第六話

恋する男子に盆踊りを教えて(1)


 俺の一日は、ラジオ体操から始まる。


 起床は、朝6時30分。

 玄関を出るついでにゴミ出しを済ませ、アロハシャツにサングラスをかけて近所の公園へ。


 広場のベンチにラジカセを据え置き、大音量でゴキゲンな音楽を垂れ流す。

 朝早くから兄弟姉妹を連れて集まってきたガキどもは、いいかげんにアレンジされた俺の振り付けを真似してノリノリで踊り出す。


 ――ヘイ、DJ!

 今日もたくさんスタンプを押してくれよ!


 帰りがけにご年配の方からもらったヤクルトを飲み捨て、朝7時30分に帰宅する。

 今日一日の仕事を終えて、だいたい朝8時ごろには就寝する。明日に備えて、早寝早起きだ。


 俺が住んでいるこの地区の自治会には、回覧板で回ってきた面倒な仕事を持ち回りでこなすという決まりがある。

 公園の草むしりやら、公民館の掃除やら、拍子木を叩いて火の用心を呼びかける消防団の見回りやら。


 ラジオ体操の当番に関しては、子供を持つ世帯が代わる代わる順番で担当する仕組みである。

 しかし、昨今は少子化のうえに共働きの家庭が多く、なかなか引き受けてくれる保護者が見つからない。


 だから、年長の者が年下の子の面倒を見る。地域の結びつきが強いこの町では、昔からごくごく当たり前に行われてきたことだ。


「――いつまで寝てるの? 踏んづけるわよ」


 午前9時ごろ。

 間仕切りを隔てて隣の部屋で寝ていた母親が、起床するなり押し入れに布団を上げる。


 カーテンを開けて大きなあくびをすると、そこらじゅうに散らばった衣類を拾い集め、うるさい洗濯機を回す。

 電子レンジでトーストを焼いているあいだ、新聞を広げつつテレビの音量を大きくする。


「そろそろ甲子園が始まるけど、観なくていいの?」


 俺は、充電中のスマホをひっくり返して時刻を確認すると、枕に突っ伏して耳をふさぐ。

 蚊取り線香を焚いた網戸の外では、今日も今日とて、選挙カーが嫌がらせのごとく政治家の名前を連呼している。


 うちの母親は、ぱっぱと慣れた手つきでベランダに洗濯物を干したあと、たこ足配線のコンセントを取り回して掃除機をかけ始める。

 夏用の薄いタオルケットをめくられ、掃除機のヘッドでしつこく突っつかれるものの――俺は、枕を抱いたまま畳の上でごろごろ、ごろごろと寝転がる。


 午前10時30分。

 今日は天気がいいから布団を干すわよ、という身勝手な理由により、とうとう俺は寝床から蹴り出される。


「お母さん、これから買い物へ出かけるけど、何か必要なものはある?」

「今日のお昼ごろには荷物が届くはずだから、それまでは家にいてくれる?」


「それと、冷蔵庫に冷やし中華が入ってるから。間違ってレンジでチンしないでね」

「あんたも出かける時は、エアコンを消すのを忘れないでね。昨日の夜も、トイレの電気がつけっぱなしだったんだから」


「さっきから返事が聞こえないけど、ちゃんとお母さんの話を聞いてる? あと、車の鍵がどこにあるか知らない?」


 うちの母親は、ダイニングテーブルに小さな鏡を立てて台所で化粧をする。

 風呂場の手前にある洗面所だと、手狭で窮屈に感じるからだ。顔を洗って歯磨きする時などは、ドアを開けるだけで邪魔になることも多い。


 もうかれこれ十年来、母親と息子二人きりで住んでいる1LDKのおんぼろアパートである。

 鉄骨の外階段を上って二階の三号室にあるこの住まいを、俺は皮肉の意味も込めて、世界一小さな豪邸と呼んでいる。


「今日の晩ごはん、何がいい?」

「何でもいい」


「それが一番困るのよね」

「母さんが作るものなら、何でもいいよ」


 うちの母親は、玄関で靴を履いて外へ出ようとする間際、ふと足を止めて一度だけ家の中を振り返る。

 それじゃあ、行ってくるね――とドア越しに告げて、鉄骨剥き出しの外階段を下りていく。


 現在の時刻は、正午。


 俺は、冷蔵庫から作り置きの冷やし中華を取り出し、食品ラップを剥がしてちゅるちゅると麺をすする。

 お湯で茹でた中華麺とスープは即席だが、きゅうりの千切りや錦糸卵などの具材は手作りだ。


 山のように盛りつけた具のてっぺんに、へたを取ったミニトマトを丸ごと添えるのが我が家の流儀。

 チューブの練りからしやマヨネーズで味を変えて、最後に残った汁まで飲み干す。


 ――さて、午後からは何をしよう?


 一学期の終業式が終わり、夏休みに突入した当初は、これからは思う存分遊び尽くすぞと意気込んでいたのだが。

 八月も半ばごろに差しかかってくると、もはや何も思い残すことがないことに気づく。


 悟りの境地、とでも言えばいいのだろうか?

 俺は、部屋の壁に向かって手をつき、おもむろに逆立ちの練習を始める。あたかも忍者のごとく術を唱えつつ、倒れないようにバランスを取ってみたり。


 一体なぜこんなことをしているのか。それは自分自身にも分からない。

 そうして、とくにこれといって何もやることがないまま、午後1時を過ぎたころ。


 電柱ばかり立ち並ぶ住宅地の入り組んだ路地に、宅配便のバイクが止まる。

 聞き覚えのない足音を立ててアパートの外階段を上ってきた訪問者が、うちの玄関をコンコンとノックする。


 俺はこの時、よれよれのランニングシャツにパンツ一丁というだらしない恰好だった。

 しかし、いつも時間に追われている配達業者さんを待たせるのも忍びないと思い、はーいと返事をしながら慌てて玄関のドアを開ける。


「……来ちゃいました」


 目がくらむほど強烈な日差しが降りそそぐ、夏真っ盛りの昼下がり。


 千嵐小夜は、ドアが開くと同時に少しだけ後ろに引き下がり、おしゃれな感じの麦わら帽子を取った。

 しきりにハンカチで流れる汗を押さえつつ、ビニールひもで編まれたスイカをさも重たそうに持ち上げてみせる。

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