第13話 【お世話になっている彼に贈り物をしようと思った】

 いつものように図書室に行くと、カウンターで貝守さんが小説を読んで――いなかった。


「え!?」

「な、なんですか……?」


 思わず驚きの声をあげた俺に、貝守さんは戸惑った顔をする。


「それ、教科書?」


 彼女は家庭科の教科書を読んでいた。


「そんなに驚きますか……?」

「貝守さんと言えば小説、小説と言えば貝守さんのイメージだったから」

「恐れ多いですよ……」

「なんなら自分で書いてそう」

「……読むほう専門なので」


 と、教科書に目をもどす。


「あ、調理実習が近いからか」


 貝守さんはこくりと頷く。


「料理の経験が、ほとんどないので」

「へえ、意外」

「意外、ですか……?」

「なんでも得意そうなのに。運動以外」

「……運動も、苦手です」


 犬に追いかけ回されてこけたときのことを思いだした。


 ――たしかに体幹は弱そうだ。


「クッキー作るんだっけ?」

「はい。お菓子は初めてなので、教科書を」

「生真面目だな」

「……不安なだけです」


 貝守さんが作るクッキーか。


 ――……くれないかな。


 どうしてそう思うのか自分でもよく分からない。人間がキスをしたいと欲するのは相手の遺伝子の型を確認するためっていう説もあるみたいだし、もしかしたら気になる子の手料理を食べたいと願うのも遺伝子の命令なのかもしれない。


「貝守さんはクッキー好き?」

「わたしは……」


 ちょっと考えるような素振りをする。


「いえ、あまり」

「そ、そう」


『クッキー好き?』→『好きです』→『俺も!』のコンボは不発に終わった。考えてみれば露骨にクッキー好きをアピールするのは浅ましい気がして、いまさら恥ずかしくなる。


 もらえたらラッキー、もらえなくてもヘコまない。それくらいのスタンスでいるのが精神衛生上よさそうだ。




【――早くあげたいな……。


 お客さんへのプレゼント用に和紙の栞を作る。その中の一枚だけ、小野山くん用の特別製にするつもりだ。


 ――ハートの模様を入れたり……。


「ないないっ」


 恥ずかしくなって、わたしはわざと声に出して否定した。】





 休日、友人に誘われて遊びに出かけたら、待ちあわせ場所に見知った顔があった。


「あれ? 井崎さん」


 井崎さんはこくっと頷いた。半袖のサマーニットにパンツの出で立ち、バッグを手に提げてたたずむその姿は、俺たちと同年代とは思えないほど大人びている。


 つんとした表情。今日はミステリアスバージョンの井崎さんだ。本性を知っている俺はちょっと笑ってしまいそうになる。


「潮野、来てくれてありがとう」


 友人の曽田が俺の両手で握った。


「本当に、本当にありがとう……!」

「そんなに?」


 彼は小声になる。


「めちゃめちゃ勇気を出して井崎さんを遊びに誘ったらさ、『潮野くんは来る?』って言ったんだよ。だから勢いで『もちろん!』って」

「見切り発車かよ」

「でも来てくれた友人にマジ感謝」

「ジャパニーズラップみたいな礼やめろ」


 どうしてこいつが血眼になって誘ってきたのかようやく納得がいった。というか井崎さん、なんで俺の名前を出したんだろう。


 A組とB組の男女それぞれ四名、計八名の集団でカラオケ店に赴いた。ドラマの主題歌や動画サイトから火がついたヒット曲、かと思えばオルタナティブロックなどなど、みんなが歌う歌のジャンルはけっこう幅が広い。ただ男子はラブソングを選曲する傾向にあるようだ。やはり女子を意識しているのだろうか。


 ――色気づいてるなあ。


 心の中で自分に『ひとのこと言えるか』と突っこむ。


 曽田はレンタルのタンバリンとマラカス、ペンライトまで持って奇妙なダンスを踊っている。賑やかしというよりはただのうるさいひとだ。


 俺も無難にちょっと前のヒット曲を歌いあげた。


 曽田がマラカスをしゃかしゃかと鳴らした。


「あいかわらず上手でも下手でもないな!」

「やかましいわ」


 どっと笑い声が起こった。


 そしていよいよ井崎さんの番だ。やはりイメージどおりしっとりとしたバラードだろうか。それとも大人っぽい情熱的な歌だろうか。


 画面にタイトルが表示される。それは一昔、いや二昔前ほど大ヒットしたアイドルグループのダンスチューンだった。


 曲が始まる。明るくノリのよい曲調。皆一様になにが起こったか分からないような顔で井崎さんに目を向ける。


 井崎さんはおもむろにマイクを口元に持っていった。


 うまい。しかし、歌唱力が高いというより、音程が外れない、滑舌がしっかりしているといった類のうまさ。『けっこう歌がうまいアイドル』みたいな歌声だった。


 井崎さんは真顔で、恋する女の子の本音を挑発的な言葉に乗せた歌詞を歌う。意外性やギャップで呆気にとられていた面々はようやく我に返って手拍子を開始する。


 曲が終わる。拍手喝采。


「井崎さん、うまーい!」

「すごい意外」


 井崎さんはこくっと頷き、


「お母さんがよく聞いてたから」


 と、表情も変えずに答えた。


 その後、みんなで親世代のアイドル曲を歌う流れになり、約二時間のカラオケタイムは終了した。


 カラオケ店を出て、二次会とばかりにアミューズメントパークへ行くこととなった。


 が。


「ごめんなさい。わたしはもう帰らないと」


 井崎さんが言い、「ええ~?」と残念そうな声があがる。曽田が「マジかよお……」なんてこの世の終わりみたいな顔をする。


「潮野くんも予定があるでしょ?」

「え?」


 いきなり話を振られて戸惑う。みんながいっせいにこちらを見る。


「いや――」


 とくにない、と答えようとしたところ、井崎さんがちょっと怒ったみたいな顔でぱちぱちとまばたきした。


「――うん。ある」

「お前……!」


 曽田が親の敵を見るような目でにらんでくる。抜け駆けするとでも思ったのだろう。


「もともと予定があったんだよ。急な誘いだっただろ?」

「そ、そうか……。だよな……」


 と、しゅんとした。


 井崎さんはこくっと頷き、背を向けて歩きだした。俺は慌てて彼女のあとを追う。


 しばらく無言で歩き、充分に距離をとったあと、


「ふはあ」


 と、井崎さんは今まで息を止めていたみたいに深呼吸した。表情が柔らかくなる。素の井崎さんにもどったようだ。


 彼女は俺の顔をちらっと見た。


「いろいろ聞きたそうな顔だね」

「まあ」

「なんで自分を呼んだのか、でしょ?」

「それもあるけど。そもそも井崎さんこういう集まりに参加することが意外だし」

「たまにはいいかな、って。誰かのおかげでそう思うようになった」

「貝守さん?」

「……」


 井崎さんは苦そうな、呆れたような顔をした。


「え、なに?」

「べつに。――ちょっとわたし、ガードが堅すぎかなって思ったの」

「あの選曲もその一環?」

「あれは、お母さんがいつも鼻歌で歌ってて覚えてたから。最近の曲とか分からないし」


 ガチだったらしい。しかしそういう部分を出せるようになったのも変化のひとつかもしれない。


「それで、なんで俺を呼んだの? こうやってガス抜きするため?」

「それもある。けど、渡したいものがあったから」


 俺たちは駅前のモニュメント脇にあるベンチに腰かけた。井崎さんはバッグから、フィルム袋とリボンで包装されたクッキーをとりだし、俺に差しだした。


「はい、これ」

「これ……、調理実習で作ったやつか」

「そ。どうぞ」

「ありがとう。でもなんで俺に? もしかして口止め料だったり」

「わたし、意外と義理堅いから」


 貝守さんに引きあわせたことを、そこまでありがたく感じていたのか。尽力した甲斐があったというものだ。


「じゃ、いただきます」


 俺は封を開けてクッキーを口に放りこんだ。さくさくとした歯触り、ほどよい甘さで、口の中で溶けていく。


「うん、うまい」

「……」


 井崎さんは俺の顔をじっと見つめる。


「なに?」

「貝守さんのやつのほうが嬉しかった?」


 俺はむせた。井崎さんは悪戯っぽい笑みを浮かべている。


「ど、どうしてそうなる……」

「明日、貝守さんの家に遊びに行くんだけどさ。クッキーを作るの」

「調理実習で作って、家でも作るの?」

「E組の実習は来週だからね。練習」


 急速に仲が深まっているようでなによりだ。


「絶対失敗したくないらしいよ」


 図書室で家庭科の教科書を読んでいた貝守さんの姿が思い浮かんだ。


「貝守さんは真面目だからな」


 井崎さんはまたさっきの呆れたような顔になった。


「なんだかなあ」

「な、なんだよ」

「なんだかなあだよ。潮野くんみたいなひとを利他的っていうのかな」


 意味が分からん。





 改めてクッキーの礼を言って井崎さんと別れた。


『貝守さんのやつのほうが嬉しかった?』


 さっきの質問を思いだす。


 いや、井崎さんのやつだって嬉しい。ただ少し嬉しさの種類が違うような気がする。胸が満たされるような――。


 って、貝守さんからもらえるかどうかも分からないのに。


 俺はクッキーの最後のひとつを口に放りこんで家路についた。



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