#21:非→公開×オルディンニネスプロジィ×滂沱

 灼けつくのは、喉。締め付けられるような痛みを覚えるのは、こめかみぐるりを回る円周上。だろうか、それもはっきりしない。


 やってしまった感は今更どうとも取り返しはつかないが、それでも勝手に荒くなっている鼻息の酒臭さに辟易としながら、ひとまず僕は日付を跨いでようやくお開きとなった場から、スリッパも履かずによろぼい出たは出たようで。


 日本酒に切り替わってからは記憶があやふやだ。今後酒には気を付けよう……未成年であることだし。でも楽しかったは楽しかったな……途中から自分がずっと笑顔だったような、そんなうっすらとした記憶がある。


 だめだ。


 思考がまとまらない……ふと気づいたら、ここは風呂の前? ソファや自販機が並ぶ……うん確かに。じゃあ真逆の方に来ている。そして何故かソファのひとつの座面に顔を付けて正座をしていた。真顔で身体を起こすことしか出来ない。うん……困惑ついでに汗でぬめる全身をざっと熱い湯で流しておきたかったが、眼をどう凝らしても男湯女湯の区別が付かなかった。ので諦める。勢いのまま進んでしまったのならば。また厄介なことが巻き起こるだろうことは、「感情」の流れを読まずとも分かろうもの……


 思考は相変わらずぐわぐわだが、世に聞く酔っ払いの帰巣本能とやらで、自分では真っすぐに歩いているつもりで左右に等分によろめきながらも、灯りが絞られたロビーを何とか突っ切り、エレベーターはボタンに何が書いてあるか視認できなかったのでその脇の階段をほぼ四つん這い姿勢で何とか上がっていく。三階……に何とか到着。みんなはもう先に部屋戻ってるのかな……自分がどれだけあの風呂前のソファに突っ伏していたか分からないが、ちらと見た窓の外は真っ暗だった。とにかく寝て体を休めないと。明日から「修行」とかって村居さんは言っていた。軽く茶化した感じの物言いだったが、僕らの「能力」の引き伸ばしは必須なことなんだろう。橙谷のような輩が……計六人。最低でも一対一で後れを取るとか、他の二人の足を引っ張るなんてことは死活であろうわけで。


 客室の扉の鍵は開いていて。村居さんも相当顔が赤黒かったが、そんな状態でもちゃんと僕に対して気遣ってくれたことは嬉しく。まあそのまま布団にダイブした可能性もあるが。とりあえず面倒なことになりそうにならなくて済んだ、と酩酊する脳で考えたのは完全なる失策であったわけで。


「……」


 扉を肩で、というか身体全体を使って押し開ける。そのままノブにぶら下がってしまいそうになるところを壁に沿うように浴衣の袖を擦りつけつつも一歩一歩、前へ。そこで感じた違和感……はしかし、側頭葉辺りをすり抜けていった。おそらくは大したことではないはず。


 室内の仕切りの襖は半分ほど開いた中途半端な状態で、ああーやっぱり限界だったんだな、とひとり、先ほど三ツ輪さんに似合わねェーッとゲラゲラ笑われた、自分でも微妙と思う「微笑」を浮かべたりするものの。


 八畳間は暖色のうっすらとした豆電球の光だけで、布団の白い部分がほんのり見えるくらいだ。手前の布団からは規則正しい呼吸音、と緑色と桃色の混ざったかのような色の「感情」の「湯気」、のようなものが揺蕩っているのが視える。限界で帰ってきたわりにはきっちりと掛布団を被っている村居さん……を起こさないようにその頭を踏みつけないように、奥へ。歯を磨くことも最早疎ましく、僕はまず布団と布団の間の畳にままならない身体を投げ出すように横たわると、そこから自分の布団の方に最後の力を振り絞って転がり入る。柔らかく、暖かい空気に全身を包まれ、これでようやく今日が終わる……と意識が奥底の方へと引っ張り込まれるような感覚……に身をゆだねようとした。


 刹那、だった……


「おねーさんに夜這いたぁ……なかなかチミもやるもんだぁねぇ、少年」


 一気に酔いと眠気が冷め切っていった。熱を持っていると自覚できるほどの上向いた自分の右耳に、生温かく湿って酒くさい呼気と共に、それ以上に湿って粘着質な含み笑いひそみ声が吹き込まれてくる。


 何故、部屋の作りが左右対称と気づかなかった……ッ!? そして自分の布団と思しきものがこんもりと盛り上がっていたにも関わらず気に留めずにその中へ入ってしまった……ッ!? 先に立たないものが冷え固まった大脳内を空しく巡る。しかし落ち着け。過度の反応、そして狼狽を見せてはならない。極めて自然に簡素に自らの非を認め謝罪し去るのみ……


 しかし、だった……


 あ、間違えましたすみません、と殊更に感情を吹き消した声色で振り向かずにそのむわと熱気がこもってきた布団からずりばい出ようとしたものの、


「あれ? あれれぇ? てっきりあのちっこい少女をオトそうとしてたように見受けられたけどぉ? やだ……本命こっちだったとか……そーゆーのちょっとぐっと来ちゃうわぁ、おねぇさん……」


 泥酔していても、いやしているが故によりねちっこく、呼吸をするようなわざとらしい「嘘」の気配と桃色の「感情」と柑橘のような香りが背後から絡みついてくる。相手にしてはいけない。が、今日一日の限界を超えたらしき身体は動かそうとするそばから泥のように溶けていくようで。さらに、


「いま大声を上げたらどうなるだろうねぇ……透き通る【憤怒】の感情とそれに伴う灼熱の如き物理を喰らいたいのなら、まあ止めはせんけどぉん……」


 眼前、隣の布団の中で蠢いた人影が寝返りを打ってこちらに向き直る。薄明るい中でも鮮明に、そのクリーム色のショートカットはそうと視認できた。焦らないで……背中の四面の次は胸の五面に触れるの、それが順番……との寝言以上でも以下でも無いくぐもった声が聞こえてくるが、ちょっとした物音でも覚醒してきそうな、そんな不安定さも醸し出して来ている。まずい。


 な、何が望みですかっ……と小声で背後に問いかけるものの、完全に精神的にも物理的にもマウントを取られていることは既に脊髄で把握を終えていた。かくなる上は「酔っ払いには逆らわず穏便にやり過ごす」という一手を繰り出すほかは無さそうな窮状、窮地。と、


 おねいさんが「六面だっこ」してあげるのらー、というこちらからも酒臭さを孕んだ寝言を投げかけられたと思った瞬間、熱くすべらかな感触が僕の全身に巻き付いてくる。これは……まずいっ。


 頭頂部を顎でぐりぐりされるのはまだしも、頭と頭がその位置状態になると、僕の首が両側から柔らかなものたちに挟まれて身動きが取れない。さらに逞しき右脚はがっちりと僕の右太腿を外側からロックしていて、両肩辺りに両腕が後ろから回されているという投了状態……


 しかし、だった。


 突然の背後からのすすり泣く声。誰かの……名前を呼んでいる? 絶対にろくでもない意思を以って為された所業と思われたが、本当は夢うつつでの、ことだったのだろうか……三ツ輪さんの、普段は見せない「感情」の波のようなものが、ゆるりぬるりと、僕の肌を伝うように揺蕩ってくる……青い、透明感のある純粋な、これは知っている……【悲嘆のハートブロークンofスマルト】……いつもは、本心を隠した「嘘」で、「感情」で、自分の身体ごと鎧うように固めているこのヒトの、はじめて奥底に触れたような気がした。


 そういえば、三ツ輪さんのことを僕はよく知らない。好きなものとか、どうやって「相当者」として見出されたのかとか、なぜこの「仕事」をやっているのか……家族、とか。


 いろいろあるんだと思う。いろいろを押し殺して……いるのだとも思う。身体同士が触れ合っている「面」からゆるゆると伝わってくる三ツ輪さんらしくない「感情」のひとつひとつは、それらを自分の体に染み込ませるようにして感じると、ひとつひとつちゃんと三ツ輪さんを形作っているものたちに思えてきて。


 「感情」が触れ合い、交わり合い、溶け合っていくような、そんな不思議な感覚に包まれながら、深い、心地よい、身体も精神も溶解していくような眠りへと僕は、砂の斜面のような所を、埋もれながら滑り落ちて……


 いかなかったわけで。


「……」


 いきなりぶわさと掛布団を剝ぎ取られたと思った僕の正面には、正座した浴衣姿のシルエット。闇の中でも透明感のある「紅色」にはっきりと視えるその髪は、揺れ動く炎のように不気味に蠢いていて。


「何、しとりぁーにぁご?」


 どこの郷の言葉かは分からなかったが、不穏であること一点だけは理解を終えていた。心なしか、その両目も闇の中で紅く鈍く輝いて見える……こういう時にどう対応すればいいか、まだ僕は習得していない。考えろ。臨機応変、それが今後は求められていくに違いないから。相手が怒りを見せている、こういう時は……? 「嘘も方便」、そんな事を聞いたことがある……っ。御大に背後から絡みつかれたままであったが、深く息を吸い込み、僕は乾坤一擲の言の葉を紡ぎ出していく……


「あ、いや、僕らはただ『感情』の発露とその交錯の仕方、的なことの訓練をしていただけで」

「嘘やんごらぁにぁ?」


 しかしてあっさりと吹き消されてしまう。徐々に「紅い圧」のようなものがこの八畳に満ちてくるようであり。後ろの方の寝息が何か不自然に規則正しく変わってきたような気もするが、当の僕だけはもう寝たふりでは凌げないであろう局面に落とし込まれていることは分かっていた。


「何やんらのこの恰好はば、言うとるんねぎゃ?」


 密度の高い「紅色」が、水晶体を簡単に貫通して網膜を刺してくるようであり。僕なんかの中途半端な嘘では最早ごまかせそうも無かった。


「あ、『六面だっこ』です」

「せぃやんなぁ、で? どうすんごば自分? どずじたらええんごぼ? 教えてちょりあーな」


 迫る紅い物理。ならばもう、謝罪の一手だろう。例えこちらに落ち度が無いとしても……いや、あるはあるかもだが。相変わらず首元を挟まれた横寝の状態のまま、僕は居住まいを正す。


 謝罪の仕方、それも重要とどこかで読んだ。何か気の利いたことを、考え付け、自分。


 が、だった……


「あ、姫宮さんも、この状態じゃあ流石に『六面』は無理だから、『五面』ってことでどうかな? 『御免』ともかかっているし」


 漏れ出てきたのは、そんな大脳を使ってなさそうな出来損ないの言葉の残骸であったわけで。もう僕の脳は限界に近い。物理を覚悟し瞳を閉じる僕だが。


 が、だった……


「ゆるすー」


 いきなり弾けてきた「桃色」の物理……姫宮さんの華奢な身体が僕の胸元に滑り込んで密着してきたのであって。すり抜けた……のか? 本日最後と思われる修羅場をミリ単位で切り抜けた僕は、ふやぁぁ「五面」言ったのに底面に何か十五センチくらいの棒状の物が当たってきてるにゃぁぁ……との「森」の香りと共に巻いてくる寝言が鼓膜以降に届く前に今度こそ意識の谷底へと落ち転げていったわけで。

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