第14話 【わたしのほうから線は引かない】

 昼休み、トイレから教室へもどる途中で貝守さんと鉢合わせた。B組のほうからやってきたようだ。


 ――あれ? もしかして俺に用……。


 貝守さんはぺこっと頭を下げて通りすぎていった。


 ――……ではなかったようだ。


 井崎さんのほうに用事があったのだろうか。


 教室の前では友人の東浦がちょっと困ったような顔で突っ立っていた。


 俺はぴんと来た。


「お前、まさか貝守さんにセクハラを……!」

「さっきの女子? んなわけないでしょ。潮野はいないよって教えてあげただけ」


 やっぱり俺に用事があったのか。でもじゃあなんでさっきなにも言わなかったんだろう。


「ほかには?」

「褒めたよ、お前を。交友関係が広い、気さくでいい奴だって」

「お前……、今度なんか奢らせてくれ」

「気にしないで」

「でも、じゃあなんであんな逃げるみたいな……」

「分かんない。なんか急に暗い顔になったけど。お前のこと嫌いなんじゃない?」

「………………え?」


 立ちくらみになったみたいに目の前が暗くなる。


「泣きそうな顔しないでよ。冗談だってば。――ってか潮野、あの子のこと好きなの?」

「黙秘する」

「ということはイエスだね」

「わけ分からんこと言うな。黙秘は黙秘だ。イエスとノーの状態が同時に存在している」

「おお、シュレディンガーの潮野。かっこいい」


 くだらない冗談を言っている間に予鈴が鳴った。


 まあ図書室で聞けばいいか。そう考え、俺は教室へもどった。




【プレゼントの栞を渡そうと小野山くんの教室に行ったが不在だった。いつも一緒にいる彼の友人も居場所を知らないようだ。


「あいつ、顔が広いからな」


 小野山くんが褒められて、なぜかわたしが嬉しい気持ちになる。


「誰にでも優しいし」

「……」

「あれ? どうしたの?」

「ううん、ありがとう」


 わたしは自分の教室に足を向けた。


『誰にでも優しいし』


 そう、彼は優しい。当然、


 なのに、なにを舞いあがっていたんだろう。手作りのプレゼントまで用意して。わたしだけが彼にとって特別だなんてあるわけがないのに。


 自分の勘違いが恥ずかしくて顔が熱くなる。わたしはいつの間にか逃げるみたいに小走りになっていた。】




 しかし、放課後に図書室へ行くと、いつもはカウンターにいるはずの貝守さんがおらず、二年の女子が座っていた。


 俺はそのまま図書室の奥に歩いていって棚に隠れた。念のために腕時計で曜日を確認したが、まちがいなく水曜日だった。


 俺は棚から適当な本を抜きだしてカウンターへ持っていった。借りるついでに尋ねる。


「あの、いつもここにいるひとは……」


 話しかけられると思っていなかったのだろう、彼女はちょっと驚いた顔をした。


「あ~、一年は今日委員会があるから」


 俺は礼を言って図書室を出た。


 ――今日は無理か……。


 いつもの時間、いつもの場所にいないだけで、やけに寂しい気持ちになる。


 考えてみたら俺、貝守さんの連絡先も知らないんだよな。けっこう親しくなったつもりだったけど、まだまだ知らないことのほうが多いのかもしれない。


 週に一回、話をする。たまに一緒に帰る。たったそれだけ。その週一の機会も潰れてしまった。


 ――……委員会ってどこでやってるんだ?


 一年の教室だろうか。俺は階段を上り、教室を一通り覗いてみたがどこも空だった。念のため二年や三年の教室も確認してみたが、そこにもいない。


 もしかしてと思い、特別教室棟へもどって、階上の教室から順に確認していく。


 ――いた。


 場所は第二視聴覚室。ドアの小窓から教壇でなにやら話している近江先生の姿がちらっと見えた。通りすぎるふりをしつつ横目で中を見ると貝守さんの姿もあった。


 隣の地学室に入り、さっき借りた本をぺらぺらとめくる。一昔前に流行った心理学の本だった。あなたを好くか嫌うかはあなたではなく相手の問題で、あなたはコントロールできないのだから、そんなこと気にするのはやめなさい、みたいな内容だ。心理学というよりは、やや宗教や哲学みたいだった。


 ――そうは言っても好かれたいし嫌われたくないんだよ……。


 本で言っていることは理屈では分かるし、そう生きられたらすごく楽になるとは思うのだが、今の俺には机上の空論のように思えた。


 ドアの窓の前を数人の生徒が通りすぎた。図書委員会が終わったらしい。


 しかし待てど暮らせど貝守さんが出てこない。不審に思い、地学室を出て第二視聴覚室を覗き見る。


 近江先生が貝守さんの隣に脚を組んで座り、なにか話している。貝守さんは背を丸め、その話をかすかに頷きながら聞いているようだ。


 説教、という様子ではない。近江先生はときおり呵々と笑っている。世間話だろうか。


 しばらく待ってみたが話は終わりそうにない。盗み見ているのも悪い気がして、俺は踵を返した。


 今日は縁がなかったとあきらめよう。




【落ちこんでいることを保健の先生に気づかれて、わたしは半泣きになりながら打ち明けた。もちろん、彼の名前は出したりしないけど。


「線を引いているのはあなたのほうじゃない?」


 と先生は言った。


「知らないうちにあなたから距離を置かれて、その男子のほうが寂しがってるかも」


 わたしはまた顔が熱くなった。自分のことしか考えていなかったわたし自身が恥ずかしくて。寂しいのはわたしだけじゃないんだ。


「その栞、見せてみて」


 クリアファイルに入れていた栞を先生に渡す。


「いい出来。わたしが欲しいわ」

「でも、喜んでくれるかどうか……」

「こんな素敵なプレゼントをもらって喜ばない子はどうかしてるから、そんな子はこっちから振ってやればいいの」


 先生は笑った。わたしも釣られて笑ってしまう。


「ありがとうございました」


 栞を受けとり、保健室を出た。


 気持ちが軽くなっていた。ほかの誰かより彼に好かれたいとか嫌われたくないとか、知らないうちに顔も知らない誰かと自分を比較して、負けることを怖がって、大事なことを忘れていた。どっちの気持ちが先にあったかを。


 わたしは好かれたいんじゃない。好きなんだ。】






 翌日の朝、学校の玄関で貝守さんが背中を丸めて立っていた。俺に気づくと顔をぱっと上げたが、すぐに恥ずかしそうにうつむいてしまう。


「お、おはよう」

「お、おはよう、ございます……」


 なんだか気まずい。思いきって聞いてしまおう。


「昨日は」「昨日……」


「え?」

「え?」


 同時に話しはじめ、同時に疑問の声をあげる。それがなんだか可笑しくて、ふたりとも思わず吹きだす。


「お、お先に、どうぞ……」

「いやいや、貝守さんこそお先に」

「あの……」


 貝守さんは特別教室棟のほうに歩いていって、手招きする。


「え、なに?」


 貝守さんはさらに奥へ進む。俺はあとをついていく。


 極北の図書室前までやってきて、周囲に誰もいないことを確認し、彼女は鞄から桃色の和紙の袋をとりだした。


 どきっとする。もしかして――。


「もしかして……、クッキー!?」

「こ、声が、大きいです……!」

「あ、ごめん」

「クッキーですけど、調理実習のではなくて、昨日、改めて作ったものです」

「改めて?」

「れ、練習のための材料が余っていて使わないのはもったいないと思ったのですが、わたしはほらクッキーはあまり食べないと言ったじゃないですか? だから潮野くんにと思いまして」

「う、うん……」


 急な早口に面食らう。


「開けていい?」


 貝守さんは頷く。俺は口をくくった水引をほどいた。中から出てきたのはチョコレートでコーティングされた丸い円盤状のクッキーだった。


「おお……」

「あまり、出来がよくなくて、お恥ずかしいんですが……」

「そんなことないって。めちゃくちゃ嬉しい。ありがとう!」

「いえ……」

「ほんと嬉しい」

「はい……」

「まじでありがとう!」

「そこまで……?」


 貝守さんは照れくさそうにうつむく。


「じゃあさっそく……」


 と、クッキーを口に運ぼうとしたが、


「あ、ここでは……」

「え、でも感想を聞きたくない?」

「こ、今度、聞きますので」

「でも」

「本当に大丈夫ですから……!」


 と、顔を真っ赤にして小走りで去っていってしまった。


 ――どうしたんだ、急に。


 本当に恥じるような出来映えじゃない。そりゃあ既製品のようにはいかないが、むしろちょっといびつだったりするところに手作り感が出ていて嬉しいくらいだ。


 俺はさっきの貝守さんみたいに周囲を確認した。


「一口だけ」


 クッキーを半分だけ食べた。チョコレートのねっとりとした甘みに、プレーンなクッキーの香ばしさがマッチしている。


 胸がじんとする。この感動は、味ももちろんだが、やはり貝守さんにもらったという事実のほうが比重が大きいようだ。


 ――……?


 かじった断面を見ると、中のクッキーは微妙に形が歪んでいるようだった。なにかしらの型で抜いたあと、チョコレートでコーティングしたらクッキーの形が隠れてしまった、みたいな。


 ――だから恥ずかしかったのか。


「べつに気にすることないのに」


 俺は残りの半分も口に放りこんだ。


「うめえ……」


 残り二枚ある。これは大事に食べよう。あ、写真も撮っておかないとな。




【わたしは小野山くんに栞を押しつけるように渡し、逃げだした。


 すごく喜んでくれた。それはとても嬉しい。でも、もしも――。


 もしも、隠したハートマークに気づかれてしまったら。そう考えると、とてもその場にいられなかったのだ。】



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

無口な図書委員の貝守さんは小説の中で密かにデレている 藤井論理 @fuzylonely

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ