外伝5 巡る月・水の音
美しい花々が枯れることなく咲き誇る『
『日』と『月』と『星』。
これら『三辰』のひとつ『日』の影の中に存在する国だ。
時は緩やかに流れ、清らかな水は緑を育て、風は種子を運び、実りは絶えず。
賢明なる王は『大いなる慈悲深き御方』に平安を祈り、民の声に耳を傾け、善政は永く続いた。
『
『
その大地は、かつては実り無き白い土砂に覆われていた。
今は遠ざかって見えなくなった『
『花』と『月』――
二つの国の人々は、陰が重なる短い時間帯に、互いの国を行来できることを知り、盛んに交易を行った。
二つの文化は交わり、ともに栄え――そして、闇に呑まれた……。
(……冷たい……)
何百回目か、数千回目か……
(……セオ……アラーシュ……アトルシオ……どこに行ったんだろう……)
彼らの面影を追い、手を伸ばそうとしたが、動かせない。
凍えた体は動かず、感覚も無い。
ただ、水流の音だけが耳を通り過ぎる。
血の臭いが、どこからともなく鼻を刺激する。
あれから、どれぐらいの時が過ぎたのだろう。
自分の名を思い出し、あやまちを思い出し、悔い、謝罪を繰り返した。
死にたい、消えたいと願ったが、それを叶えてくれる存在は居ない。
永劫とも思われた静寂と孤独の中で――ある時、『声』を感じた。
「無茶をしたものよ……生きた身で『黄泉の泉』に入ったのは、お主が初めてだ」
老いた声が響き、暖かい手が触れた。
感覚が少しだけ戻り、そこが額だと判る。
「辛いであろうな……友たちの命を救ってやるとの甘言に誘われ、しかし彼らは命を断たれた……」
「……これが『償い』なのでしょうか……」
友を裏切った。
彼らは目前で斬首され、そのうちの一人は自分の手で行った。
この程度の『償い』では生ぬるいと思うが……
「……あなた様は……『大いなる慈悲深き御方』でいらっしゃいますか…?」
「……我は、『黄泉の泉』の最後の
笑ったような息継ぎが聞こえた。
「お主の友たちの魂を『黄泉の川』に導かねばならぬ。やはり、お主の力が無ければ、
「『
「『悟りし魂たちが集う大樹』のことである……」
「……私は、永遠にそこには辿り着けません……」
枝はたわわに伸び、緑の葉が生い茂り、葉の間から白い花が咲き、温かい日は根元までを照らし、傍らには澄んだ水を湛えた泉が在る……
「その日まで、まだ暫しの時間が必要であるな……」
額から手が離れ、水の音が強くなったように感じた。
「長きを独りで過ごしたお主なら、
声は遠ざかり、温かさも消え、深い静けさと冷たさに包まれる。
また、孤独な時は訪れ――しかし、ごく稀に老人と擦れ違った。
声が掛けられることは無かったが、すれ違う時に温かさを感じた。
その都度に、みんなが
それを、どのくらい繰り返しただろうか――
ある時、急に「息が苦しく」なった。
「溺れる」苦しさだった。
泳ぎは得意だ。
川遊びをする時、岩から飛び降りた。
その日も、従弟たちと川遊びをしていた。
すると、川の傍に騎乗した大人たちが来た。
見たことも無い立派な服を着ていて、冠を被っていた。
その五日後、親族と村人たちに見送られて、帝都へと旅立った。
馬に乗るのは、初めてだった………
「……あ……ああ……うあああっ……」
苦しさに声を上げる。
思わず手を伸ばす。
すると、誰かが手を掴んだ。
男の手だ。
見上げると、中年の男が居た。
その隣には、少女が立ってこちらを見ている。
二人とも、色付きの小袖を着ているらしい。
「……待っていたよ。
男は言い、優し気に微笑んだ。
「みんな、君を待っていた……池から上がれるかい?」
(……池……?)
男の言葉は分かるが、体が自由に動かせない。
声も出ない。
「
「平気ですよ。さあ、落ち着いて……力を抜いて」
男は力強く、手を引く。
すると難なく男の傍に辿り着き、男に引っ張り上げられた。
池を囲う丸まった縁石をどうにか乗り越え、座り込む。
初めて全裸であることに気付いたが、少女は慣れた様子で、大きな布を体に掛けてくれた。
「髪は切った方が良いな。身長よりも長く伸びてる」
背後に回った男は、濡れた髪を手で絞る。
「歩けるかい? 風呂を沸かしてある。入りなさい」
「……はい……」
ようやく、声が出た。
見上げると、空には星が瞬いている。
そして、月も見える。
「……月の…
呟くと、少女はハッとしたように口を小さく開き、うつむいた。
「……
「……え……?」
暗い中で、目を凝らして少女を眺める。
くっきりした眉が印象的な、意志の強そうな顔立ちだった。
金属で出来た不思議な装飾品で、両目の周りを飾っている。
何となく覚えのある容貌だが……はっきり思い出せない。
そして、目の前にある『家』の造りも変わっている。
住んでいた『殿舎』を思わせるが、ずっと小さい。
天井も低そうだ。
その向こうには、何やら塔のようなものが見える。
中空には、紐状の物が、ぶら下がっている。
「落ち着いて。ゆっくり話そう……」
男に支えられて、立ち上がる。
何とか歩けそうだが……
「……あの……みんなは……セオやアラーシュや……アトルシオは……」
見知らぬ景色に動揺しつつ訊ねると――男は宥めるように首を振った。
「大丈夫。みんな、近くに住んでるよ。春になったら会える」
「……本当に?」
無意識に、顔をほころばせる。
だが、彼らは死んだ筈だ――
自分のせいで――?
だが、やはり頭がぼんやりしている。
三人の名は分かるのに、記憶が曖昧だ。
ふと地面を見ると、裸足で落葉を踏んでいる。
黄色がかった葉で、同じ物があちこちに落ちているようだった。
今は『秋』のようだが……
「君は長い間、旅をしていたんだよ。少しずつ思い出そう……」
「……はい……」
男の言葉の意味は分からなかったが、今は従うより無さそうだ。
「あんたに名前を付けてやるよ……」
斜め前に来た少女は、感慨を込めて言う。
「『つきしろ はるか』……あんたの名前だよ。ずっと前から考えてたんだよ。気に入ってくれると嬉しいけど。さ、早く風呂に入りなよ。風邪ひくよ」
少女は初めて、年相応の笑顔を浮かべた。
それを見て、やはり自分はこの少女と会ったことがある、と思う。
「あの……お名前を伺っても……差し支えなければ……」
訊ねると――少女は答えた。
「今は……方丈
「こうこうにねんせい……?」
「ああ……来年は、あんたも高校一年生にしてやるよ。みんなと一緒にな」
少女は月を見上げ、『つきしろ はるか』と名付けられた彼も、それに倣う。
濡れた冷たい体を気にもせず、彼は金色の輝きに懐かしい思いを馳せた。
『外伝5・完』
◆◆◆
外伝は、時系列を無視して思い付いたエピソードを書いて、掲載しています。
ですので、特に関連の深いエピソードのリンクを貼って置きます。
「黄泉月の物語 悪霊まみれの彼女Ⅱ」より
「第6章 妖しの月・水鏡の花」
https://kakuyomu.jp/works/16816700428178248114/episodes/16816927859280914386
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