#11:未→解決×ソミリアァザ×通有


 またしても、異なる静寂が空間を満たしている。少しの安堵と、ほんとにやったのか? という浮かばせてはいけないような疑念とをないまぜにしながら。


 諸々の「感情」を沸き立たせ振り回していた壮年の身体は今や、小さな銀色の球体にびっしりと体表を覆われて動きを止め、右手を軽く前に出すといった、見ようによってはほどほどの前衛芸術感、それにしては型に嵌まり過ぎか……を醸している。


 というような事を考えている場合じゃないことは分かっていたものの、刺激衝撃の連続で、脳自身が自らが焼き切れないように自制しているのかも知れない。いやそんな場合か切り換えろ。ひとまずは……


「……三ツ輪さんッ」


 目の前で、その引き締まった腰の辺りに肘を張った両拳をつけてキメなのか分からないがふんぞり返ったポーズで固まっていたそのシルエットが徐々に前後左右に不均一に揺れ始めていたので僕は慌ててその傍まで重くなっていた自分の身体を叱咤しつつ向かうのだが。瞬間、


 陳腐な表現だけど正に頭頂から伸びた「糸」的なものがぷつり切断されたかと思うほどの素っ気ない素振りで背面……に向けて無駄な捻りも入れつつぶっ倒れてくるわけで。あぶない……っ。


「……!!」


 すんでのところ、伸ばした右腕が何とかその華奢な右肩に当たってくれて。残る力を総動員してとにかく前へ前へと押し込む。ようやく追いついてきた自分の身体を添えるようにして思った以上に柔らかさを有した身体を受け止める……ことは出来ずに尻餅を突かされてしまうものの。


 頭から行くのは防げた。僕の胸に頭を預けるようにして、浅い呼吸。上方からの光を受けて、その肩くらいまでのオリーブ色の髪はいつも通り煌めいて見えたが、そこから垣間見える疲労と強張りを隠しきれていない顔色は青いを通り越して白みがかっている。虚勢を張るのが常態のヒトだから今の様態を見るだけで相当に疲弊してるんだろうってことは僕にも分かった。が、


「……少年ごめんね……君の存在意義を揺らがす奥義をさくと撃ち放っちゃって……」


 いや結構大丈夫そうかな。そして認識の共通具合に何とも言えなさを感じてしまうが。ふるふる震えていた両瞼はこらえきれず落ち切ってしまったけれど、殊更にわざとらしく気の毒げな小声を僕に向かって放つと、安心したのかその整った鼻梁を震わせ息をひとつ吐いた。のを確認し僕も無意識に張っていた背中辺りの筋肉がゆるゆると緩んでいくのを感じる。


 刹那、だった……


「……してやられたと。そういうわけかい……」


 目の前の銀玉人型オブジェが動いて声を発した。僕の心中に沸いてきた思考は「やはり」の三文字に集約されるものであったものの、あれで仕留め切れていなかったのならば、もう僕らに打つ手は無い。かくなる上は、まだ壮年の動きがままならないうちに三ツ輪さんだけでも背負って逃げるほかは無い、とまだ抜けている脚の力を気合いで何とか起こさせようとした。が、


「ここは痛み分けとしようじゃあないかぁ……いや正直私の負けだよこいつぁ……いかんいかん、帰ったらどやされるなぁ、まったく」


 自分の身体周りに密着している「シート状に整列した球体」をぎこちない動作ながら自らの手指で探ったかと思った時には。


「……ッ!!」


 いとも容易く、単純に腕力なのかも知れないが、毟るように引きはがしていたわけで。その下から現れた相変わらずのスーツ姿はしかし、全面に皺が寄ってひどいことになっていたものの。かっちり固めていたオールバックも今やあっちこっちにベクトルを飛ばしているような無秩序な状態になっているものの。あまり顕著なダメージは見て取れなかった。少なくとも、外面上は。と、


「またの機会に相まみえようとしようじゃあないかぁ……今度は我々が歓待しよう。そちらの気も『感情』も強いお嬢さんも是非是非エスコートしてきたまえよ? では今日のところはこの辺で。私の名は『橙谷トウヤ』。『橙色の感情の振幅の谷を司る者』とでもお見知りおきたまえ」


「……ま」


 待て、という言葉は出ていかなかった。助かった、とすら思ってしまっていた。芝居めいたセリフを残すと、上着の袖あたりを払ったかと思うや壮年は自ら突き破って出てきた強化ガラスのブースに向かって何気なく歩き出すと、襟元から二本の「糸」を上方に向かって伸ばし、窓のどこかに引っかけたかそこを支点にして自分の身体を引き上げていった。あっけない退却……だったが、見送ることしか出来なかった。


 とりあえず、しのげた、のか……? でもそんなことを言ってる場合でもない。ブースへ……!! 村居さんたちの様子を早く……ッ!!


「……」


 気を失ってしまったか急激な睡眠に落ち込んでしまったかの三ツ輪さんの力の抜けた身体を白い床面にそっと横たえると、僕は背後に設置されているドアに向かって走る……ことは出来ずにゆっくりゆっくり右脚を前に出して左脚を引きずるといった尺取虫のような動きで何とか辿り着くと、震える腕を何とか持ち上げて、掌紋を照合させ開かせる。


 狭い通路。そのままぐるりを回って階上のブースへ。壮年の姿はやはりもうそこには無く、左手側の通路から外へ出ていったのだろうが、それを確認している暇もない。タラップを登り切った僕の視界正面に入ってきたのは、凄まじい力によって捩じり外されたと思しき、金属の扉がその前の廊下にぞんざいに投げ出されているのと、その奥の部屋からここまで漂ってくる血液のにおいであったわけで。


 どうやれば、そうなるのかは分からなかった。


 人影は無く、それを為す部分を示唆するようなものも見当たらなかった。ただ、デスクやら機器やらの逐一が赤黒い液体でまだらに彩られていただけだった。むせかえるような静寂……あの「糸」……それを縦横に繰り出せば、こんな力を発揮できるってわけか? ならなんで僕らにはやってこなかったんだ……ッ!!


 白い部分がほぼ無い白衣の切れ端。誰のものかも分からなかった。村居さんと、ここにいた二人の所員のヒトの……落ち着け。「感情」が無いのなら。揺さぶられないはずだろ。


 深い呼吸を意識的に続けるとこんな時でも即座に落ち着くことの出来る自分に、感情未満のうすら寒さ、みたいなのを感じている。が、それでいい。奴の情報を何でもいいから拾い集めろ。「歓待」されるのであれば、こちらもそれ相当の手土産を用意していかなければならないから。


 と、定まらない意識のまま、左手奥にあった縦長のロッカーに視線を移した時だった。


「……うぅ……ふ……じのくん」


 全神経を集音に特化して、その声の出処を探る。まさかロッカーの中に? ……逃れられたのか? 慌てて滑るカーペットに足底を少し取られつつもその方へ向かう。果たして。


「……村居さんっ」


 ふたつ並んでいた元はクリーム色だったろうロッカーの右側の扉をせわしなくも引き開けると、そこには血の気の引いた顔全面に脂汗を浮かばせた、探していたヒトの姿があったわけで。が、その左肩はどうやればそうなるのか分からないほどに大きく抉られていて。


「……!!」


 そして開いた扉の内側全面には、青くうっすらと光を放つ……これは何だ? 「ハチの巣」の断面のような、六角形が整然と並んだ「構造」のようなものがびっしりと貼りついていたのだが。


「『奴』を……退けたようだね……やはりキミたちは大した奴だよ。ボクはこの通り……身体の一部を犠牲にして何とか目くらまし的に逃げ隠れることしか出来なかった」


 掠れた声には「感情」以上に生気があまり感じられない。とにかく治療を、だ。出血が止まってない。が、


「ボクなら大丈夫……血止めは自分でやるよ。ようやく呼吸が戻ってきた」


 ようやくその蒼白な細面に余裕の片鱗みたいなのが戻ってきたようだ。一度大きく呼吸をすると、村居さんは左肩にあてがった自分の右掌に力を込め始めているけど。いったい何を……


「!!」


 現れたのは今しがた既視感のある、「青いハチの巣」。その一センチにも満たないだろう直径の正六角形は中空からほろほろと染み出るように湧いてくると、整然と整列しながら村居さんの赤黒く染まった左肩に密集していく。これは……いつも僕が視ている「感情」のやつとは異なる。むしろ……


「ボクも奴らと、そうは変わらないってことさ。ゆえに控えられるだけ控えるようにはしてきたが……いつ『感情』に呑まれてしまうか、そんな不安定な存在ってわけだ。失望しただろう? 藤野クン……」


 あの壮年の操っていた「糸」と同じ類いのモノ……だ。このヒトは……一体。

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