#30:不→必要×インフィニトオルビタトラシァ×虹彩
突然だが、走っている。
「……ッ!!」
道路上に雑然と居並ぶ、車体の上を。ルーフやボンネットに躊躇なく踏み込みながら。滑るようにして。と言うか本当に滑走しているわけだが。
夕日に染まり始めてきた水色の鉄橋、丸子橋の美しい二連のアーチの間、片側二車線全線にすし詰めとなって行くも帰るも不能となっている異常な光景と怒号の中を、更なる異常で上書かんとばかりに僕ら四人は結構なスピードで疾駆していく。
――『球』を『糸』で作った『ネット』で包むんだわ。
植え込みに腰かけた姿勢から自らの靴裏を掲げて見せつつ、三ツ輪さんが提案してきた「策」を思い返す。そのぺったんサンダルの靴底にはベアリングの微小な球がびっしりと、靴に固定された御大が言うところの「
――そいつでローラーヒーローかますってゆー寸法よぉ。図らずもそれにより起こる回転により、周囲の有象無象が垂れ流している『感情』を絡め掠め取りつつ同時に放出することで『加速』も出来るってね。天賦才の私サマが先陣切ってコース取りしてあげっから、遅れずに付いてくるのよぉぉん……
つまりは駆動するローラースケート。聞いただけで尻ごみしてしまった僕だが、あたしがサポートするからっ、との力強い姫宮さんの言葉にありがたみを感じその華奢な右肩に腕を回させてもらい半身をくっつけ合うものの、はわわこの「肩組み」は恋人同士のそれじゃなくって「二人三脚」的なものであるからして落ち着いて落ち着くのよヒナタ……と暗示をかけているような言葉にいささかの不安を感じつつも。
「……!!」
車高段差も飛び石をステップするかのように軽やかにいなしていく三ツ輪さんの優雅さすら感じる後ろ姿を、何とか追っていく。しんがりの村居さんは早々にコツを掴んだらしく、アイススケートにのんびり興じるヒトのように、両手を背の後ろで組んだやや前傾姿勢でゆったりとした笑みを浮かべているのが見えるが。何というか、みなさん余裕?
いやこれこそが「平常心」の現出なのだろう。ぼくもよたよたしている場合じゃない。乗るんだ、この平常心の流れに。意気込みつつ気持ちはフラットに、片側から支えられつつも何とか橋の三分の二ほどまでつつがなく達することが出来た。と思った。その、
刹那、だった……
<んでぃや~っはっはっはァッ!! んでぃぃぃやぁぁあっはっはァッ!!><ヘイヘイヘイヘイッちょいとそこ行くイカしたローラーヒーロー様方よくお聞きッ? お前らァッ、完全にィッ!! 包囲されちょほぉぉぉおおおるッ!!>
指向性を伴った拡声音が鼓膜以外のところも震わせてくる。平常心をも。妙に甲高い耳障りな声と、妙に野太い掠れた金属質との声が、ハウリングとも相まって非常に不快な音波と化してこちらに襲い掛かってきたかのようだ。向こう岸、橋のたもと付近。目測百二十メートル。連なった車群の中、大型トラックのコンテナ天面に腕組みをしてふんぞり返っているふたつの影。ひとつは丸く、ひとつは細く角ばっているように遠目にもそう見えた。
桃永と同様の輩だろう。今度は二人がかりか。まあ二人で「包囲」も何も無いとは思って軽く流そうとした。が、しかし、
「『感情操り』……あんな沢山の人たちを?」
僕の右脇を支えつつ慎重に一歩一歩確かめるように進めてくれていた姫宮さんが、眼前の光景を見て声を強張らせたのを感じた。視界の先、連なる色とりどりのルーフ群を覆うかのように湧くように、老若男女諸々のヒト達がのそりのそりと這い上がって来ていたのであった。意識というか意思・意志の無さそうな、緩慢でいてそれでいて規律正しいかのような動作で。
減速しつつ窺っていると、四車線分の路幅があっという間に埋まり、さらにこちらに向けての「厚み」を増してきているのが見て取れた。彼我距離三十メートルほど。どうする?
<いや、こんな所で手間取ってる場合じゃないから。秒で駆け抜けるわよぉぉん……
左耳に取り付けたデバイス越しに「平常」なる三ツ輪さんの音声。その煽り様までいつも通りであったが、即応で「出来らァッ!!」との姫宮さんの赤き声がこだまする。
<ごははははッ、我が名、
どうやればそこまでテンションが高められるか分からない上に、いったい何人が喋っているのか察せられないほどに定まらない喋り口も大概だが、それでも根底に「黒い感情」がブレずに広がっているということに、その小汚い見た目以上に強者であることを悟る。
そして厄介なことに、車の上に上がって来たヒトたちは、一糸乱れぬベクトルにて、こちらに向けて虚ろな表情を各々貼りつかせたままに「壁」となって押し寄せて来ていたわけで。いや、どうする?
刹那、だった……
「……んん雑魚はすっこんでろやぁああああッ!!」
こちらからもイキれかえった声が響くや否や、先頭を行く三ツ輪さんの両太腿外側に設置された「巾着」に突っ込まれた両手指先から、てっきり一般人の方たちもその高速指弾にてやってしまうのかと思いきや、ふわり中空に銀色の球たちがバラ撒かれただけに留まった。しかして「留まった」のは空中にブレなく固定されるように「滞留」した「球」自体もそうであって。噴出させている? 中に閉じ込めた「感情体」の残滓を。それでその場に浮かし続けている? もはや御大の曲芸技には脱帽するしか無いが、当然の如くそれだけでは無かったわけで。華奢な両肩口から縒り合わせ出てきた「糸」がその「中空球」に伸びて巻き付くと、三ツ輪さんの身体を真上へと跳躍させるように引っ張り上げたのだった。
「……小娘ここだぁッ!!」
空中でぐるり縦回転して逆さま姿勢になったその身体から放たれた言葉の音速を超えて、 わかってらぁいッ、との「橙色」に包まれた声が僕の小脇から響くのだが。はたして。
「……ッ!!」
見上げた上空に、弧を描くようにチタン色に鈍く輝く「道」が。スケートボードのランプのような、反り返る二十メートルくらいの長さのハーフパイプが現れていたのだった。これ……姫宮さんの「
<あはははは!! いいじゃんこれ、そして走らないと落ちるわよぉん、みな全速前進ッ!! そんでもって少年、始末は頼まあ>
三ツ輪さんの楽しくてたまらないというような声に、続けざまに着地した僕らは慌てて滑走を始めるのだったが、「始末」?
<ぬおおおお、させるかわいなぁああッ!!><す、スルーなんてさせないんだからねッ!!>
相変わらず定まらない輩二人の上空五メートルくらいの点に達する。なるほど。既にその太り過ぎの丸い身体と、痩せ過ぎの角ばった身体には「糸」が伸ばされている……
瞬間、互いと互いがぶつかり合って密着させられ、これでもかのぐるぐる巻きにされた状態で呆然とこちらを見上げてくる脂ぎった丸い顔と四角い顔向けて、僕はカップに満たされたコーヒーに角砂糖を落とすかのような最低限の動作にて、懐の「匣」を静かに投下し終えていたわけで。そして、
「……雑魚はすっこんでろって言ったけれどぉ? もしかしてモスキート音で喋ってた私ぃ? うぅぅん聞き取れて無かったんなら、ごめんあさぁせ?」
これでもかのキメ捨て台詞を放ちつつ先に向かう御大に遅れないように「道」を駆ける。無事橋の向こう側に着いた瞬間、背後では「白い」光の爆発的放射が。二人でひとつと。エコって奴かな。何にせよ節約できたのは何よりだ。絶叫のエコーを響かせあっけなく「感情」を飛ばされブラックアウトしただろう二人の輩の周囲から、「光匣体」を回収する。漉し取った「黒」の「浸食」は累積で半分弱くらいってとこか。また重苦しさは増してきていたが、まだ僕は戦える。そして、
<さてこっからはさらにアクロバティックにいくわよぉん、小娘ちゃんもサポートよろ>
目の前、奥面に向かって伸びる片側二車線の「中原街道」。ここを道なりに三キロほど進めば目指す洗足池だそうだ。しかし歩道も車道も横転した車や、怒声を撒き散らすヒトたちに埋められ、進むべき道が見当たらないのだが。どうする?
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