拾肆ノ妙 浄化の水瓶
棗は、境内の石段に腰掛けて、正面の大鳥居を漠然と眺めていた。
鳥居の中央には星の紋章――五芒星。
鳥居の向こうには、闇に沈む森の木々。
見上げると雲一つない
ここ神織神社は、
凛として冷たい空気は、静寂の中であらゆる
棗は改めて思う。
一口に冷たい空気といっても、
まるで、躰の中に染み込んだ邪悪なモノが吸い出されていくような気分にさせる。
棗は、猫の怪異との一件の後、深手を負った巫音を見守りながら神織神社まで戻ってきたのだった。
というのも、棗は最初、当然のように巫音を病院に連れ行くべきだと考え、救急車を呼ぼうとしたのだが、巫音に
それではと、肩か背中を貸そうとしたのだが、こちらも「大丈夫」と
――いったい、オレは何のためにここにいるんだ?
棗は、巫音の背をぼんやりと見ながら思う。
そもそも、巫音が棗のことを足手
棗にしても、
棗と巫音の関係は、機械的というか、事務的というか、業務遂行のために仕方なくといったものなのかもしれない。
棗の気持ちなど知る由もない巫音は、フラフラした足取りで、
神社につくと、巫音は神楽殿を回り込み、静寂の中にあって唯一の音――流れ落ちる水音の響く方へ、おぼつかない足を何とか運んで行った。
棗も、
水音の源は、小さな滝。
滝壺の周辺が浅い池となって清らかな水を
巫音は池の
そして、突然、崩れ落ちるように池の中に倒れ込んだ。
ゆっくりと水面を進む波紋は池の
巫音は倒れ込んだまま、池に沈んでいってしまったかのように全く姿が見えない。
水面の紋様が徐々に消えて、鏡のように星空を映し出していく。
池から流れ出る小さな清流に血の赤が
棗が、巫音の危機を感じ取って走り寄ろうとした丁度その時、巫音が池の中から立ち上がった。
巫音は、清らかな水に全身を浸し、濡れた黒髪からは光の玉のような
濡れた制服が肌に絡みつき、月明かりの中にシルエットを浮かび上がらせる。
巫音は月の光を浴びて、全身に散りばめた水玉をキラキラと輝かせていた。
焦点の合わない瞳で星空を見つめ、ただ呆然と
巫音は、スカートをはらりと落とし、
巫音の白い肌が、月明かりに照らし出され青白い光を
ドクッ。
棗の心臓が脈打つ。
清浄な光と清らかなる水により巫音の躰が浄化されていく。
棗は、そんな風に感じて少し
――ここから見える星空と鳥居の
棗が満天の星空を見上げながら、そんなことを考えていると、巫女装束を身に
巫音は、境内の棗に気付くと意外そうに一瞬眼を見開くと、気まずそうに足元の小石に眼を落す。
巫音からすれば、あれだけのことがあれば、とっくに逃げ帰っているはず、いや、怪異にかかわったことのない者ならば逃げ出して当然とも思っていた。
「あっ……? もう帰ってもいいよ。懲りたでしょ?」
巫音が重い口を開き、
棗は棗で、ヤモリの
棗は巫音の質問を流し、
「ケガ、大丈夫?」
「キズは大丈夫。だけど……」
巫音は、かなり深い傷を負っているはずなのだが、それよりも傷口からの
右手の傷の部分に軽く左手を添えた弾みに、
「ここからは、一人で大丈夫。今までもそうだったから」
巫音は、棗の帰るに帰れない事情を知る
「さ、さっきは、オ、オレがいなければ危なかったけどね」
棗としては、先ほどのような怪異との接触は、もう二度と勘弁してほしいと思っているのだが、引き下がることなどできるはずもなく、
巫音は、足元に顔を下げたまま上目遣いに棗に眼を向け、一瞬、
「もう、どうなっても知らないからねっ」
――いや、オレだって何とかしてほしい……。
複雑な心境の棗なのであった。
神織神社を守護する
それとは対照的に、神社の社殿は、月の光を受けて、その明暗を鮮明に浮かび上がらせていた。
刻々と
神社での社務所とでもいうことになるのだろうか。
宝物庫も兼ねているのかもしれない。
その建物の、とある一室。
和風木造建築の畳の部屋には、
巨大な天球儀と様々な呪具。
棗が首に
棗が、今の悪夢のような状況に巻き込まれる原点となったともいえる場所だ。
巫音は、棗を追い出すでもなく、かと言って気持ちよく招き入れるというでもない微妙な反応。
棗はといえば、会話の切っ掛けも見付からず、神織神社の静寂さと相まって、
巫音は、先ほどまで、夜空の星々を見上げて難しそうな顔をしていたが、星の動きから眼を離すと、書棚にある膨大な数の古文書の中から十数冊を選び出し、小さな机の前に腰掛けると調べ物を始めた。
どうやら、猫の怪異について書かれたものを探しているようだ。
棗は、書棚に寄り掛かりながらも仕方なく、手近にあった古文書を開いてみる。
文書は、戦前の異体字で書かれており、さらに、くずし字のため、読み
棗は、一つ溜息をつくと、気持ちを入れ替える。
――やるしかないかー。
書棚に寄り掛かりつつも、
――結界の中でも、携帯の電波、届くじゃん……。
猫の怪異に無関係と思われるものを出来るだけ省く。
かなり時間は費やしているものの、一歩一歩確実に読み進めてく。
――織紙巫音は、これ、読めるのかな?
ふと疑問に思い、巫音の方に眼を向けると、必死な形相で古文書をパラパラと
巫音は、気になったページを見付けると、しばらくそのページを見つめ続け、またパラパラとページを
よくよく見ると、絵の描き込まれているページを探しているように見える。
棗は、古文書を凝視する巫音に問いかけてみる。
「織紙さんは、古文書を読めるの?」
すると巫音は、あからさまに慌てた仕草で、あたふたして古文書を畳に落としてしまった。
眼を泳がせながらも、うん、うん、うん、と小刻みに首を縦に振る巫音。
巫音は、顔を真っ赤にしながらも、平静を
棗は思う。
――これ、きっと読めてないぞ。
棗には聞き取ることが出来なかったかもしれないが、巫音は膨れながらも小さく呟いた。
「え、絵を見れば分かるし……」
しばらくの間、棗は、携帯を手にしながら、古文書の解読に奮闘していたのだったが、一向にそれらしき猫の怪異に関する記述を見つけることはできなかった。
棗が古文書から顔を上げ、ふと巫音の方へ眼をやると、巫音は古文書に覆いかぶさるようにして、寝息を立てている。
――ったくー。
まったく棗のことを気にしていないのか、あるいは眼中にないのか、無防備すぎる巫音に呆れ果てる棗。
柔らかく閉じたまぶたが長いまつ毛を
心ならずも、見つめてしまう棗。
――可愛いか、可愛くないかといったら、なぜか悔しいが、すっごく可愛い。
これもある意味、猫の怪異かっ!
棗は、起こさないように気を付けながら、古文書をそっと巫音の下から引き出すと、部屋の明かりを落とした。
部屋の明かりを落としてもなお、月明かりが斜めに差し込み、室内にある品々を明るく照らし出していた。
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