第24話 おもいやられる

 ヴェラとノエルがコーベット工房を訪れた翌日。二人は改めて工房の奥にある船渠ドックへと招かれていた。建造中の大型船とは別に、細長く鋭い印象の小型船が保管してある。一口に小型船と言っても様々なものがあるが、この船は荷物を最低限にしても最大で5人しか乗れないという、完全な競技レース用であった。


「こいつがアタイの作った『知られざる英雄号』だ。見ての通りの競技用で、扱いには相当な慣れがいる。これからみっちり教えるから覚悟してくれ」


 解説しているのは設計者であり製作者でもあるローザ。昨日同様に青い顔をしており、声も足も少し震えている。


「なあ大丈夫なんローザ。今にも死にそうな顔色しとるで?」


「大丈夫だ。ほっといてくれ」


 ローザがこれほどまでに追い詰められているのは、これからこの船に乗って慣熟訓練をするからだ。水に落ちたらまず助からないドワーフは、足のつかない水場を極端に嫌う。ローザが海を恐れるのは全くもっておかしな話ではないのである。


 とはいえ水に落ちた場合の備えとして、木製の救命胴衣をきちんと装着している。また着ているのも本格的な潜水用ではないものの、防水加工された全身用の密着作業服ボディースーツだ。これだけ備えていれば海に落ちてもしばらく浮いていられるし、体温を急速に奪われることもない。今日は沖に出るつもりもないので、遭難する可能性も低いだろう。


 それでもローザの顔色が悪いのは、もはや本能的なものだ。理屈ではないのである。


「なんやったら、ウチとノエルだけで行こか? ローザはまた明日からでもええねんで?」


「もう大会まで日数がないんだ。アタイも乗る以上、悠長なことは言ってられない」


 3人が参加する大陸周回競技までは、あと2週間しかない。如何にローザが『知られざる英雄号』を熟知しているといっても、熟練しているわけではないのだ。大会で良い成績を残そうと考えるなら、ここで躊躇している場合ではない。


「これは多分、止めても止まりませんね。実際乗ってもらったほうが確かに都合かいいわけですし、いざとなれば僕たちで助けましょう」


「それしかないかいなぁ。まあ一度こうと決めたドワーフが、口先で止まるわけもないか」


 今回の大会参加において、ヴェラとローザは次のように取り決めをしていた。まず船の所有権は大会終了までローザのものだが、大会が終われば代金と引き換えにヴェラに引き渡す。その際破損個所などがあればローザの負担で修理する。


「そういうことさ。ヴェラだって賞金は欲しいだろ。ならつべこべ言うんじゃないよ」


 大会参加費はローザ持ち。賞金が出た場合はヴェラたちとローザで半々。目立つことを避けたいノエルの要望により、手続きは全てローザがコーベット工房の名前で行う。大会参加者は代表と工房名だけ届け出義務がある形なので、これでノエルとヴェラの名前が表に出る可能性はほぼない。上位に入賞して名前を売りたいローザとしても願ったり叶ったりである。


「ほなまあ連れて行くけど、約束通りある程度の目途がついたら沖に出るで。ウチらも余裕ないさかい」


 そう言いながらヴェラは身につけた潜水作業服ダイビングスーツを摘まむ。船の購入に目途がついたので、さっそく潜水装備を一式購入したのだ。とはいえレアード海運からの賠償金はまだ入っていないので、ノエルの手持ち資金を借りている。あくまでも借りだ。ちなみにこの買い物の結果、今の生活費はかなり心もとない。


「わかってる。潜水作業サルベージはさすがに付き合えないけど、上で待ってるくらいはするさ」


 これはヴェラが大会参加に際して出した条件だ。操船訓練を行う際に、合間を見てヴェラとノエルは潜水訓練も行うのである。船が手に入ると確定した以上、少しでも早く潜水作業に慣れるためだ。一応船の代金はレアード海運の賠償金よりやや安くなったが、大会が終わった時点で賞金が入らなければ、ヴェラたちの懐具合はかなり厳しくなる。その状態から訓練を始めるのでは遅すぎるという判断なのだ。


「それじゃ、そろそろ出航しますか」


「おう」


 ノエルの声を合図に、ローザは釣り上げていた船を水に降ろすべくロープを手繰り始めた。




 船渠から運河を通って港まで船を運ぶだけで、ローザの顔色はより蒼白になっていた。ついでにヴェラの顔色まで蒼白になっている。恐怖に駆られたローザがヴェラに力一杯抱き着いたからだ。ノエルと同等かそれ以上の腕力で、一昨日に引き続き抱き潰されて人生を終えそうになるヴェラであった。


 ちなみに最初ローザはより近くにいたノエルに抱き着こうとしたのだ。そうはさせじとヴェラが割って入った結果がこれなので、ヴェラとしては文句も言いにくい。いや肺が圧迫されているという物理的な問題でもあるが。


「はたから見てると仲良しな女の子のじゃれ合いなんですけどね」


「がっつり、命がけや、ゆうねん。呑気なこと、言うとらんと、助けてぇな」


 ヴェラの懇願を受け、ノエルはひと塊になっている2人を船から港の桟橋に降ろした。桟橋の下はまだ海だが、揺れないことでローザはなんとか落ち着きを取り戻す。


「ああ、その、すまないね。もうちょっとで、慣れると思うから」


「まあ今日のところはしゃあないわ。ノエルにひっつかれるよりはマシやから、ウチにひっついとき。けど抱き潰すんだけはほんま勘弁してや」


「わ、わかった」


 ローザが名残惜しそうにヴェラを抱きしめる腕から力を抜いた。だが離しはしない。ノエルの時といい、ひょっとして自分は抱き心地が非常に良いのだろうかと、遠い目をしながらヴェラ思った。まあそうだとしてもあまり役には立たなさそうだが。


「ノエルのほうはどない? 船酔いとか大丈夫そう?」


「小型船は初めてですが、今のところ特に問題はないですね」


 ノエルが過去に乗ったのは近衛師団が保有する中型軍艦で、それに比べると『知られざる英雄号』は非常に揺れる。しかもここまでは運河だったが、ここからは海だ。今のところ船酔いの兆候はないが、油断はできない。というかほぼ間違いなく船酔いしそうな人物がいるので、つられて気分が悪くなる可能性も考えられる。最悪の場合、ヴェラを除く2人で魚に餌をやる羽目になるだろう。


「まあ今日のところは船やのうて海に慣れるんが目的いうことで、ぼちぼちいこか」


 結局その日ノエルは体調を崩すことなく、癖のある操船にもある程度慣れることができた。一方でローザはひたすら船から餌撒きをしていたが、帰るころには一応の落ち着きを見せるようになる。


 ただ予定外に大変だったのはヴェラだった。というのも至近距離でローザが何度も嘔吐するのにつられ、人生初の船酔いを経験することになったのである。どうやら自分はどこにいっても嘔吐する女性の世話をする運命にあるらしいと、遠い目をしながらノエルは思ったのであった。

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