情景#05 浜辺でジョギングをする。

 すぐそばで潮鳴しおなりがする。

 右耳には夕波の潮。左耳には風に揺られる松の音。

 砂を足で踏む音がする。浜辺の砂を、ざっと踏んで音が鳴った。

 砂浜で、潮気のまじる空気が私の体に触れる。その中を走っていた。空はまだ青いのに、沈むような暗がりを感じている。音はあるのに、静けさを覚える場所だった。砂浜の端から端までをコースにして、ひとりでジョギングをする。


 先日、雨が降ったせいか、砂地は思いのほか固かった。走った後に自分の足跡が残る。

「はッ、はッ、フゥ。はッ、はッ、フゥ……」

 二回吸って、一回吐く。足が浜辺の砂の柔らかさに音を上げるまで走り続けようと思った。走りながら海の方に目をやると、浅瀬の少し奥へといったところに、とがった小山のような岩が、波しぶきを散らして屹立していた。

 岩に弾かれた波の白いつぶつぶが空に散る。“塩花”って言うやつだ。その奥には、薄青い空と夕波まじる海の境目。水平線を最奥に置いた視界は、見ているひとの遠近感をいとも簡単に狂わせる。

 浅瀬で夕日に映える岩も、いくらか歩けば届きそうなほど近くに見えた。でも、いざ行ってみれば、思っているよりずっと遠いんだろうな。

 なんてことを思いつつ、まだ走りつづける。あと三〇分は走っていたかった。

 息切れを感じはじめ、それでも走りつづけていて、もっと波打ち際の近くを走りたくなってくる。体の重心を波側に倒すようにして、少しずつ海に体を寄せた。波が引いたあとの湿った砂浜を踏む。足跡が一歩一歩、いっそうくっきりと残って私についてきていた。

 しばらく経つと、浜辺の雰囲気はいっそう静やかなものになり、波の音がさらに目立ちはじめる。周囲はうっすらと影が降りたようになった。海の向こうの水平線付近は夕の色味が濃くなっている。真上の天頂付近をまっすぐ見上げれば、青と紫と白が混じるうつろな空が広がっていた。


 走ったまま、思いっきり深呼吸をする。


「……うん。いい感じ」

 風は冷ややかで、爽快で、波のしぶきを吸い込みながら吹き抜けていく。波に乗って海を越えてきた風の匂いだった。


 ストップウォッチのタイマーが終了を知らせる時間を告げ、歩調を少しずつ緩めていく。やがて立ち止まり、体が潮騒の方に向いた。

 この場にある音と光の奥行きを、とても鮮明に感じられる。浅瀬の岩は静かに佇んで、沈みかけの夕日の陽光に照らされていた。岩は夕日側に煌々と光を溜め、もう片側は黒々としていて日差しの先に影を重ねている。

 西日と波しぶきを浴びて夕の光陰を宿すあの岩を見ていると、自分が立つこの浜辺から、広がる世界の奥深くまで覗き込めてしまえそうな気がする。

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