#20:無→造作×チェレブラツィオーネ×補完


「まあ無事に調教も済んだってとこで、さてこれからどうする? ってな話なんだけど」

ったッ!! 言っちゃダメなこと言ったッ!! されてないし!!」


 旅館一階。五、六十畳くらいか。大広間での食事はここに来てから初めてだったけど、僕ら四人以外はそもそも客はいないようだ。お膳はふたつずつ並びのそれらが対面に設置された四組が、一段上がった舞台の直前に設えられていて、暖色の光が煌々と灯っている割には広々とし過ぎて逆に寒々しい。


 その吹き抜けに過ぎる空気を薙ぎ払ったのは、二人なのに如実にかしましくなったお二方の声であったのだが。


「……」


 普段のどちらかと言うと静謐な村居さんとの食事に慣れそしてそれを好んでいた僕は、真顔で箸を動かすことしか出来ない。


 とは言え、「匣の設置」に何とか成功することが出来た姫宮さんは、これが彼女の「素」の状態なのか、かしましいながらも自然で柔らかな表情を見せている。時々目が合うとその笑顔がちょっと驚いたような表情になって瞬間、顔を逸らされてしまうけれど。まあ不可抗力とは言え諸々の狼藉を働いてしまったわけでそれはそれでしょうがない。


「……『組織』の機能はほぼ停止に近い状態。『相当者』たちもキミら以外の五名すべて深手を負わされて都外への退却を強いられた。『相手』はかなりの『感情使い』と言っていい。『取り憑き案件』……懸念はしていたがこれほどとは」


 極力、事務的に報告のような体を装っているものの村居さんの言葉には無念の「感情」が滲み出ている。詳細は知らされていないが、あの壮年、「橙谷トウヤ」と似たような輩たちの「単独侵攻」により「組織」はほぼ壊滅……死者も確実に出ているはずだがそれには触れられず。そして「こちら」を標的として動いてきたことから鑑みて、近いうちに何か大規模なことを仕掛けてくる、その可能性も高いそうだ。事態としてはかなり切迫している。


「ま、行く末は私ら『四人』に託されたってわけよねぇ? それはまあ燃える展開ってやつってことでプラス要因と受け取っておくわ。それで先日はちょっとこばかし不覚を取ったと言えなくもない感じだったけど? 戦いの中で成長していく私にとって『次』は完膚無きまで、ってコトだけは言いたい」


 小鍋をつつきながらも一点を見据えながら三ツ輪さんはそんなフラットな感じで言ってのけるが。でもだいぶ分かってきている。このヒトが「虚勢」を力に変え、それを「実」にしてしまう「能力」といっていいほどのメンタル保持者であるということは。そのブレなさは相対する僕らにも勇気と平常心を与えてきてくれるようで。頼もしい、という「信頼」の「感情」を確かに感じている。が、ふと煮え具合を確かめていたその目と目がぶつかると、あ、隊長良かったら私の肉も……とか言いながら無駄にへりくだられる。何か僕への接し方だけが変わった気がするのが解せないけれど。


「あたしも、今の状態になったら独りでもいけると思うんですよね……いえ、いけます!! 今まで迷惑かけてきたぶん、今、役に立ちたいと思うし……その……藤野くんにも勿論助けてもらってかもだけど……」


 僕の右隣からそのような桃色の「感情」がふわふわと漂ってくる。ただそれはこれまで辺りに鋭く放出するかのように見せてきていた透き通るほどの危うい純粋さがあった「単感情」ではもちろんなく、僕が普通に視かける普通の「感情」の寄り集まりであって。「緑」に「橙」……それらの色もところどころに混じって視える。本当に、良かった……「感情」を制御することが出来るようになって。かわいらしい水色の浴衣を、その下にはもうあの黒革の「拘束具」を付けることも無くきちんと着込んだ、華奢な正座姿に目をやりつつ僕は感慨深くそう思う。


が、


 あ、あたしのもどうぞ、熱いからふーふーするねっと言いつつ、息を吹きかけて冷ましてくれた肉を箸でつまんでご丁寧に僕の口許まで差し出してくれる時とかには輝きを伴った純粋な「桃色」がぶわとこちらを包み込まんばかりに放たれてくるんだけど、こういう場合もあるってことでいいんだよね? 通常でも「単感情」が出るってことが。と、


 調教のガン決まり方えげつねェ……との腐った声と感情とが右斜め前から漏れ出てくるけど。調教では断じて無い。


「姫宮クンは自分の『今』の凄さをまだ把握してないねぇ。ま、それは明日以降おいおい、だ。時間的猶予はあまり無いとはいえ、無策で相手の懐に飛び込むのもあれだしね。やつらの出方次第なところもあるが……橙谷を始め、向こうも無傷ってほどじゃあない。体勢を立て直すまで何日かはあるはずだ。その間で、こちらも休養と『修行』と、しゃれこもうじゃないか」


 何となく、らしさが戻ってきた村居さんのフラットさにも僕は、僕らは助けられている。そして村居さんが言うのだから、何らかの「策」はあるのだろう。僕は僕なりにそこに全力を……注ぎこむだけだ。と、


「あ……ま、まだ傷いたむ? ご、ごめんねあたしあの時、噛んじゃったり爪たてちゃったりしてその……恥ずかしい」


 決意を込めつつ視線をお膳に落としていたら、何か勘違いされたのか桃色と青色の混じった感情がせり出してくる気配が。と共にあぐらをかいた僕の膝辺りに、薄い浴衣の地を通して熱い感触が伝わってくる。柔らかい掌を当てながらこちらを心配げに上目遣いで覗き込んでくる姫宮さんに、ここ最近(会ってまだ一日ほどだが)割と感情を揺らされることが多くなってきた僕だが、そのことで思い出した。これだけは確かめておきたいことが。正面の村居さんの方に居住まいを正して向き直る。


「……僕にも現れた、この『症状』のことなんですけど」


 浴衣の襟元をぐいと広げ、左肩をさらけ出す。例の施術時に姫宮さんに噛まれた肩口と、爪で傷ついた首元。大した傷じゃあ無かったものの、僕が意識してやっていないにも関わらずそこには、


「……」


 細かい「白い直方体」が幾つも連なり、傷口を覆い隠している図があるわけで。これは……やっぱり、なのか。相対している柔和な表情は変わらなかったが、村居さんの口許に運ばれたビールのグラスが一瞬止まるのを見た。


「……『感情』を具現化……っていうんですか? 橙谷の奴の『糸』と同じ感じ……あとその、村居さんの……『青い六角形』とも同じ……」


 全員の前で言うべきことでは無かったかも知れない。でも二人きりで聞けることでも無かった。が次の瞬間には、


 これだよね、話そうと思ってたとこだ、と、村居さんも丹前と浴衣をくつろげ、左肩にびっしり貼りついた青いハチの巣状のものを晒してくる。息を呑む三ツ輪さんと姫宮さん。


「『取り憑かれている』わけじゃあない、って言っても信憑性は薄いだろうね。ボク自身こいつを完全に制御できてるとは言い難いわけで。だが、『意識』の主体はあくまでボク、それだけは……まあ『信じてくれ』としか言えないが、そんなところだよ。説明になってないか」


 コップを煽りつつそうこぼれてきた言葉は、何というかの「諦観」に彩られているかのようであって。信じたい。が、それが事実と異なっていたら。


 僕自身も「取り憑かれ」始めているかも知れないわけで。そしてそれがもし制御できないものであったら? 例の輩たちと、変わらなくなってしまうんじゃあないか? 「感情を悪用する」輩に、なってしまうんじゃあないか?


 それで、そんな状態で、いまこの場にいるみんなや、周囲のヒトたちに危害を加えてしまうなんてことがあったら。


 呼吸がしづらい。意識して腹の底に落とし込むようにしなければ、うまく息が吸えそうになかった。いろんなことが、昔の事とかがフラッシュバックしてきそうになる。やばい……


 意識が危険な方へ落ち込みかけた、まさにその刹那、だった……


「……これのことでしょ? 深ぁく考えるのは少年のいいとこでもあり悪いとこでもあるねぇ。ま、ま、私のような天賦才サマと比較するのは荷が重いかもだけどぉ? 少年も努力すればこのくらい自在に操れるようになるってば。利用できるもんは利用すりゃあいいだけのことだっての。ほれほれ」


 場にそぐわないというか、いつも通りのブレない声をあっけらかんと放ったのは、例の御大であったけれども。そのすっと伸ばした白い右腕の先、上に向けた掌からは「緑」と「橙」が縒り集まった「糸」状のものが何本も揺れる海藻のようにそよいでいたわけで。そのうちの一本をうねうねと僕の鼻先まで伸ばしてくると、先っぽでくすぐろうとしてくるわけで。


「……!!」


 驚いた。よりも先に、ははっ、という何年ぶりかは自分でも分からないが、腹の奥から自然に出てきていた笑い声と共に、極めて自然に顔面の筋肉がほころんだ、気がした。


 わ、笑った……ッ、という戦慄の声と、ふぇぇ笑顔やば……、という何かくぐもった声の中、


 やっぱり僕は、独りじゃあない。というような、訳も分からず自分の中が満たされていくような感覚を受け取っている。僕はここに在る。深くは考えずに、ただ自分の中心に自分を据えれば、それでいいような気がした。何にも憑かれないし、何にも操られたりはしない。そのままの自分でいられる、そんな気がした。……信憑性の欠片も無い、あさはかで、ひとりよがりな考え方かも知れないが。


 たまらず噴き出したような声と共に、まったくもってキミらは大した奴らだぁ、とのいつも通りの台詞に、安堵させられる。


「では今日は特別に、祝杯でも上げようじゃあないか。ボクら四人、『洗足池殴り込み隊』の結成を祝して、ね」


 グラスを差し出せ、と促され未成年の僕ら三人もご相伴に預かることになるが。突き合わせた顔はどれも悪そうな笑顔であったわけで。なんか……いいな。説明できないけれど。


「乾杯!!」


 初めてのアルコールだったが、苦みは感じたものの思ったよりすんなり身体は受け付けてくれたようで。と同時に何というかの爽快感。そして、覚悟も決まった。僕は、僕のやるべき事を為す、それだけ。この……目の前の頼れる面子と共に。


 全員が全員、「高揚」らしき「橙色」と、「満足」みたいな「緑色」をぐちゃぐちゃに立ち昇らせ始める。その感覚に呑まれるようにのぼせるように、互いが互いにお酌し合うという混然とした一体感という波に、非常に心地よく、かっさらわれそうになる僕がいる。


 なんか……本当にいいな。


 とか流されるままに杯を干していく僕含め四人であったが。


 ……それが、いけなかった。

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