第3話

 ──心ここにあらず、ただ処女をとめの夢のみを思う。


 彼女の好きだった詩を、その人は寂しそうに口ずさむ。

 すると、日は唐突に翳りを見せ、木々の隙間から疾風はやてを吹かせた。まるで口から漏れ出た詩句を攫っていくように、風は私達から彼女の痕跡を隠してしまった。


 その人は諦めたように嘆息した。所々縺もつれた毛が、風の余韻に揺れていた。小波さざなみのようだった。少し煩わしそうにしながら乱れた髪を整えると、その人は葬儀の方をちらと見た。

 しばらくして、その人はこう言った。


「彼女は最後に、何を思っていたのでしょう」


 ああ、それはまさしく鬼門であった。彼女の死を聞いた後、度重なり訪れた罪悪感のより一層巨大なものが、その質問の裏側に潜んでいた。


 私と彼女以外に、誰も知り得ぬことがある。それは幾分、自律的に出来上がった秘密であって、決して彼女との間に生まれたものではなかった筈だった。今、ここで打ち明けることも出来た筈だった。

 しかし、依然として秘密は私を捕らえたままである。


 私は思わず狼狽した。声にしようとすると、私の裡での僅かな引っ掛かりのために、阻碍そがいされてしまうのだ。言おうとして、そうすればする程、何も言えなかった。

 そうして明瞭さは失われ、その中で生まれた吃りは私に、あるひとつの幻想を呼び起こした。


 心の裡を擽るもどかしさは、肉感のある像に結びつき、また消えつつ浮かびつつ、花に囲まれた彼女の姿を形作った。

 滑らかな曲線によって、その白く清澄な像が一段とはっきりする。

 それは彼女ではあったが、ひどく象徴的な、まさに悲劇の様であった。

 現れたのは、彼女の白骨である。

 その一本一本が支え合って、密かな均衡を保ちながら、美しく、巨大な滅びの象徴として私を圧倒した。



 秘密は確かに罪悪以外で出来ていた。が、私はそれに何の名前を与えるべきか、分からないまま戸惑っている。判然としない懊悩は、それでも尚、寓意を孕んだ私の一部としてそこにあった。

 私はこの苦しみを一生背負わなければならない。この重みを一生抱えなければならないのだ。


 また顔を伏せた私を、疑問に思ったに違いない。覗き込むようにして私へと問いかけてくる。


「私、ずっと不思議に思っていたんです。何故彼女が……」


 私はその人の目を見た。まだ潤いの残った瞳は、ひしとこちらを見つめていた。


「何故? 何故って──」私の声は震えていた。段々と血の気が引いて、力が抜け落ちていくのを感じていた。

 しかし、それでもわだかまりだけは抜けず、いた空白を埋めるかのように身体の隅まで充満した。

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