恋する男子に盆踊りを教えて(3)


「――ご存知ですか?」

 そう言って、千嵐小夜はふと思い出したように昔話を語り始める。


「盆踊りの音頭として日本全国に広まった炭坑節という曲は、もともと、鉱山で働く女性たちの気持ちを歌ったラブソングだったそうですよ」


 俺たちが暮らしているこの地域の周辺一帯は、県の観光マップにも描かれている炭鉱の町だ。

 日本全国でも数少ない石炭の産出地として、かつては大いに栄えていたという。


 しかし、それもせいぜい明治大正から昭和の中頃までの話。

 石炭需要の最盛期だった戦争が終わり、蒸気機関からガソリンへと時代が移り変わるにつれて、みるみるうちに衰退していった。


 いまや、その当時の面影はほとんど残っていない。

 石炭を採掘する際に廃棄された捨て石の置き場――いわゆるボタ山と呼ばれる起伏のある地形が、雑然とした町並みに隠れているのみ。


「そういえば、うちの近所の公園で毎年やっていた盆踊りも、今年は取りやめだって言ってたっけ。会場の準備を手伝ってくれる大人も少ないし、せっかく開催しても子供が集まらないから意味がないって」


 俺は、今さらながらベランダに干している洗濯物が丸見えだったことに気づき、さりげなく窓のカーテンを閉める。

 白昼にもかかわらず薄暗くなった室内の雰囲気に、千嵐はこころなしか少し不安そうに身構える。


「私たちは、郷土研究部のメンバーですよね?」


 ――ところで、コンテストの応募に向けて取り組むべき論文の研究テーマは見つかりましたか?

 唐突にそんな関係のない質問を投げかけられて、いいや、まだだと俺は答える。


「自分たちが生まれ育った故郷では、一体どんな民謡が歌われているのか、実際に現地へ行って調べてみませんか?」


「そんなもっともらしいことを言っておいて、本当はお前、こっそりお寺や神社へ忍び込んで肝試しをするのが目的なんじゃないか?」


「やっぱり、女の子ひとりで真っ暗な夜道を歩くのは心細いじゃないですか。青木さんは男の子ですし、もしも一緒に行ってくれたら、おばけ以外は寄りつかないかなって」


 ――実際に現地へ行って調べる。

 これが、俺たち郷土研究部の合言葉だ。


 おのおのが気になる研究テーマを見つけて、とことん納得がいくまで調査する。

 図書室の文献を参考にしつつ、それを論文にまとめて、全国の高校生が集まるコンクールで発表するのが目標だ。


 たった一人で資料を探すのは大変なので、ほかの部員から研究を手伝ってくれと頼まれたら、できる限り協力は惜しまない。

 しかし、今回の件に関しては本来の主旨から外れている気がする。


「ピンポーン」


 ――午後3時ごろ。

 インターホンが故障して以来、ピンポンの音が鳴らなくなって久しい我が家の玄関から、そんな声が聞こえてくる。


「ごめんくださーい」


 家の中から返事が聞こえないので、実際に玄関のドアを開けてみて留守かどうか確かめる時の声だ。

 たとえ居留守を使っていようが、風呂やトイレに入っていようが、そんなことはお構いなし。


 ……おやおや? 玄関に知らない女の靴があるぞ? さてはお取り込み中かな?

 お邪魔しまーす、と大きな声をかけて勝手に上がり込んでくる。


「なんだ、ちゃんと服を着てるじゃん。郵便受けに荷物の不在通知が入ってたよ。私がかわりに電話しておいてあげようか?」


 野々坂百花は、エアコンで冷やされた空気が逃げないように、押し開けた戸を後ろ手でぴったりと閉める。

 ポストに届いていた郵便物を仕分けつつ、全然言うことを聞かないリモコンでテレビをつける。


 上下ともに学校の体操着。部活帰りのジャージ姿だった。

 空いている椅子に腰かけて汚れた靴下を脱ぎ、くるくる丸めてぽいっと投げる。――嗅いでみる? といつもの調子でたずねてくるものの、もちろんお断りだ。


 それから、さっそく食器棚からコップを取り出して麦茶をそそぐ。半分までついでからぐびぐびと飲み干し、さらにもう一杯。

 ――ところで、千嵐さんはどこ? お風呂でシャワーでも浴びてるの?


「わっ――!」


 すると、その時だった。

 ベランダのサンダルを突っかけて、洗濯物に隠れていた千嵐が、ガラガラと窓を開けるなり、いきなり両手を広げながら飛び出してくる。


 もちろん俺は、あらかじめその隠れ場所を知っていた。内心やばいやばいと焦りながらも、素知らぬ顔でずっと黙っていた。

 慌てて窓のカーテンを内側から引き、千嵐の姿をばれないように隠したのは、他ならぬ俺自身である。


「ほらね、やっぱり千嵐さんだー! 久しぶりー!」


 野々坂は、飲みかけだったコップを台所のシンクに置いた途端、たちまちテンションが上がる。

 勢いあまって転びそうになった千嵐を助け起こすと、抱き合って飛び跳ねながら喜びを分かち合う。


「どうして私が隠れていると分かったんですか? こっそり後ろから近づいて驚かせるつもりだったのに!」

「留守中のお宅に忍び込んで浮気するなら、もっと上手に隠れないと駄目だよ? 奥さんや恋人に見つかって修羅場になったらどうするの?」


 まるで鏡写しのようにお互いを指差して、あははっと無邪気に笑う二人。

 ……一体こいつら、他人の家で何をやっているんだ?

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