情景#03 神社と寒の雨

 雨がしとしとと降る朝。ビニール傘を差して、傘布越しに空の薄鈍うすにびた雲を見上げる。ぱつぱつと耳に残るかんの雨。

 一礼して、神社の鳥居をくぐった。

 境内けいだいは、夜通し雨にしっかり打たれたらしく、濡れた砂利を踏めばその下の土までぬかるむ。あわや、水たまりに足を突っ込んでしまうというのを何回か繰り返しながら歩いた。境内は、雨を受けて水気をたたえるように湿っぽい。

 鼻に空気を通すと、

「雨の匂い——」

 周囲の音を鎮めるような湿り気が場に充ちるなか、足を止め、静かに前方の拝殿とそばに佇む絵馬掛所えまかけどころを見据えた。


 自分以外の足音がひとつ。

「あ……おはようございます」

 深い紅色の傘を差した男の子が、長身を曲げて小さく会釈してくれる。ここで彼を見かけると、つい表情が緩む自分がいた。

 そして、

「おはよ。今朝は冷えるね」

 なんて、とりとめのないことを言ってしまう。

 すると彼も、

「はい。本当に——」

 とか返してくれて、困りげに笑うのが可愛らしい。

「今日は私服なんだ。おつかい?」

 そう尋ねれば、今度は素直にうなずいた。

「ええ。ちょっと買い出しに……」

社家しゃけの子も大変ね。ちょっと外に出るだけなのに、端正な袴を私服に替えて……」

 そしてそれをいちいち人に見られて。

 でも彼は、こちら側のそんな思惑なんてつゆ知らず、高台から遠くの町を眺めるように視線を伸ばし、ぽつりとつぶやく。

長雨ながあめ、ですね……」

 ——ホント、スレてない子だな。

 色白、黒髪、桜唇おうしん。口角は柔らかくて、表情も豊かだけど、どこかどぎこちなくて。でも、手に持つ傘と平行にして、背筋はすらりと伸びている。

「お参りですか」

 と、しなやかな佇まいでこちらの様子を伺っていた。

「そんなところかな」

 空いた手の指先で、透明な傘布の裏地を軽く押しながら、

「なんというかね。春霖しゅんりんにめげず近所を軽くお散歩……のつもりだったんだけどさ。雨の日にリラックス、的な」

 ちらりと奥の拝殿に目をやる。

「坂の下で、つい君んトコの神社と目が合っちゃって」

「神社と目、ですか……」

 彼はあからさまに困惑していた。

「神社というか、鳥居かな。それとも敷地? ともあれ、坂の下から見上げるとね。つい寄ってみたくなるの。ところで、今日は何時から起きているの」

「……朝朗あさぼらけからです」

「あさぼらけ、って言葉を普段から使う男子なんて、この辺じゃ君くらいよ」

「そうでしょうか……」

 二人分の足音と、傘に触れて鳴る雨音。お互いの声が混じる。

「とりあえず、ちょっとお参りしてく。じゃあね」

 軽く手を振って少し歩いてから振り返った。彼は遠くの待ち人を眺めるように、ただ澄んだ気配を纏って先ほどの場所に立ったままでいる。

「……」

 参道の端を渡り、屋根で守られた拝殿に入って傘を閉じ、賽銭箱さいせんばこの前に立った。バッグからちりめんのがま口を取り出し、賽銭を投じて二礼、二拍手。二度の拍手が屋根と柱に反響し、思いのほか鳴り響く。拍手でびっくりさせてしまったのか、すずめのさえずりりがどこからかこだました。

「五重にご縁、五十円……」

 こんな語呂合わせ。いったい誰が考えたのやら。


 一礼してきびすを返し、傘を差した。雨は境内の石畳を打ち、はじけて水たまりをつくる。絵馬掛所に目が止まった。

 立ち寄ると、そばに彼が立つ。

「あれ。まだ行ってなかったの?」

「ええ、まぁ。だって、こんな雨の日の中、お越しくださって……」

「ううん」

 掛けられた絵馬の列を眺め、

「雨の日のココも好きなのよ」

 淡々と言ってみた。

 雨は、不要な音を削り落とし、欲しい音をくれる。

「わかります……」

 彼以外の音を消してくれた。

「ほら、見送ったげるから。車?」

「あ、はい」

 彼を見送り、一礼して鳥居を出たあとは、雨音と、自分ひとり分の足音が残された。そして、身のうちでうずくような鼓動だけが、少し。

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