第4話

 死の前夜、果たして彼女は自身の肉体を受け入れただろうか。生きているだけで疲れ切ってしまった肉体を、死の、その向こう側へ連れ立つことを。


「ね、私どうせ死ぬのだったら朝がいいわ」


「どうして?」


「太陽が昇ってくるでしょう。そうして涼しい風が吹くでしょう。私の魂は太陽に焼かれるの。ちりになった私は風に運ばれて、遠くへ行くのよ。海に、山に、それから──」


 あなたのもとに。


 ……彼女にはもう、肉体など無いに等しいものだった。

 もし肉体が大切だったなら、彼女はもっと早い段階で救われていたに違いない。しかし敬虔な彼女は、荘厳そうごんに打ち立てられた大伽藍をぬらぬらとした愛や幸せで絢爛けんらんに飾るよりも、むしろ偶像を越えた朦朧体の夢へ、その身を焦がした。

 なら、彼女の魂は救われたのか。現実を諦めたその思慕は、理想によって報われたのか。


 彼女の声を聞いたのは、死の前夜だ。「夢を見ていたい」と、その切ない声を。だがその直後に死んだのかは知らない。彼女が希望通り朝に死ぬことができたのか、私は誰にも訊かなかった。


(白く煌々こうこうと輝く月を背に、彼女は擦り傷とあざに覆われた自身を滅ぼした。彼女に朝は訪れなかった。一生涯、彼女は救われないままだった)


 理由はないが、そうだろうと思った。


 ※


 読経は終わりを迎えようとしていた。遂に火葬が始まる。彼女は肥えた身体を捨て、すっかり空虚な遺骨となる。

 屍櫃からひつは閉ざされ、しっかりと封をなされた。大切そうに霊柩車に積まれた。


 ただ、あの棺の中に、もう骨は無いだろうと思われた。

 彼女の内に隠されていた骨は、彼女の秘密そのものだ。明かされることの無かった秘密は、重畳ちょうじょうの末、骨と結び付いて結晶化する。透明な石英の骨だ。

 焼いたくらいで手に入るものか。骨は彼女のものなのだから無くなって当然だ。

 支えを失った皮膚や内臓は、とろとろと、腐ったおりになって棺の底に溜まっているだろう。


 そう思い描くと小気味が良かった。何だか私の身体まで透明に固まって、彼女の下へ行けるとさえ思えた。

 そうして辿り着いた先では、私の凝り固まった結合は柔らかくほどけ、ただ一つに溶け合うに違いない。


 そのような確信は、私の卑小な悔恨かいこんによるものであった。

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前夜 宮永文目 @user_hyfh2558

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