拾壱ノ妙 白の絵と黒の絵

 夜の美術室には、青白く、冷たく、そして、まぶしいほどのつきあかりが差し込み、教室内の空気を青く染め、至る所に長い影を形作っていた。

 昼間の騒がしい喧騒も無くなった校舎は、不気味なまでの静寂に満ちている。


 棗は巫音と共に、美術室を訪れていた。


 ――そう言えば、この前の不可思議な転落事故で校舎から飛び降りたのは、美術部の女子部員だったっけ?


 棗はふと思い至る。


 美術部の部員である白石美咲という生徒が、間違っても転落するはずのない高さにある踊り場の窓を開け、校舎から飛び降りたのだった。

 脚立などを使った形跡もなく、窓までどの様にしてのぼったのかは、未だに分かっていない。


 ここ護童学園高校では、生徒が次々と行方不明になるなど、不可解なことが頻繁に起こっている。

 にもかかわらず、何が起きても休校になることもなく、一時は騒ぎにはなるが、数日後には何事もなかったかのように日々授業は進んでいった。

 平穏を取りつくろうために、裏で何かしらの力が働いているのか、一切、事が表沙汰になっていない。


 そもそも、おかしなことに、護童学園高校の生徒は全員推薦入学である。

 推薦という形を取ってはいるが、実際は学園側の定める基準を満たしたものだけが、選ばれて入学していると言った方が正しいかもしれない。

 しかも、その基準が何なのかを知ることができないのである。

 一つ言えることは、それが学業やスポーツなどの成績によるものではないということだ。


 当然、棗もその一人で、他に行きたい高校があったわけでもなく、受験もないということで、何となく護童学園高校に入学したのだった。


 ――この学校、何かヤバいんじゃないの。


 棗は溜息をつく。


 巫音と転落した生徒は、顔見知りなのだろうか。

 巫音は彼女が転落した原因を知りたがっているような様相だ。

 どうやら美術室に来た理由も、何らかのヒントがないかを探るためらしい。


 先ほど美術室に訪れたとしるしたが、どちらかといえば、棗が勝手に付いて来たとしるした方が的を射ているだろう。

 ここに来るまでの間、巫音は唯々ただただ無言であゆみを進め、棗もまた、気まずい雰囲気の中、一言も話しかけることができず、巫音と並んで黙々と学校への道のりを辿たどってきたのだった。


 ――帰れと言われないだけましか。


 自分がそばにいるにもかかわらず、巫音が何も言わないということは、積極的に了解した訳ではないが、「もう好きにして!」ということなのだろうと、棗は巫音の考えを勝手に推測する。


 校舎に入ると、巫音は女子部員が転落した階段や踊り場などに、何かの異変がないかを見落とすまいと、ちりの一粒一粒まで調べ尽す勢いで手当たり次第に探し始めた。

 踊り場の隅の隅、女子部員が飛び出した曰く付きの窓、階段の手すりから近くのゴミ箱に至るまで、こと細かに確認する。


 時折、ぶつぶつと何やらまた呪文らしきものを呟きながら捜索する巫音。

 棗が耳をそばだててよく聞くと「心頭滅却 煩悩退散」と唱え続けている様子。


 ふと巫音に眼を向けると、巫音は嬉々ききとした表情で500円硬貨に見入っていた。

 巫音は、棗の視線に気づくと、あからさまに慌てた様子で500円硬貨を隠し、何事もなかったかのよう振る舞いながら、「真剣に探し物をしています。」といった風な難しげな表情を瞬時に作った。

 想像するに、巫音は、落とし物のお金を見つけるたびに、呪文を唱えているようだ。


 ――心頭滅却、煩悩退散と唱えてるけど、ぜんぜん煩悩の克服が出来てないぞ。

   しかも、織紙さんは、神織神社の巫女で神に仕える身では……。


 棗は、苦笑いを押し殺しながら思う。

 さらに言わせてもらうなら、今どきそこまで小銭に執着する人も見たことがない。


 巫音は、棗と眼が合うと顔をそむけ、少し頬を紅く染めながらふくれ顔。

 でも、きっと最後は煩悩に打ち勝って、まさか着服するといったことはないだろう。

 棗は、そう思うことにした。

 とは言っても、棗自身は、わざわざ落とし物のお金を届けたりは絶対にしないのだが……。


 それにしても、どれほどの煩悩が詰まっているのだろうか。

 巫音のスカートが揺れるたびに、チャリチャリとため込まれたの煩悩が、欲望の音色ねいろを響き渡らせていた。


 ほどなくして、美術室に到着した二人。

 巫音としては、美術室に来れば何か分かるのではと期待していたのだろうが、思いのほか何もなく意気消沈とまではいかないまでも、最初のキビキビとした機敏な行動は色を潜めていた。


 時折、例の呪文をとなえているのは聞こえていたが……。


 一通りひろい尽した……、いや、もとい、一通り調べ尽した巫音は、先ほどから、イーゼルに立掛けてある部員がえがいたであろう絵を確認しながら、美術室の中をぶらぶらと巡っていた。

 棗も巫音にならって周辺の絵を何となく見ながら室内を巡っていたのだが、ふと一枚の絵に心をかれ足を止める。


 その絵は、純白を思わせる白を基調とした世界の中に、白い天使のような翼のある少女が描かれ、また、白い翼の羽根の一枚一枚は虹のように、淡いブルーやピンクなどの光がキラキラと反射し美しくえがかれている。


 美しくもはかなく、そして悲しい……。


 その白い天使は、両手を胸の辺りで組んで眼を閉じ、必死に祈りながら、自らの羽根を散らして天から堕ちて行く。

 絵のことに関して大して詳しくもない棗から見ても何か魅了みりょうされるものがあった。


 作品はまだ、未完成なのかサインは無かったが、キャンバスの裏に名前が書かれていた。


『犬飼さとみ』


 棗には心当たりは無かったが、美術部では有名な人物なのだろうということは想像にかたくなかった。


 棗が絵に見入っているのとほぼ同時、巫音もまた、ある一枚の絵の前で足を止め、その絵に釘付けになっていた。


 その絵は、漆黒の闇を思わせる、吸い込まれるように深く暗い色使いでえがかれていた。

 空から見下ろすような俯瞰ふかんの構図で描かれ、全体を覆い尽くしているのは、黒く深い湖だろうか、おぞましいぬめりを感じさせるところを見ると沼かもしれない。


 中央に浮かんだ小舟には、純白のドレスに身を包んだ少女。

 両手の指を胸の辺りで組んで眠っている。


 一面に、薄気味悪く光を放つ異様なモノが無数に飛び交い、暗い沼と思ったものも、よく見ると、ひしめき合う異形いぎょうの数々と血の泥を思わせる体液。

 それらがぬめり、にぶく光を反射しながら増殖し続けている。


 少女が眠っているのも小舟ではない。

 ひつぎ、少女は眠っているのではなく、ひつぎの中で、恐怖におびえ苦しみ、自ら眼を閉ざして祈っているのだ。


 絵を見ている者の中に、恐怖が伝染していく。


 棗は、釘付けになっている巫音の後ろから近づき、その絵を覗き込んだ。

 絵を見た瞬間、棗は、まるで魂が絵の中に引きりこまれるような錯覚を感じ、軽く立ちくらんだ。


 純白に光輝く白の絵と、どす黒くぬめる黒の絵、まるで正反対でありながら、共に強い印象を見ている者に与える作品。

 特に、黒の絵は、この世のモノではない何かに、りつかれて描かされたのではないかと思わせるほど、強烈な恐怖を放っている。


 リーン、チリーン。


 鈴のが聞こえる。

 鈴の髪飾り。


 巫音は、かすかに顔を強張らせて黒の絵に対峙たいじしている。

 棗は、キャンバスの裏の名前を確認する。


『白石美咲』


 棗も巫音も、この名前には心当たりがあった。

 そうそれは、校舎から転落した美術部員の名前だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る