外伝2 蓬莱の尼姫

 ……全身が熱い。

 ……皮膚の下で、炎が燃えさかっているようだ

 ……首筋の脈打つ鈍痛は、止むことなく襲って来る


 地獄に墜とされたのだろうか……

 灼熱の波が舞う頭で、ぼんやりと考える


 無謀にも『魔窟まくつ』に侵入し、息子たちと『悪霊』の闘いに分け入った

 首筋を刺され、体が霧散したのも覚えている

 だが、子供たちは救えた筈だ

 ならば、悔いうることなど無い……



「……ごめんな……もう、助けてやることはできない。みんなで力を合わせて、この永い闘いを終わらせてくれ……」



 闘いに終止符が打たれた時は、この灼熱の痛みも消えるだろう……

 けれど……まだ意識がある

 霊体が霧散したのだから、意識も消えている筈だ

 それなのに、まだ『記憶』があり、『思考力』もある

 なぜ……?

 

 

 すると、急に周囲が冷えたように感じた

 川に流されたように、どこかに移動している

 気のせいでは無い

 灼熱は去り、心地よい水音が聞こえる


 花の香りが満ち、羽根のように、ゆるりと落下する

 この感覚には、覚えがある


 登山中に滑落し、明け方に瞼を上げると、七色の光に照らされていた

 立ち上がると、白い馬が傍にいた

 何となく、その馬の背に跨ると、馬はゆっくりと前進する

 乗馬の経験はあったが、どんな馬よりも乗り心地が良い

 緑あふれる草原には、可愛らしい花々が咲き、蝶が舞い、鳥は天高く飛んでいる


 やがて馬は走り出し、目の前に出現した川を飛び越えた

 『三途の川』を越えたんだな、自分は死んだんだな……と理解した

 沙々子と和樹を残して、何て情けない……と後悔する

 だが、沙々子は若い

 良い相手に巡り会って、幸せをつかんで欲しい……



 そう、この感覚は、死んだ時と同じだった

 苦痛も恐怖も消え、穏やかな幸福感に包まれる感覚……

 すると不意に身が軽くなり、瞼が開いた



 

 三角形に傾斜した高い天井が見える。

 その下には角材のはりが通っている。

 左右の様子を確かめるべく、固い枕に乘った首を振ろうとしたが、激痛が走った。

 眉をしかめ、荒い息を吐く。

 自分は、消滅したのを思い出す。

 確かに、自分の魂は消えた筈だ。


 自分の月命日にお参りに来てくれる僧侶が『悪霊』に憑依されたのを知り、静観できずに、上層部に直訴した。

 短期間だが『公務』に就いた見返りに、『魔窟まくつ』に行く許可が欲しい、と。

 魂の消滅の危険を指摘されたが、決意は揺らがなかった。


「子供たちに、知り合いのお坊さまをあやめさせることは出来ません」


 何度もそう繰り返し、ついに上層部は折れた。

 『蓬莱ほうらい天音あまね』を伴って行くことも許された。

 急いで『蓬莱ほうらい天音あまね』の家にを訪ね、彼女と共に『魔窟まくつ』に潜行し、そして息子たちの闘いに分け入り、『悪霊』に首筋を刺された。


 凄まじい痛みと熱が駆け抜け、身が無散するのを感じ取った……

 なのに、どこかに寝ているのは、どういう訳だろう……?

 



「もう、大丈夫です……」

 若々しい女性の声が聞こえた。

 傍らに、墨染すみぞめの着物を纏った女性が座しているのに気付く。

「……あなたは……?」


「『蓬莱ほうらい』とお呼びくださいませ……」

 女性は軽く頭を下げ、微笑んだ。

 『蓬莱ほうらい天音あまね』に瓜二つの顔立ちだが、より高雅な雰囲気で、彼女よりも少し年上に見える。

 髪は肩の下までの長さで切り落とされ、良く見ると、着ている物はひな人形でお馴染みの『十二単じゅうにひとえ』のようだ。

 

 彼女の後ろには、障子のような衝立ついたてがあり、左右にはカーテンのような布の仕切りもある。

 床は板敷きで、自分が寝かされているのは畳の上だ。

 

 修学旅行で、このような建物と、昔の衣装姿のマネキン人形を見たことがある。

 平安時代の貴族の『寝殿造しんでんづくり』の部屋で、髪を肩で削いだ黒い着物姿は当時の尼僧姿だと教わった。

 『源氏物語』の『紫の上』の祖母が、このような姿だったと記憶している。



「……貴女あなたさまは、ここのあるじでいらっしゃいますか?」

 訊ねると、若き尼姫はうなずいた。

「はい……私が、貴方あなたさまをお助けいたしました」

「……ここは、如何いかなる場所でしょうか?」

「『花』の『くつ』」と記し、『花窟はなのいわ』と呼ばれた『根の国』でした。ここは、その中心の都『宝蓮宮ほうれんのみや』でございます。今は、全てが『魔窟まくつ』に包まれ、たみの多くは、闇に呑まれて心を失いました……」

「もしや……『悪霊』の正体は……」


 首の痛みとうずきを堪えて訊ねると、尼君は目を閉じてうつむいた。

むごいことでございますが……私にも、どうにもならぬのです。私に出来ることは、私の『影』を地上の国に送ること……」

「ああ……何てことを……」


 にじみみ出る激しい痛みと後悔に、思わず嘆く。

 結局は、子供たちに殺生せっしょうをさせてしまっている。

 最悪と言わざるを得ない。

 そんな後悔の気持ちを察した尼姫は、布が巻かれた首筋に手をかざした。

 温かさが全身に回り、心の痛みも癒される。


「良いのです……貴方あなたさま同様、彼らの魂は私が保護しております。この『花窟はなのいわ』が『黄泉月よみづき』より解放されれば、彼らは白鳥に姿を変え、末永く国を守護してくれることでしょう……」

「『黄泉月よみづき』とは……あの巨大な月のことでしょうか?」

「私どもは、そう呼んでおります。あの月のあるじは、自らを『よいの王』と称しております……」


 尼姫は首筋から手を離し、すると衝立の後ろから、中年の尼君が姿を見せる。

 尼姫はうなずき、膝立ちをしてから、ゆるりと立ち上がった。

 墨染すみぞめの衣の下には、灰桜色の着物を重ね、藤色の袴を履いている。

 

 だが、尼君が袈裟けさを付けていたが、尼姫はそうでは無かった。

 尼僧を感じられるのは、断髪と墨染すみぞめの衣だけだ。

「では、私は皆の前に戻らねばなりません。さびれた地ですが、ご滞在くださいませ。貴方さまのことは、『弦月げんげつさま』と呼ばせていただきます。ここでは、本名を名乗るのは危険ですので……」


「……姫さまの御心のままに。けれど、敬称は不用です」


「いいえ。弦月げんげつさまの御身おんみかえりみぬ行動は、たたえられてしかるべきでございます。敬意を持って、許される限りのおもてなしをさせていただきます」


 蓬莱の尼姫は言い残し、衣れの音と共に衝立ついたての向こうに消えた。


 溜息をき、不自由な首を動かして周囲を目で追う。

 が、衝立や布に囲まれていて、外の様子は伺えない。

 体も重く、今は寝床から這い出ることも不可能だろう。

 動けるようになれば、外の景色を見られるかも知れない。


 だが、尼姫の言葉は……

 『……許される限りのおもてなしをさせていただきます……』


 尼姫も、囚われの身であることがうかがえた。

 そして和樹たちは、この王宮を目指して闘いを続けている。

 これでは、人質が増えただけだ。

 だが、和樹たちと宇野笙慶しょうけい氏の闘いを見過ごす訳には行かなかった。

 和樹たちと尼姫を信じて、待つしか無さそうだ……



「お邪魔いたします、弦月げんげつさま」

 幼い声と裸足の足音が聞こえた。

 十歳に満たないであろう少年が、布の陰から顔を出し、傍らに座った。

 テレビで観た『牛若丸』のような衣装を着ており、髪も後ろに束ねている。

 少年は、貴人にでも接するように、うやうやしく拝礼してから言った。

「蓬莱の姫さまのご命令で、弦月げんげつさまにお仕えさせて頂きます。『小君こぎみ』とお呼びください」


小君こぎみ……?」

「はい」


 訊ねると、少年は人なつこく笑った。

 顔は似ていないが、和樹を思い出さずにはいられない。

 大切な時期に、一緒に居てやれなかったことが、今更ながら悔やまれる。

 そんなことを知らぬ小君は、無邪気に言う。


「御用があれば、何なりとお申し付けください」

「……ありがとう」


 礼を言うと、小君こぎみは嬉しそうに笑い、布で包まれた物を取り出した。

 「あの……退屈かと思って、笛など持って来ました。お体にさわらなければ、お聞かせしたいと思って」

「そうか……頼むよ。何もすることが無いからね」

「はい!」


 少年は横笛を取り出し、大きく深呼吸し、唇に当ててかなで始めた。

 彼は、どのくらいの時間を生きて来たのだろう、とふと思う。

 動かぬ時間の中で、心の成長も止まったのだろうか。

 病人を慰めようと、幼いながらも色々と考えたのだろう。

 その心が嬉しく、神社で聞いたことがある音に聴き入る。

 焦っても仕方が無い。

 まずは、傷を回復させるしか出来ることは無い。


 目をつむり、妻と息子の姿を思い浮かべる。

 笛の音に祈りが溶け込み、空気をたおやかに揺らした。


 


 『外伝2・完』

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