第28話 次は、必ず潰す/昔の夢⑤

 グラリとよろめいて、更に空中で仰向けに体を反転させるとバックナックルで追撃を見舞う。顎を撃ち抜いて小さく声を漏らし、しかし会長は俺が着地するよりも前にリングを発動。捩じ切られるような痛みを伴って、俺は遠くの壁まで吹き飛んだ。


「……テメー、逃げたな」


 カウンターの今際いまわ、ヤツも血を出して地面に倒れたのが見えた。あいつは、戦いを知っている。本気の殺し合いを知っている。ただの技能スペックエリートと違う、俺と同じ死線を潜り抜けた変異人類メタモルヒューマンだ。やられながらやり返すことを考えられるのは、そういう人種だけだからな。


「……ゴフッ」


 トドメを刺しに来くるか?その瞬間にドギツいのを顔面に叩き込んでやる。もう許さねぇ。こんなに頭にキタのは久しぶりだ。

 足は、切断されたんじゃねえな。肉も骨も、右回りに狂っている。多分、魔女を殺す拷問器具みたいに捩じって引きちぎったんだろう。首をやらなかったのはなんでだ?照準を合わせる必要があるのか?なら、狙いやすい脚を攻撃したのも頷ける。冷静だ。


 だったら、このまま失血を狙うなんてあり得ない。捻じったせいで血管が中途半端に閉じて、吹き出す量が既に甘くなってる。この状況をあいつは分かってるはずだ。


 オラ、来いよ。準備は万端だ。後悔するぞ。寝首を搔かれる夢を見ることになるぞ。そうやって生きていきたくねぇだろ?

 ……なぁ、お前は俺と同じ匂いがするんだよ。初めて出会ったはずなのに、まるで懐かしい友達みてぇにお前の考える事は手に取る様に分かるぜ。


 だって、俺たちは臆病で仕方ねぇもんな。その目は、そういう目だ。


 心を許せば、それを失った時に立ち上がれねぇ性分だもんな。俺もそうさ。俺は、まだ爺さんが死んだあの時に座り込んで止まったままなんだ。未来に何かを残すって事は、そこに向かって時間が動き始めるってことだ。お前には、その恐さがよく分かるだろ。


 だから、早くしやがれ。ここで終わらせようや。


「……なんだ」


 来ねぇのか、なら。


 次は、必ず潰す。


 × × ×


――夢。


 思わず、その人の目の前に手をかざしていた。しかし、彼は顔を拭う事もせずに謝ったまま俯いている。多分、俺が何かを言うのを待っていたんだと思う。静かで、優し気だった。明らかに、今まで出会って来た大人とは違う。


「お、お爺さんも、変異人類なの?」

「いいや、俺は普通の人間だ。でも、敵ではない。お前の事も、恐くないよ」


 その時、俺はやけにその人の事を愛おしく思ったんだ。俺を恐くないって、そう言ってくれた事が心の底から嬉しかったんだ。やっぱり、ツッパってたって5歳の子供でしかなかった。誰かに真っ直ぐ見てもらいたかっただけだったって累木が教えてくれたから、今なら分かるよ。


「お前、どこから来たんだ?」

「……えっと、狗神園いぬがみえん


 多分、知りたかったのはそこじゃないよな。でも、爺さんは訊き返したりはしなかった。


「どうして歌舞伎町に来たんだ?この町は、子供が来るような場所じゃないぞ」

「……覚えてない」

「そうか。とにかく、子供一人でよく頑張ったな。偉いぞ」


 その時は、この町の事情を説明してくれた爺さんの言葉はよく分からなかった。でも、いつの間にかベンチに座って、爺さんの顔を上着の内側で拭いて帽子を頭に被せたのを鮮明に覚えている。帽子を被せた時に一度話を止めて笑ってくれたのが、とても印象深かったからだ。


 ……多分、この時にはもう爺さんの事が好きだったんだろうな。


 歌舞伎町は、異能事変より後に日本中の変異人類が集まってしまった異様な町だ。なにがそうさせてしまったのかは未だに分かっていないが、元からアンダーグラウンドの組織が取り仕切っていた場所だったらしい。だから、嫌われ者にはちょうどよかったんだと思う。快適に住むには、ここの支配者を潰すだけで条件が整うから。


 日本政府は、歌舞伎町の管理を放棄している。だから、あそこは事実上の治外法権だ。そのことを理解するのは、この日から5年以上経った頃。


「襲われたりしなかったのか?ここに来るまでに、たくさん会ったんじゃないか?」


 繋がる道には、当然変異人類が多く住んでいる。数少ない連中にあれだけ遭遇したのは、そう言う理由だったみたいだ。


「うん。でも、みんなやっつけたよ」

「……そうか。強いんだな、……お前」


 お前と言われた時、爺さんが言い淀んだ理由を考えた。多分、生まれて初めて人の気持ちを理解しようとした瞬間だったと思う。


「……名前、無いんだ」

「ない?」


 もちろん、この時には俺を指す言葉はあった。でも、捨ててしまいたかったんだ。だから、そうやって嘘を吐いた。


「なら、お前は小戌こいぬだ。狗神園から来たからな」

「……小戌。え、えへへ。変な名前」


 多分、それは俺が人生で初めて人からもらったプレゼントだ。


「子供に名前を付けるのは久しぶりなんだ。悪いな」

「えへへ。ホントに変だよ。だって、犬って。……っ?あ、あれ……?」


 ……涙が出た。止まらなかった。


 気が付けば爺さんの胸に飛び込んでしがみ付いて、口を押し当てて大声で泣いていた。息が止まるくらいにしゃくりあげて、その度に深く沈むように力を込めた。強く抱き着いて、拳で叩いて、それでも止める事は出来なかった。


 だって、もう二度と誰にも見てもらえないんじゃないかって、本気でそう思っていたから。死ぬまで一人なんじゃないかって、本気でそう思っていたから。人に頼れば殺されるって、本気でそう思っていたから。そんな、犯されたあの日からずっと心に留めていた感情が、全部溢れ出しちまったんだ。爺さんは、痛かったと思う。体も、心も。


 でも、受け止めてくれた。「大丈夫だ」って。「よく頑張ったな」って。それだけを言って。俺が爺さんを信用した理由は、それだけだ。他のヤツと違ったのは……。なんだろうな、温度じゃねぇかな。


 ……そして、気が付けば俺は一ヶ月ぶりに眠っていた。それが、寒い冬のとある日の、俺と爺さんの出会いだ。

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