェラとノエルは、青い顔をして震えるローザから大陸周回競技大会への参加を要請されたのだった。

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