#31:未→公認×ウチィデレエピデェミコ×清濁

 イメージ以上に「アクロバティック」だった。


 足の踏み場も無いほどの芋洗い混雑を極めた進路に窮したかに思えたが、見方を変えれば……視界を三次元にまで広げれば、そこには確かに「道」はあるわけで。あったわけで。とは言え。


「イイイイイイイイヤッフゥゥゥウウウッ!!」


 「ハイ」という形容がこれほどまでにキマる状態というのも珍しいのではないだろうか。断崖にハーケンを打ち込むように、何も無いように確かに見える空中に「球」と「糸」とを突き込むようにして次々と固定していくと、その流れのまままるで緩やかな螺旋階段を駆け上がるようにして次の瞬間、その流麗な肢体は到達していた。道路沿い五階建てくらいの高さのあるホームセンターの建屋の屋上まで。


「……」


 唖然を通り越したままの無表情な僕らを、その見上げる上空から伸びてきた「糸束」が両脇下をくぐって来たと思った瞬間には、またも伸縮性の高いゴム紐のような挙動で十五メートル以上はあると思われる高さまで達しているのであって。急すぎて叫びも出ない一瞬で。


 一気に周囲三百六十度が深いオレンジ色のような光に包まれる。高所から見渡すと地上で極まっているという騒動混乱も少し現実感を失うようで。しかし遥か遠くからうっすらとしかし途切れずに鳴らされているクラクションらしき音とか、黒く長い煙がいくつかたなびいている様子だとか。異状は確かにひたひたと迫って来ている。急がないと。


「下天の民たちを相手している暇は無いのよぉん……っさあこっからは映えるアクションをカマしちゃりますかいねい……小娘、建物間の幅広いとこは先読みして『足場』出してよねぇ、出来るよねぇ……?」


 ふいと一瞬振り返った三ツ輪さんの頬を伝っていた汗の滴も、周囲と同じ橙色を透過させていた。よく見るとかなり息が荒い。それでも平常心を崩さない姿勢は……流石としか。目が合い、自然な笑顔を返されるが、こんな時に返すべき表情を僕は知らないのが歯がゆい。


 ともかく、滑走が再開される。プラス跳躍。下を見てはいけない。風を巻いて空中に自分の身を投げ出していくという感覚は、場合が場合なら爽快感を伴うものであったかも知れない。が、そんな余裕は御大、村居さんのようにはどうしても持てずに、僕はただ右脇の姫宮さんの身体をしっかりとかき抱きながら、足元に現出される「錐片」の足場に自分の足を正確に落としていくことだけを考え、何とか進んでいく。


 道程の半分以上は進んだか、と思われた時だった。中層ビルの屋上に飛び移った僕らが、キィィィと空気を裂くような音を聴いたかと思った時には、


「!!」


 五メートルくらいの、疾駆する視界では至近距離に当たるだろうほどの至近に、いきなり人影がさらにの上空から降りてきたいや、落ちてきたのが視認できたのであった。慌てて急ブレーキを踵でこすり掛ける。


 カラスか何かかと思ったが、その小柄な影は黒ずくめのブレザーを纏って僕らの前に意思ある動作で立ちふさがってきたわけで。途端に眼前の空中に張り巡らされる「黄色」の蜘蛛の巣のような網状のもの。


「……やっぱり上から」


 細い肩まで降ろした艶のある真っ直ぐな髪は黒色。ぽつりそう呟いた顔ははっきり幼い。が、何の表情もそこには現れてはおらず。力無く立ち尽くしているように見える割には、その小さな体から膨大に奔出されているのが視えるのは純度の高い「黄色」い「感情」であるわけで。中学の制服に見えるが、ブレザーだけでなくスカートも靴下も靴も、さらにはブラウスも首元のリボンも真っ黒、であることが本人の佇まいと相まって強烈な違和感を発してきている。先の赤青と同様には対処できそうも無かった。ここで足止めを喰らってるわけにはいかないのに。


「あんたもあのおっさん連中の仲間ってわけ。『黄色』ってことは【怯懦】? してるようには全然見えないけどねぇ」


 三ツ輪さんが牽制の意味も込めてそんな言葉を放ってくれるが、目の前に張り巡らされた網の目は視界ほとんどを覆うかのように広がってきている。このままでは前に進めない……!!


「『黄江おうみ』は……橙谷とうやから、オマエたちの足止めをしろと言われてきた」


 相変わらずの無表情から出てきたのは、そんな言葉。例の壮年の差し金であることははっきりした。それよりもその無条件と思われるほどの信奉具合の方が気になる。操られているかのような……と、


「藤野クン、三ツ輪クン姫宮クン、ここはボクに任せて先に行ってくれ展開だよぉ? 寄る辺なく周りを拒絶しまくる野良猫のようなコの扱いにはこれでも長けていると自負しているからねぇ。思い返せばキミら三人とも皆そうだったしねぇ。同じ目をしているよ彼女も」


 村居さんが紡ぐ言葉はいつも通りの穏やかさを保っていたものの、同時にあの「青色の六角形」の群体がぶわとその身体から吹き上がってきていて。それらが鋭い挙動で「網目」の目の逐一に嵌まり込んでいくと、触れた所が溶けるようにしてどんどん欠落していくのが視て取れた。すごい……こんな力が……


「ボク自身が『感情』に呑まれてもあの『白い直方体』に浄化してもらうから、今日は限界まで攻めさせてもらうよ?」


 僕の方を見て目配せをした村居さんに、ジーンズのポケットから「匣」をひとつ取り出して放り投げる。忍びないが、それが最善のようだ。三ツ輪さんにも視線をやり、姫宮さんの右肩に回していた右手に力を込める。それが合図となった。


「……ッ!!」


 一斉に飛び出した僕らに向けて、「オーミ」と名乗った少女から再び黄色い「網」が射出されようとしてくるけど。その前に立ちふさがった村居さんの周囲には既に「青六角形」でハチの巣のようなものが形成されていて。瞬間、振り返りたかったが振り返らずに僕らはその場を駆け抜ける。左耳のデバイスからは、いつも通りの落ち着いた声。


<……皆聞いてくれ、『感情』もそれを司る人間次第で、毒にも薬にも変わる。意志ある感情を『情動』と言うが、自分がそうと決めたベクトルを自分で進むんだ。そして『情動』のそのまた先にあるもの。そいつを目指してさらに進んで欲しいと、ボクは期待しているよ>


 隣の低層マンションの屋上に飛び移った瞬間、後方で激しい空気の切り裂き音がつんざかんばかりに聞こえてくるが、先に進むんだ。無言のまま、僕ら三人は速度を最大限まで上げていく。宵闇が全方位から迫ってくるかのようで。僕は何とも呼吸をしずらく感じてしまってきているが。


 見えてきた。視界の左奥に、住宅に囲まれながら唐突に現れてきたのは目指す「洗足池」。その南端に何とか辿り着いた。しかし、


「……」


 周りの喧噪とは隔絶されたかのように、池の周囲は静まり返っているように感じられた。だが、そこから湧き出すように放出されてくる「黒い」感情の渦は、ゆっくりと、だが確実に時計回りの渦を描きつつ、何というか密度純度を増すために自ら「練り込まれている」ような感じがした。


 右手側にはボート乗り場、その奥に立派に張り出した松の木も見える。不気味なのは結構風が出てきたというのに、池の水面が本当に「鏡面」と言っても差し支えないほどに凪いでいることだ。油膜がコーティングするかのように。実際にここに吹き溜まった「感情」の影響なのか? それならば現れて然るべき「感情体エモズィオ」の一体も姿が視えないのは何故だ? いや、観察して考えてるのはいいが、行動を止めては駄目だ。ひとまず池の周りを回って様子を確かめようとした、


 刹那、だった……


「……やあ、ようこそパーティ会場へ」


 いきなり現れた。姿を隠していた? バリトンが薄暗くなった周囲に突如響き渡る。傲岸笑みを垂れ目がちな血色の良い顔に浮かばせながら、長身をこちらに向けて慇懃に折り曲げてきたのは、やはりの、


「……」


 橙谷トウヤ。だろうとは思っていた。だが、こいつが首謀じゃあ無いのか……?そう思ったのは、思わされたのは、奥面方向三十メートルくらい先、浮き島のようになっている場所に、確かに人影があったから。そこまで距離がありながらも「人影」と認識できるほどの、身体周り十メートルに至りそうなほどの「光る感情」を纏わせている。その色は「緑」。場違いなほどに鮮やかな。それを視認した途端、僕の中に何か、説明できない吐き気が襲ってくる。思わず膝を突きそうになってしまうところを、姫宮さんに受け止められた。大丈夫と聞かれなかったことがありがたかった。が、最早大丈夫そうには到底見えないのだろう。と、


「ここまでがしょっぱ過ぎる歓待だったけどぉ? ちっとはマシなもん出してくれんでしょうねぇ?」


 三ツ輪さんの押し殺した紅い「感情」は見たことも無い激しさで……これが話には聞いていた【赤の憤怒アングリィ】の中で最も強い……おそらく【激憤のレイジングofアガット】という奴なのだろう。そして、


「勿論だともぉ……もうダンスホールの設営は終わっておりますゆえ。存分にステップを交わそうじゃあないか……お嬢さん」


 壮年の芝居がかった手振りと共に、周囲が橙色の光をうっすらと放ち始める。「糸」、だ。無数の、無秩序に張り巡らされた。


「少年と小娘はあの『緑の奴』を。こいつは私がサシで伸し倒す」


 表面上は穏やかな笑みを浮かべながら、僕らは託された。引き換えにと言ってはなんだけど、「匣」のひとつを投げ渡す。


「村居さんが言ってた『情動』? 『情動』ね……。ま、私は元からてめえの考えるままに進むだけだったけど? 少年、は自分をしっかり持ってねぇん。ぶちかますのも時にはありよぉ?」


 三ツ輪さんの声をもう後頭部で受けながら、僕と姫宮さんは橙谷の横をすり抜ける。もとより通すつもりだったようであっさりと過ぎたが。


「『緑条ロクジョウ』がお待ちだ。『匣の少年』、因縁と絶望を噛み締めるといいよぉ?」


 僕に投げかけられた悪意まみれのバリトンにも、もう動じない。「ロクジョウ」……そいつが誰であれ、その「感情」を封じ込むだけだ。足元では解除されたのか、「糸」に包まれた「球」たちが踏み出すごとに散っていく。地に足は着いた。やるしかない。

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