情景#06 住み良しの浜

 カタン、と何かが音を立てて我に返った。

 ——もしてかして、眠っていた?

 リビングで椅子に腰かけ、机にひじをついたまま。

 手元には、癖で開いたまま一ページも進んでいないハードカバーの本が一冊。本は自分の手の甲と一緒に日ざしに焼かれていた。

 やけに、静か。

 あまりにも音がなくて、耳の内側の空気が押し入ってくる感じすら掴んでしまう。凪ぐような静けさの中に居て、鼓膜のふるえすら解ってしまった。


 今朝。

 外の空気を入れたくなくて、窓を閉め切り、朝のあかあかとした日差しだけを受け入れ、珈琲を淹れて香りを味わいながら、ひっそりと本を読んでいた。いつもの本を、いつもの同じページから。

 ——そんな一日を続けて、はたしてどのくらいになるだろう。

 何回繰り返そうと、何年経とうとも、ただ同じ日を繰り返すだけ。机に照り返す陽光のまぶしさに目が負ける。まぶたを半分ほど閉じても、外から来る陽光はまぶたを赤く貫通してくる。

「——……」

 ぺらりと、わざと音を立ててページをめくった。

 実は、別に読まなくてもいい。眺めるだけで全景が浮かぶほどには、内容が頭に入っていた。こうして何度も同じ日を繰り返しているから。

 いつもの時間に目覚め、いつもの支度を済ませ、いつもの作業をし、気がつけば日が暮れていた。そんな安泰をもたらす“住み良し”たるわが家に佇み、安寧に身を委ね、今は微睡んでいる。

 日だまりに包まれてほっとひと息つける安らぎ。この場だけは、いつも変わらない不変のものだった。家の内と外とがたとえ切りはなされようと、安泰を保つこの場さえあれば、きっと自分は生きていける。そう思っていた。

「……うん?」

 リビングで日ざしの中をホコリがちらついている。それを見たとき、自分の内側で曖昧な何かが擦るように走った。


 これでいいんだっけ。

 自分が欲していたのは、この不変という名の安寧だったのかな。


 不変も、決して悪くない。それどころか、すごくイイよね。安らかに居られるのだから、嫌いにもなれるワケがない。ここがある限りこの暮らしを失わずにすむ。

 たぶん、今しばらくはこんな風にいられるだろう。ひとつ屋根の下で外を眺めながら、不変を不動のものにし続ける限り。

 とある歌が脳裏によぎる。

「雁なきて、菊の花咲く秋はあれど——」

 それは豊穣たる秋をたたえ、長閑な住み良い春に喜びを覚える歌だった。

 秋に実りを掴み、春に住処を得られたことを、素直に喜ぶ自分もいた。だけど……かつて。鳥が鳴き花が咲く中で勝ち得た実りを握りしめ、今を豊穣たる今たらしめる自分という何かは、不変による安寧に縋ることで生きている。

「だって、これも決して嫌じゃない……」

 好きも嫌いも、そもそもこんな時間を過ごすために生きてきたようなものでしょうが。それを思ったとき、また何かが自分の内側を擦りつけるように走った。チリチリと焦れるような気持ちが沸いてくる。


 正直、少し退屈かな?

 もしかして、守りに入っている?

 こんな暮らしに飽きがきていた自分に、気づかないフリをしているでのは?

 いや、そんなことは——。


 ため息すら静かだ。

「余計なことにまで、気にかけるようになっちゃったかな……」

 不変という生温かい空気に充ちた場所で、不動のまま鈍感になっていく自分のからだ。それに引き換え、内側にあるこころの感度はますます敏なものになっていく。

 ほら、また日ざしで踊るホコリがぱちりと鳴った。

 光を照り返すテーブルの上で、ソーサーとティースプーンがかち合う音すら、不変に一石を投じる楔のように思えてくる。

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