拾弐ノ妙 逢魔が時

 たそがれ時。


 たそがれは、「黄昏」と書く。

「黄昏」の「黄」は太陽を意味し、「昏」は闇を象徴する。


 現世うつしよ隠世かくりよの境界であり、光の世界から闇の世界への扉が開く時。

 逢魔おうまが時ともわれ、かつて人々は怪異との遭遇を恐れた。


 まさに今がその時、真っ赤な夕日の斜光とこいあいの夕闇が溶け合い、まるで赤黒くにごった血のように、街並みを血の色に染めている。

 日頃、こんなことは考えたこともなかった棗だったが、なぜか今日は赤く染まった夕暮れの空気の中に、いつもと違う何かただならぬものを感じ取っていた。


 護童学園高校の下校時刻、棗と巫音は、ある人物を尾行していた。


 ――犬飼さとみ――


 転落死した白石美咲と同じ美術部員で、白の絵をえがいた人物である。


 棗と巫音は、深夜の美術室に侵入して、見る者を引き込むような印象的な二枚の絵画――転落死した白石美咲の描いた黒の絵と、それと対の絵ともいえる犬飼さとみの描いた白の絵に出合った。

 そして翌日の授業後、犬飼さとみに話を聞くため美術室を訪れたのだった。


 棗は、白石美咲とは顔見知りだったことにして、転落事故以前におかしな出来事がなかったかをさとみに尋ねることにした。


 さとみは、例の白の絵を完成させるべく、美術室の入り口に背を向ける格好でキャンバスに向かっていた。

 棗が呼びかけ、振り向いたさとみを見たとき、背筋が凍るような衝撃が棗をおそった。


 さとみの顔は、白石美咲の黒の絵にえがかれたひつぎに横たわる少女そのものだったのだ。

 苦悩にゆがむ少女の顔。


 棗は、驚きを隠しながら、さとみに問い掛ける。

 しかし、白石美咲の名前を聞くなり、さとみは涙ぐみ、美咲の名前をうわずった口調で小さく押し出すと、顔を伏せて立ちすくみ、とても話を聞ける状態ではなくなってしまった。

 しばし、立ちすくむ棗とさとみ。


 巫音は、先ほどから他の美術部員の話を聞いている。

 巫音の隠形おんぎょうは、巫音が話しかけ、一度、相手に認識されると、まるで以前から知り合いだったかのように接し合えるようだった。

 そして、巫音から一旦いったん、気がれると、その瞬間から存在を感じなくなる。

 いなくなるのではなくて、元からいなかったという感覚なのだろう。


 巫音が美術部員から聞き出した話を要約するとこうだ。

 転落した白石美咲と犬飼さとみは、お互いを認め合うライバルで、美術コンクールでは二人とも高い評価を受けていた。

 中でも、白石美咲は特に異彩を放っていて、いつも二番目扱いされていた犬飼さとみは、悔しい思いをしていたようだ。

 さらに、犬飼さとみに関係のあった人物が、もう一人事故に巻き込まれているということがあきらかになった。


 その人物は、以前からさとみに付きまとっていた男で、さとみは大変迷惑していた。

 その男はプールでおぼれて危篤状態だということだ。

 現場にいた人から聞いた話では、まるで、何かに足をつかまれプールの底に引きりこまれていくようだったとか……。


 そしてもう一つ、巫音は美術部員の集合写真を手に入れていた。

 前列の左から二番目の人物が白石美咲。


 ――白石美咲って……。


 唖然とする棗。

 その写真の人物は、犬飼さとみの白の絵に描かれている天使の顔をしているのだった。


 白の絵の中で天から堕ちる白石美咲。

 黒の絵の中でひつぎに横たわる犬飼さとみ。


 帰り際に、棗はもう一度、黒の絵を確かめたのだが、不思議なことに、昨夜には、確かに描かれていたはずのひつぎに横たわる少女の顔は、犬飼さとみのそれではなく、おぞましくたける犬の頭にげ変わっているのだった。


 巫音は改めて、犬飼さとみの行動に不審な点がないか調べることにしたようだった。


 棗は、さとみに気付かれない様に建物の陰などに身を隠しながら、慎重に後を付ける。


 ――オレは、つくづく何やってんだろ。


 棗は小さく溜息をつく。

 しかし、今に至るまでの数々の出来事の中で、棗のストーカー行為――いや、尾行の技術は、かなりの上達を見せていた。


 巫音はといえば、さとみのすぐ後ろを悠々と歩いている。

 隠形おんぎょうの呪術である。


 ――織紙巫音が常に存在を消しているのは、この為なのか?


 棗は、巫音がこの様なことをするために、いつも存在を消しているのかと思うと、少し痛ましく感じて胸が苦しくなった。


 ――織紙巫音が本音を話せる人っているのかな?


 棗は、最初、転落した白石美咲は巫音の親友か何かだと思っていたのだが、如何どうやらそうでもないらしい。


 ――じゃ、何のために?


 そんな棗の気持ちを知るべくもない巫音は、棗の苦心の尾行を歯牙しがにもかけず、一笑いっしょうすといった文字通りの表情でほくそ笑み、チラッと棗に視線を向けたと思うと、まるで、さとみと一緒に並んで歩くのかと思わせるところまで駆け寄っていった。


 さとみは、先ほどペットショップに入り、何か大量の荷物を抱えて出てくると、自分の家とは真逆の方角へ歩き出していた。

 血の色に染まった風景が夕闇のこいあいに徐々にむしばまれ、一面を闇の中へいざなう。


 さとみは、突如、公園の脇にある道で立ち止り、ギョロギョロと周りを見回した。

 急激に辺り一面の温度が下がり、冷たい空気が周囲に漂う。

 重たい空気が、手に足に頬にまとわりつき、全身に鳥肌が立つ。


 さとみは、周りに誰もいないことを確かめると、――実際には目の前に巫音がいるのだが――公園脇の道ならざる生垣いけがきのとある部分から、なか生垣いけがきき分けるようにしながら、公園内にもぐり込んでいった。


 棗は、巫音のもとへ身震いしながらも駆け寄る。


 リーン、チリーン。


 髪飾りの鈴の


「青葉くんは、ここまで」


 巫音は、真剣な眼差まなざしでさとみが消えた生垣いけがきにらみながら、穏やかな口調で言う。

 棗もまた、辺りに漂う瘴気しょうきに当てられ、氷水こおりみずを浴びたような寒気さむけと強烈な吐き気をもよおし、もうこれ以上、先には行けない――いや、行きたくないとの思いが湧き上がっていた。


 棗の右手のあざうずく。

 チョロリとヤモリが舌を遊ばせる。

 それは、棗にとって選択肢のないことを示していた。


 棗は、後ろ向きの気持ちを何とか振り切って、巫音の後に続いて生垣の中に分け入って行った。

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