#34:不→完全×シィンメェトリコ×心匣

 池のぐるりを巡って、反対側にあった太鼓橋、浮島に架かる橋を渡っていく。もはや「渦」の直径は小ぶりな島のそれを超えるほどにまで範囲を広げていた。そして橋の中途に、その人影はあったものの。


 全く興味が無いという目で見られた。見られたというよりは、何気なく振り返った視線上にただ僕がいたというだけか。緑条の顔にはもう貼り付けたような笑みは浮かんでいなく。あとは「渦」の最終調整に余念がないといったような、淡々と作業をこなすだけの顔があるだけだった。


「あと二、三分ってとこだけどぉ。今更そのちんけな『白匣』で封じようって言っても手遅れ。完全励起状態。あとは極限まで滞留した『感情』の吹き上がりを待つだけだよ。もう終わってる。キミも諦めて見物と洒落こもうじゃないか。諦めた上で委ねるっていうのもありかと思うけどねぇ、『感情』に」


 緑条の顔は弛緩しきっていて。やっつけ作業に臨むように気怠さを隠せてもいないが。僕もその前に無表情で立ち尽くすばかりであり。


「何で……こんなことを」


 聞くまでも無かったかもだが、何かしらのきっかけが欲しかった。コミュニケーション。そいつの何たるかはこんな局面に至っても未だに理解したとは言い難くて。


「『感情』のありか、ありかたがよく分からなくなってねぇ、とかの理由を挙げればそれで納得するのかい? 正直ボクにももうよくは分からないのさぁ。手段なのか目的なのか、それも判然としなくなっているんだよねぇ……強いて言えば好奇心?」


 こいつの身体の表層も深層も、流れているのはうそ寒いほどの「緑色」。【幸福】? 幸福を常に感じている、こいつは本当に何者なんだ? いや、何、なんだ。


「まあ何だっていいよねぇ。感情さらけ出しむき出しの世界へこれからGOなんだから。願わくばボクにもキミにも荒れ狂う『感情』が宿ったりしたらいいよねぇ……」


 僕の無表情無感情を殊更に嘲笑うかのように、緑条は顔を歪めてみせるが。


「あのコを……あのコの『感情』を暴走させたのは、それも『好奇心』とか、言うのか?」


 自分の言葉が放つそばから硬くしぼみ凝縮していく。ままならない。別に答えは求めてはいなかったが、


「まあキミがそう思いたいのならそれでも構わない。全ては今日この時に至るまでの壮大な伏線実験だったのだ!! っとか、盛り上げておいた方がいいのかな。さあ前口上は切り上げ時だ。一緒にその時を迎えようじゃあないの」


 確かに切り上げるところだと思った。これ以上こいつと言葉をこねくり回していても何も何一つも始まらないと思った。が、


「おっとぉー、まぁだやる気かい、もう流石に胸焼け気味だぁ、そこでおとなしくしてなねぇ」


 左手に「匣」を持ち構えた僕に対し、ちらと一瞥をカマしてきた瞬間、僕の伸ばした左手左腕左肩そして左こめかみに同時に、破裂した何かが衝突したかのような衝撃が加えられていたわけで。


「……っ」


 「泡」か。耳鳴りなのかそれとも鼓膜が破れたのか、左側の世界が遠のいたような気がした。五指で保持していた「正八面体」も衝撃で転がり草の中に入ったのか見失った。


「あは、が、が、あっさり過ぎて興ざめだったねぇ。ま、ま、そこで呆然としていたまえよぉ。キミとボクは確かに似ているトコロはあるかも知れないが、次元が違うんだよねぇ、キミに『透明』は感知できないんだ。残念残念。それよりそれよりさ、始まるよぉ?」


 喋りのテンションと同期するかのように緑色を濃く鮮やかにしていく緑条の言う通り、僕は立ち尽くす。が、呆然とでは無く。左の聴覚を失ってバランスが悪くなったと感じている頭の中を去来するのは、


――「情動」? 時にはぶちかますのもありよぉん……?

――そのまた先にあるもの。そいつを目指して欲しいとか思ってるよ……

――なんだかあたし分かった気がする……


 みんなの声。僕にも分かった気がする。と、それに被さるようにして。


――ちきゅうのへいわをまもるのは、いつだって「正義」のヒーロー、でしょっ!!


 君の声が。そうか、君にはずっと分かっていたんだね。


 振りかざすよ、僕も。誰に何と言われても「正義」を。僕だけの「感情」「情動」の先にあった、僕だけの「正義」を……


「んん~? まだ何かやろうっての……んんん? 何だいこのちっぽけなヤツはぁ?」


 初めて、緑条の声に怪訝を示す「黄色」の感情が乗った。だが、その場には何も変化は無く、何も現出していないように見えた。「励起」状態にあるという、「黒い渦」の軋むような地鳴りのような音が断続的に響いているだけのようだったが。もちろん違う。


「『次元が違う』なら……『次元を超える』……っだけだ」


 身体を突き動かす「感情」は、何色とも言い難かった。全ての色が、光が集束して、ただ一点に向けて真っ直ぐに放出されているような、そんな感覚。


 目には見えていない。感情としても視えてはいない。それでもその物体がそこにあると、僕は感知していた。いつか見た夢の中で、僕を磔にしていた、白い直方体を組み合わせて出来た「十字架」のようなものを。


「なんだぁ? この豆粒のようなぁ? こんなモノでどうすると言うんだいぃ? あは、あはははハゴッ!?」


 緑条の歪み顔は、これまで見せてきたそれらとは決定的に違って。その「緑」の隙間から漏れ出ている「黄色」は【憂惧】かい【憤懣】かいそれとも……【恐怖】、かい?


「大きさは関係無いんだ……僕らはそれを完全には認識出来てない。少しヒトより鋭敏な感覚で、何とかその一側面を見ているに過ぎないんだ……」


 一歩一歩、距離を詰めていく。驚愕のまま身体を硬直させた緑条との間の空間に、僕にも豆粒ほどの「それ」が見えてくる。いや、脳のどこかに落とされた「影」のようなものかも知れないが。白い十字架の影。八つの直方体で構成されたそれは、今、ゆっくりと一点に集約されようとしていた。


「何だこれは……ッ!! 何故『感情』が現れない……ッ!!」


 完全に余裕を無くしてわめき出す緑条は、そのザマを改めて眺めてみるとちょっとアレなおっさんにしか見えなかった。その眼前に立ち、僕は何故か非常に凪いでいる。僕の中で自然に流れだした「感情」は、それも今、目の前で畳まれていっている「匣」に飲み込まれていくようで、一体化していくかのようで。


「多分、四次元でないと感知できない。『正八胞体』。いや立方体じゃあ無いから『正』では無いかもだけど。不完全な、歪んだ『匣』。その展開図の内包範囲に、僕らも『黒い渦』も、散らされた『黒い感情』も全て……もう『含まれて』いるんだ」


 ワケの分からないコトをのたまうなぁぁぁッ、と、今度は「赤」で擬装した「青」をほの見せてくる緑条だったが。無理しなくていいよ、僕も怖ろしいんだ。白く超然と光を放つ「十字架」が、脚の方から静かに重なり合うように畳まれていくのが見える。


「『黒い感情』を問答無用に無責任に『悪』と……『邪悪』と言い切るよ僕は。人々からそれを打ち払い、平穏、平和をもたらさんとする、その『情動』を僕は……臆面も無く『正義』と言い張るよ」


 君なら迷いなく言い切るはずだ。


「こ……のイカれがぁぁあああああッ!!」


 一ミリ動かすのも困難だろう、それでも緑条は歪めた顔のまま、僕の方へ両腕を伸ばし、首に手を掛けてくる。


「畳みこまれた先が何処かは全然分からない。そこに感情全部を呑み込まれてどうなるかも。もしかしたら『時空間』を超えるなんてことも出来るのかもね……そうなったら」


 やめろやめろぁっ、と力無く呟くその、一ミリも「緑色」の出てこない枯れた顔面も少しづつ薄れていく。言葉は「感情」に乗り、紡ぎ出されていく。


「あの日のあの交差点に戻って……あのコに謝ってこいよ……ッ!!」


 動く右腕を伸ばし、緑条の首を掴む。僕の「感情」も、どこまで飛ばされるのかな。分からないけど、君にも、もしかしたら逢えるのかな。そしたらぼくはなんて言おうかな。ごめんねかな、ありがとうかな。きみはたぶん、このちゅうとはんぱなヒーローのぼくを、わらうんじゃないかな。


 ずっとわらっていてほしいな。さよならを言わなくちゃいけないときが来ても。


 ……だって、ぼくはかならずまた帰るって、やくそくをしたんだから。


 ちっぽけな白い光が、周囲の黒を引き寄せ、収束していく。全身から何かを引き抜かれる感覚がして、そして。


 僕は。

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