恋する男子に盆踊りを教えて(2)


「おうちに上がってもいいですか?」

「いやいや、待て待て。今、うちの母さんいないから」


「ということは、独りぼっちでお留守番ですか?」

「そうそう、だからまた今度遊ぼうな」


「安心してください。私は泥棒じゃありませんから」

「駄目だ、帰ってくれ」


「そんなことを言わずに、せめてお話だけでも聞いてください」

「俺はお前の友達なんだぞ? 万が一にも間違いがあったらどうする」


「……間違いって? ここは青木さんのご自宅ですよね?」

「つまり、その、こんなところを近所の人に見られたら誤解されるだろう?」


「でも、野々坂さんのお宅はお留守でしたよ?」

「だからといって、何の連絡もなしに突然うちに来られても困る」


「もうすぐ部活の練習が終わるから、それまで青木さんの家で待っててと言われたんですけど」

「野々坂の話はともかくとして、お前の親御さんは、このことをご存知なのか?」


「そんなにおしゃれをしてどこへ行くの? と聞かれたので、このまえお世話になった青木さんのお宅へ出かけると言ってきました。――その証拠に、お土産もほら」

「うちの母さんが帰ってきたら、絶対に何もなかったって言えよ? そうじゃないと、俺が自分ん家から追い出されるからな」


 俺は、とくに断る理由もないのでひとまずお土産だけ受け取っておき、半開きのドアを挟んだまましばらく押し問答を繰り返す。


 けれども、全国各地で連日のように熱中症のニュースが取り沙汰されているこの猛暑の中。無理やり追い返して玄関の外へ閉め出すのはあまりに酷である。


 ――すぐに戻ってくるから、そこで大人しく待っていろ。

 俺は、しぶしぶながらドアの内側に千嵐を招き入れる。玄関口で待たせたまま、箪笥の引き出しからあれこれと着替えを引っ張り出す。


 居間と寝室を隔てる間仕切りをぴったりと閉じて、食べっぱなしだった食器を流し台に片づける。

 エアコンのリモコンをピッピッと鳴らし、折りたたんだ布巾でダイニングテーブルを拭く。


 ――いえいえ、どうぞお構いなく。

 千嵐は、我が家の散らかったサンダルもろとも靴を揃えたあと、なるべく足音を立てぬように楚々としてフローリングを歩く。


 腰よりも高めの位置でひもを結んだ、上下つなぎのワンピースだった。

 靴下よりも長めのタイツを履いていて、足首がすらりと細く見える。


「何か飲むか? 麦茶しかないけど」

「いいえ、結構です。すぐにお暇しますので」


 俺は、背すじを反らしつつ片開きの冷蔵庫を開けて、プラスチックのふたがついた麦茶の容器を取り出す。

 カラン、コロン――と、ガラスのコップの中で氷が踊り出し、まるで風鈴みたいな音を奏でる。


「本日は、先だって電話でお伝えした花火大会の件で伺いました」

「だから、あの話はもう断っただろう? その日は用事があるから忙しいって」


「ですから、青木さんがお休みの日で構いませんので、後日また日をあらためてご相談しましょう、と申し上げたのですが……」

「それが、今日なのか? 何だか面倒くさい話だな」


「――座ってもよろしいですか?」

「ああ、ごめん。気がつかなくて」


 千嵐は、帽子を重ねて足元に荷物を下ろし、自ら引いた椅子に腰かける。

 俺がキッチンの戸棚を開けて菓子を物色しているあいだ、所在なさげにテーブルクロスの折り目をいじる。


 結局、あちこち探して見つかったのは、うすしお味のポテトチップスのみ。

 テーブルを挟んで向かい合ったまま食べられるように、袋の開け口を裂いて平らに広げる。


「私が以前から、この町の周辺にあるお寺や神社を調べているのはご存知ですよね?」

「自分の名字の由来を調べるためだろう? 昔の人物や地名とかに関係があるんじゃないかって」


「たしかに最初のきっかけはそうだったんですけど、近ごろはもう、幽霊や妖怪にまつわる噂のパワースポットを巡るのが楽しくなってきて」

「ふーん、変わった趣味だな。俺はおばけとか苦手だから無理だけど」


 俺たちは、誰にも邪魔されない物静かなアパートの一室で、とりとめのない世間話を交わす。

 窓とドアを閉め切ったまま、普段よりも強めにエアコンを効かせているので、町中の雑音も遠くにしか聞こえない。


「こちらが、毎年神社の境内で開催されている夏祭りの資料になります」


 そう言って千嵐は、お土産と一緒に持ってきた紙袋から、夏祭りのチラシを取り出す。


 フルカラーで両面印刷された宣伝用のパンフレットには、第何回目と書かれた大々的な見出しと、土日をまたいで三日間にわたる開催日時。

 そして裏面には、最終日に予定されている打ち上げ花火のプログラムと、お神輿にまつわる見どころの紹介。


「そしてこちらが、来週うちの近くのお寺で行われる盆踊りの資料です」


 テーブルの上に並べて示された二枚目のパンフレットは、モノクロで片面のみ印刷されている安っぽいビラだった。

 参加費用は無料。事前の申し込みは必要なし。開催する時間と場所。当日に持参するべき持ち物が書いてある。


「両方の資料を比較してみて、いかがですか?」

「いや、いきなりこんな紙切れだけ見せられて、どうですかと聞かれてもな」


「私としては、どちらを選んでいただいても構いません。青木さんが、どうしても打ち上げ花火なんか観たくないと仰るのなら」

「ちょうど日程が重なっているから、どちらか片方しか選べないのか」


「小さいころ、大勢の人だかりに周りを囲まれて、打ち上げ花火が見えなかったんですか?」

「……野々坂のやつめ、また余計なことを喋りやがって」


 俺は、椅子の背もたれに寄りかかりつつ、差し出された資料を取って麦茶を口にする。

 コップの底に結露した水滴でテーブルが濡れてしまい、お互い、あっと手を伸ばしながら同時に身を乗り出す。


 一体何なんだ? この気まずい空気は……。

 意図せず触れてしまった手をすぐに引っ込めて、慌てて居住まいを正そうとする千嵐。しわになったスカートを気にして、何度も椅子に座り直す。

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