#10:不→安定×アリィネアメント×忘我


 先ほどまでとはまた違った「静寂」の中、


「……」


 斜め前方の三ツ輪さんの挙動に、僕は集中している。自分の気配は、限りなく消臭しつつ。無策な傍観者であることを、極力自然に滲ませつつ。まあ「策」と言うほどの策でもないし、そこは限りなく素でOKなので楽は楽だが。


 「跳弾」。手の内を晒した今の状況下で、それがどれほどの効果をもたらすか。あるいはそれが「囮」だとしても、それによってある程度相手の虚をつけられたり、ほんの少しでも意識を向けることが出来るのであれば。


 充分な、はずだ。


 目線をさりげなく動かし、探る。何気なく最短距離を歩いて壮年の視角から死角へゆっくり淀みなく移動。そして「匣」を至近距離でカマす。僕に出来る最低限の、そして最大限のことはそれだけだ。


 油断すると詰めてしまう呼吸を自然に自然に吸って吐いての繰り返しへと持っていく。焦るな、硬くなるな。平常心でいることが、い続けることが、いま僕に与えられた役割であり、乾坤一擲の策であろうはずだから。と、


 それは突然始まった。僕の視界の中の三ツ輪さんにも、身体の強張りも何も無かった。まるで平常、のような体さばきにて、右方向へ一度体勢を沈み込ませてから一気に爆ぜるように右斜め前へ。顔が地面に付きそうなほどの前傾疾走が既に始まっている。


 足元にバラ撒かれた自らの銀玉に足を取られるんでは、というこちらの危惧すら後方へ吹っ飛ばすかのような、まるでスピードスケートの如き凄まじい加速。足底で的確に捉えているのか、そんなのはお構いなしで蹂躙しているのか、球体が転がる角度速度を計算し尽くしているかのようなしなやかな黒い肢体は、滑る一歩ごとに前方への速度を上げ、壮年の向かって右方向へ回り込んでいく。


 「跳弾」云々言っていた事、それがブラフだったのかどうかは分からないが、現にこの「自ら飛び込んでいく奇襲」は上手く虚を突けた感はある。そしてさらに、


「……!!」


 壮年の背後、割れた強化ガラス窓のある面、その壁面へと。自ら蹴り撒いた球体をそこへ付着させるやいなや、前方向へ掛けられていたベクトルを、すっこけたと思わせるほどの急制動で上方へと。その身体は宙空で仰向けになると充分な「しなり」のようなものを溜めたように見えた。次の瞬間、


 そちら方向に重力があるかのように壁に足裏を付着させながら、滑るようにして垂直面を駆ける黒い影を、追いきれなかったのか敢えて追わなかったのかは分からないが、棒立ちの壮年の背後……死角へと、確かに入った。刹那、壁面を鋭く右足で踏み切った三ツ輪さんの体軸は、ブレることなく三回転半くらいの錐揉みを決めながら、その両手に既に握られていたらしい、球体の雨あられを周囲に無差別に振り散らかしている。


 まさかこれが「跳弾」……ッ!? 壁から跳ね返るようにして自らが跳弾と化したかのような肢体から、散弾のように無秩序に放たれた球体は、だがその挙動のひとつひとつが把握されているかのように、壮年の足元に既に散っていたそれらに精密に撃ち込まれていて。それらを上空へ跳ね上げさせると同時にそれらもバックスピン気味に撃ち上がっていく。集約点……壮年の、傲岸不遜な顔面目掛けて。さらには球同士が接触した瞬間、おそらく内包されていただろう、先ほど吸い取った「感情体」の残滓のようなものが、長い針状の形態で何本も飛び出してきていたわけで。これ「リリース」……三ツ輪さんもあっさり使ってきた……ヒトにはエコだのなんだの言っておいて、そこは伏せといたんだね、切り札として。


 無数の銀色の球と、そこから射出される水色やら黒色やら灰色やらの「針」が、一斉に「中心」向けて集まっていく……!!


 しかし、だった。


「色々と、わちゃわちゃとやってくれた割にはこの程度とは。どれほど多数多角だろうと、狙いどころが『一点』であればさぁ……守るのはわけないことなのだよ、お嬢ちゃん」


 やはりというか、それでも途轍もない反応速度と実速度にて、壮年の頭部ぐるりを、ワイシャツの襟元からのたくり出てきた例の黒灰糸が自ら編み込まれていきながら回転しながら、球体および針の群れたちを逐一弾き返していってしまうのであって。


 まったくもって……例え軌道を変えようと、死角へと移動して放とうと……効かない。三ツ輪さんの「流球」はもう、完全に把握されている……そのイレギュラーさをも。こいつは……相当な手練れだった。そこはもうだいぶ実感はしていたものの、そこから目を逸らそうとしていた。駄目だろ、それじゃあ……情報を探り取れ。「未知」を未知で無くすために。真っ向勝負を、挑んではいけない相手には挑んでは……駄目だ。普通はそうなのだろう。


 だが。三ツ輪さんは。


 それを承知で討って出た。のだろう。そして効果度外視で、相手の顔まわりに球の軌道を集めた。防がせるために。そして同時に、


 ……視界を遮らせるために。


 今に至る前から、三ツ輪さんが壁を駆け登っていった辺りから、僕は愚直に歩を進めている。散らばった球体を踏まないようにゆっくり摺り足気味で。壮年から見て二時方向から。一歩一歩、自然な歩様で。三ツ輪さんが放ち、そして跳ねさせている球体は、僕の身体を紙一重ではすっていく。決して当たることはなく。やはり、三ツ輪さんは僕に託そうとしている。自分を、「囮」にして。


「ぐ……ッ!!」


 手持ち全ての「流球」を撃ち尽くしたのだろう、そしてそれを素早く見越したのだろう、壮年の何気なく後方へと伸ばした上着の袖口から、黒灰の糸の束がところてんのように一気にどばと射出されてきて。それらは中空回転も終わりかけ、力を無くして落下し始めていた三ツ輪さんの身体に巻き付き、その瞬間から結構な力で締め上げているようで、いつも余裕を漲らせていた流麗で愛らしい顔を一瞬でゆがめ青黒く染め上げていて。


 目標への到達距離が三メートルを切ったところで僕は足元の球を踏みちぎるほどの勢いで突っ込んでいる。既に上空へと投げ放っていた「五面」の方は壮年の頭頂部目掛け落下を始めていて、残る「一面」は眼前で構えた右の手刀の人差し指中指に保持されていて。


「……」


 同時に着弾するであろうその一瞬に向けて、横に薙いだ手から撃ち放つ。完全なタイミング。未だ顔面を糸の群れで覆われたままの壮年の首元目掛け、限りなく正方形に近い長方形の金属の薄片は吸い込まれていった。


 かに見えた。


「!!」


 激しく高い金属音。瞬間、中空で煌めくのは、破片となった直方体の成れの果て。弾かれた、どころじゃあなく、僕の放った「匣」は六面全部がご丁寧に、引き裂かれるように轢断されていたわけで。どれだけの力だっていうんだあの「糸」……本当に、「感情」がこれほどの力へとなる……なんて……


「君を無視していたわけではないよ。ただ眼中になかった、それだけのことさぁ……自覚出来ただろう? 出来たところでさぁ……お開きだ」


 壮年と、初めて眼が合った。歯牙に糸いっぽんもかけない、正にそんなような目つきだった。そしてその長身の周りを包むかのように黒と灰の糸がぬろり、と一斉に蠢き出てきたかと思うや先を争うように僕の方へと向かってきた。万事休す……左手に握ったままの中身の入った「匣」を力無く身体の前に突き出すものの、それでどうにかなるとは最早、思えなかった。視界に広がる黒色と灰色。


 覚悟を決めさせられた、その、


 刹那、だった……


「……ッ!!」


 黒灰だった視界が急激に晴れていく。そして現れた壮年の口元からは、「焦燥」の色が、ほんのピンポン球くらいの大きさだが、宙に吐き出されたわけで。鈍いオレンジ色、初めて視る、「感情」の色だった、それは。そして、


その身体を包む毛糸を巻き取るかのように自らを絡みつかせ、さらに整然と壮年の長身全体にみっしりと貼りつくように密に付着していたのは。あの、銀色の球体たちであり。そしてそして、


「んんんん……囮くん御苦労よぉぉぉん……やば、私ってば天賦の才かも……あ、いやいや計算通り」


 自らの身体に纏わりついていたはずの黒灰糸もいつの間にか外して、例の科つくり姿勢にて余裕の笑みをかます、例の御仁の姿もあったわけだけれど。緑と橙の感情帯が、今までその凹凸の激しい身体に巻き付いていた糸の代わりに吹き上げられてきている。いったい……


「がっ……!? これは……吸い込まれているんじゃあない……ッ!! 『内部』に……封じ込まれ始めている……ッ!?」


 壮年の焦りが滲んだ声は、どうやら本物のようだった。みるみるうちに、小さな球体たちが密に整列していく。長身を、押しつぶさんばかりに。


「……『面心立方格子』って知ってるぅ? 真球を最も密に空間に詰めた時の並び方でぇ……充填率は七十四パーくらいなんだけどぉ、そこを補填してくれる奴をてめえ自身で発現してくれたってワケぇ。んで、出来たのがその密閉空間。べっ、別に藤野少年の真似したわけじゃないんだからねっ」


 うぅん、まあ結果オーライとしか言えないが。球の周りに「糸」を絡ませて作った「壁」で対象の周囲を全て囲めばまあ、


「……ッ!!」


 有無を言わさず内部へと捉え込めると。なるほど。うん、そしてやっぱり僕は「囮」だったと、そういうわけだね……そして「匣」の上位互換みたいな技を見せられた挙句、ワケの分からない属性を叩き突きつけられたりで。


 自分の存在意義についてちょっと考えてしまう僕がいるが。真顔で呆けている場合でも無い。

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