第32話 それがこれからに続いて行く瞬間だったのです

「あんたってお姉ちゃんの事好きだったの?」






 「………………どう…………なんだろうな」






 四月下旬の放課後。圭吾は紫と一緒に帰っていた。




 校門前で文庫本を読む紫に圭吾が声をかけて一緒に帰るのは何日も続いている。




 もう日課と呼んでいいレベルだろう。圭吾にとって校門前の紫に声をかける事は違和感があったが、それが自然になるまで時間はかからなかった。




 まあ、圭吾が校門前で立っている紫を無視して通り過ぎようとすると「何無視しようとしてんの?」と、声無き声で睨み付けてくるから二人で帰るようになったのだが。






 「自分に好きな気持ちはあったかって言われると…………わからない」






 圭吾はこうしていつも紫と下校する事に不服は無い。




 きっかけは無理矢理からだったが、どうせこの後は市川スワローで合流か、霧島家に招集されて特訓かの二択になるのだ。それなら圭吾としてはさっさと紫と会って、この後の予定を決めた方がいい。圭吾の行動決定権は師である紫が強く持っているのだから。






 「姉ちゃん見てたらドキドキしてたけど………………それが好きかって言われると断言できないんだよな…………憧れている、って言った方がいいのかもしれないし…………」






 「………………そう」








 圭吾と紫は中学二年生。








 その四月はもう終盤のため、あと数日でやってくる連休に多くの生徒が心躍らせている。昼休みや授業の合間に聞こえてくる話し声がその証拠だ。学校の授業に出なくていい休日の喜びは、学生にとって至極当然の事で必然である。それに、学校が無ければ、それだけ己のやりたい事に時間を費やす事ができるし、それはどれもが授業よりも優先したい事だ。






 「というか、そのドキドキってそれだけじゃないでしょ? お姉ちゃんのエロエロ妄想も入ってるわよね? 男子なんだからそのくらい考えちゃってるでしょ? 考えない方がおかしいし」






 「え? いや、まあ………………その…………そりゃ…………まあ…………そりゃねぇ…………ええと…………少しくらいは…………うん」






 「……………………」






 「…………別にお前に対して思った事は無いが?」






 「私の視線を勝手に判断するのやめて欲しいんだけど?」






 それは当然、同じ学生である圭吾にも当てはまっている。授業が無ければ、その分格闘ゲームをやる事ができるからだ。圭吾はいつの日か必ず紫を倒すと決めているため、そのための時間を欲している。




 強くなるためには目標を突破する必要があり、その目標が圭吾にとっての紫だ。




 既に五百連敗以上もっとかもしているが、いずれ得る一勝を求めて圭吾は練習と本番をやり続けている。






 「そういや、もう姉ちゃんの事は落ち着いたのか? 色々、忙しかったんだろ?」






 「ん、そうね。この間四十九日が終わったから、次に親戚達が集まるようなのは一周忌だろうし。もう大がかりなモノはしばらくの間無いわね。まあ、忙しいって言っても、子供の私ができる事なんてあんまりないんだけど」






 「…………そうか」






 「だからってワケじゃないけど、お姉ちゃんのお墓掃除は私がずっとやるつもり。元々やりたかった事でもあるし」










 由良が死んでから、もう二ヶ月が経とうとしている。










 そう、もう由良の死から二ヶ月だ。






 「姉ちゃんの墓掃除、たまにオレも付き合っていいか?」






 「勝手にすればいいわ。私はどっちでもいいし」






 だが、まだ二ヶ月とも言える段階だ。少し心配気味に紫の近況を聞いてみた圭吾だったが、それは完全に要らぬ心配だった。






 近況をあっさりと話す紫は、見る人によっては軽薄な妹と判断されるのかもしれないが、そうでない事を圭吾は知っている。




 ――――――――さすがに由良の死に立ち会った時や、葬儀の時はショックや何かしらの思いはあっただろう。




 だが、それを引きずっている様子は無い。忘れる事はなくとも、それを原因として暗く沈まない強さを紫は持っていた。








 そして、それは圭吾も同じだ。






 「別に…………さ…………」








 由良の死によって流れる涙は、圭吾も紫も流し終わっている。








 「…………お姉ちゃんが好きって………………思い続ける必要は無いと思うの」






 「…………ん?」






 紫の不意打ちのような話題に、圭吾は思わず声を漏らす。




 隣を見ると、紫は俯き圭吾と視線を合わせないようにしていた。圭吾を見ずに話し続ける姿は、やたらソワソワと動いており落ち着きがない。一体何を話そうとしているのだろう。






 「好きになったのはお姉ちゃんの方なんだし、それはお姉ちゃんの勝手なんだし…………そこにアンタは関係ない。お姉ちゃんの気持ちはお姉ちゃんで、アンタの気持ちはアンタに決まってるの」






 「あ、ああ? うん…………そうだな…………?」






 紫が言わんとしている事が読み取れないため、とりあえず圭吾は頷いておく。






 「だからさ………………アンタはアンタのこれからの気持ちを持ってていいの。死んだお姉ちゃんの事を思い続ける事はなくて、もちろん気にかける必要も無くて………………例え、あんたがお姉ちゃんの事を好きだったとしても、それはもう過去の事になるんだもの。想い続ける必要は無いわ」






 「…………………………」






 「それじゃ幸せになれないし、いつまで経っても解決する事もない。いや、まあコレはアンタがお姉ちゃんの事を好きだったらの話なんだけど」






 「…………………………」






 「だからその…………アンタのお姉ちゃんを思う気持ちにハッキリした答えが出たりしたら…………その時は振り回されないでよね。今は平気で何ともなくても………………いつの日かお姉ちゃんの事で苦しむのはやめて。お姉ちゃんがアンタの決断に関わるような事態は…………絶対にね…………」






 「…………もしやお前」






 聞いていると、紫が何を言いたいのかだんだんわかってきた。




 察せてきた。




 きっと、これは誰だろうとわかる事に違いない。






 「オレのこれからの恋を心配してくれてるのか?」






 「――――――――ッ! そこはわかってても黙っておく所でしょうがッ!」






 デリカシー無く答えた圭吾に、紫は容赦の無い拗ね蹴りを見舞おうとするが。






 「あだッ!?」






 攻撃すべく振りかぶった瞬間、何故か足を滑らせてしまい盛大にコケた。びたーんと擬音が聞こえるような派手っぷりで、その自爆した紫の様子はかなり痛々しい。




 慌てて圭吾は紫を抱き起こす。






 「だ、大丈夫かよ…………お前、顔から盛大にいったな…………」






 「も、問題ないわよ………………慣れてる事だもの…………」






 「慣れてるのかよ。いや、まあ慣れるか…………」






 由良が他人である圭吾に言うくらい心配していた紫の欠点がコレなので、当の本人は慣れるくらい体験しているだろう。痛がりながらも、何処か諦めているというか、悟りのようなモノが見える。






 「…………ありがとな。素直に嬉しいよ」






 「…………別にお礼を言われるような事なんか言ってないわよ」






 抱き起こされた後、紫はコケたせいでついてしまった衣服の汚れを叩いて落とす。






 「お礼なら、いつか何処かの大会で優勝した時にでも言いなさい。紫様に二万連敗したおかげで勝てましたって。みっともなく涙を流しながらね」






 「二万で足りるのか?」






 「足りないわね」






 「おいッ! そこは驚くボケが必要なとこだぞ!」






 「あ、もう奈菜瀬ちゃん待ってるみたいよ」






 「無視するなよ!」






 「本当に無視しない方がいいの?」






 「…………すいません。無視してくれた方がボクの心は傷つきません」






 この後は、以前圭吾と紫が気まずく出会った路地で奈菜瀬と会う予定になっている。




 だが、奈菜瀬は既に待機していたようだ。路地が見えると同時に奈菜瀬の姿がそこに見える。






 「お姉様! お兄様!」






 奈菜瀬はランドセルを揺らしながら嬉しそうに走り寄ってくる。




 その格好と満面の笑顔は見る者の保護欲を存分にかき立てるため、ある意味殺人的だ。




向かってくる奈菜瀬を全身でキャッチしないヤツはいないだろう。無視できる人間がいるなら、それはきっと宇宙人とかそういう存在に違いない。






 「ごめんね奈菜瀬ちゃん。待たせちゃったね」






 「いえ、お姉様と一緒に行きたかったですから。あ、もちろんお兄様もですよ?」






 奈菜瀬が走ってきたら、それは紫に抱きつく合図だ。もうすっかり慣れた光景である。紫がいなければ圭吾に抱きつく事もあるのだが、最近は紫と一緒に会う事が多いのでめっきり減っている。






 「……………………」






 「…………お兄様どうかしました?」






 「…………やっぱ間違いなく犬だな」






 「はい?」






 「いや、なんでもないぞ奈菜瀬よ。今日も青空が眩しいなぁ。この青空が全人類の心にあればどんなに平和になる事だろう」






 「は、はぁ…………そうですね」






 奈菜瀬は別に気にしていないのか気づいてないのか。圭吾が発言を誤魔化そうとしている事に違和感は無いようだった。






 「ふふふ」






 「どうしたの奈菜瀬ちゃん? ご機嫌みたいだけど?」






 「いえ、こうしてお姉様とお兄様が一緒にいるのが嬉しくて、顔が緩んじゃうんです」






 「別にアレはケンカしてたワケじゃないぞ」






 「私はあんたが望むならいつでもしてあげるけど?」






 「ええ? なんでオレはケンカ売られてるの?」






 「ケンカ売る? 勝手な勘違いしないでほしいわね。下等生物に話しかけてるだけなのに」






 「下等生物いただいちゃったよ。いただいてしまったぞオイ」






 「ふふふ。いつものお姉様とお兄様で安心します」






 「奈菜瀬………………お前、このやり取りに問題はないというのか…………」






 最近になって圭吾と紫の仲が以前と同じに戻り、それを奈菜瀬は我が事のように喜んでいた。




 二人は別にケンカしていたワケではなかったが、仲が自然消滅するような危うさはあった。そのため二人の事を考えると気が気ではなかったのだろう。




 誰に言われずとも一番最初に圭吾と紫にできた溝に気づいたのは奈菜瀬で、その溝がなくなった事に一番喜んだのも奈菜瀬だった。






 「では、今日もスワローへゴーです! ゴーゴー!」






 「今日の奈菜瀬ちゃんテンション高いわね。良いことあったの?」






 「ふっふっふ。よくぞ聞いてくれました紫お姉様」






 圭吾と紫と奈菜瀬のやっているゲームはレジェンディアドレッドであり、それは市川スワローで多く稼働している。




 そのため、三人が今日のように学校帰り一緒になって市川スワローに向かう事は珍しくない。




 さすがに中学校と小学校では放課後開始がよくズレるので、常に路地から一緒というワケでは無いのだが。






 「ハヌマーンに新しい発見があったのです! 今日はちょっとそれを試そうと思っていまして。もしできたら、少しだけ紫お姉様の強さに近づけると思います!」






 「お、それは楽しみね。期待してるね」






 「あ、それでなんですが…………お姉様からもアドバイスが欲しくて…………ずうずうしかもなんですけど…………」






 「遠慮する事なんかないわ奈菜瀬ちゃん。私なんかいつでも頼っていいんだから」






 「あ、ありがとうございます…………光栄です…………」






 「奈菜瀬ちゃん、もっと砕けた言い方で話してくれていいのに。堅苦しいでしょ?」






 「そ、そんな事ないです! これは反射と言いますか、こっちの方が自然体といいますか…………」






 「それならいいんだけど。私としては、別に改まった態度をしてほしいなんて思ってないからね。頼れるお姉さんでいたいからさ」






 「は、はいッ!」






 ニッコリと笑いかけながら頭を撫でる紫に、奈菜瀬は顔を赤くしながら明るく元気な返事をする。




 頭を撫でられている奈菜瀬は気持ちよさそうに顔が緩んでおり、それは再び圭吾に「犬だな…………」の印象を強くさせた。






 「……………………」






 「何よ? ジロジロ見てくるのやめて欲しいんだけど?」






 紫と奈菜瀬のやり取りを黙って見ていた圭吾に、紫は羽虫でも見るような視線を向ける。






 「…………良いヤツだよなお前って」






 「……………………は? え? は?」






 突然褒めてきた圭吾に、かなり紫は動揺する。






 「い、言っとくけど、私はいつでも良い人なんだけど? 勘違いしないで欲しいわね。当たり前の事なんだから」






 「…………そうだな。お前の言う通りだ」






 「……………………おかしいわね。想定していた返事と違う言葉が来たんだけど」






 いつもと違う圭吾の反応に紫は少し拍子抜けしてしまう。普段ならここで茶番会話が始まるはずなのだが、何故か圭吾はやり取りをスルーしている。






 「奈菜瀬も良いヤツだ。お前みたいなヤツって他に何人いるんだろな。いや、別に他の小学生を差別してるワケじゃないが」






 「え? あ、ありがとうございます…………?」






 圭吾の言っている事に奈菜瀬は困惑するが、褒められているのは間違い無いのでペコリとお辞儀した。その際、奈菜瀬は上目遣いで圭吾を見たが、圭吾は奈菜瀬に視線を合わせていなかった。




 何か考え事をするように、その目はここを見ていない。






 「…………圭吾お兄様?」






 「…………ん? ああ、別に何でも無い何でも無い。ちょっと思い出した事があっただけだ。大丈夫だよ」






 「…………思い出した事ですか?」






 不安というよりは不自然なのだろう。




 それは奈菜瀬だけでなく紫も同じだったが、圭吾は「なんでもない」と手を振った。そのすぐ後、足を速めて二人の前を歩きはじめる。






 「…………オレさ。姉ちゃんに会えた事をよかったって思ってるけどさ」






 そして、紫と奈菜瀬のいる後ろを振り向き、目を逸らさずに告げた。






 「お前達に会えた事も…………それと同じぐらいよかったって思ってるよ」








 さっき圭吾が思い出した事。




 それは由良が言っていた事だった。














 ゲームって“良い人達だけが続けられる世界”なの。














 最後の思い出となったあのデパートで、由良は圭吾にそう言っていた。




 そう言ってくれた。






 「まあ、なんていうか…………これからもよろしく頼む」






 圭吾がやり続けようとしている格闘ゲームは競技スポーツだ。




 競技スポーツである以上、そこには強さがあり、それは上に行けば行くほど限りある才能の持ち主だけが続けられる世界になっていく。




 勝とうとするなら、それは当たり前にやってくるモノで、その試練は連敗として襲ってくる事だろう。




 その敗北とは単純な結果かもしれない。事情や決断での敗北かもしれないし、精神や思考の敗北なのかもしれない。




 格闘ゲームは一人で行う競技スポーツだ。その戦場にいる時、頼れるのは自分しかいない。自分で考え、自分で決めて、その結果で生まれる事に自分が耐えねばならない。




 故に勝つ事は嬉しい。だが、それ以上に負ける事は大きなダメージとなってしまう。




 それは、続いていくと呪いや憎悪に変わる不純物となっていく。やがては自身を滅ぼす毒薬にまでなっていく事だろう。




 格闘ゲームに限らず、勝ち負けの世界とは人間を容易に変質させる。どんなに黄金のような光を持った人物でも、闇に染まるのはいとも容易く行われてしまうのだ。






 たった一試合で何もかも変わる事がある。






 それは競技スポーツなら誰にでもいつか必ずやってくる。






 「…………私はお姉ちゃんから頼まれてるの。あんたから言われなくても、よろしくやってあげるわよ」






 「そ、それはこっちの台詞でもあります! これからもよろしくお願いします圭吾お兄様!」






 だが、戦うのが自分一人だけでも、その周囲に“良い人”がいるなら――――――――――きっと襲い来る闇に耐える事ができるはずだ。




 自分が変質しようとしても、自分を知る人物達がいるなら踏みとどまる事ができる。




 なぜなら、その人物達は自分を覚えてくれているからだ。なら、変質に気づく事ができるのは当然で、それが“良い人達”なら変質を止めてくれるのも当然だ。






 「…………ありがとな」






 圭吾は格闘ゲームを始めたばかりだ。なので、まだ色々と知らない身である。




 これから先、次々と恐ろしい敗北が圭吾に襲いかかって来る事だろう。自身を変質させるような出来事が起こり、悩み挫けそうになる事だろう。




 だが、圭吾には“良い人”がいる。由良の出会いから始まってできた“良い人”が圭吾にはいるのだ。




 そして、その“良い人”はこれからも――――――――きっと格闘ゲームを続けていけば出会える事だろう。






 「ていうか、さっきから何なのよ? キモいんだけど?」






 「お、お姉様…………キモいは言い過ぎでは…………いや、キモいのはたしかだと思いますが…………」






 「奈菜瀬よ…………相変わらずフォローになってないフォローがうまいね…………」






 市川スワローに着けば、きっと紫からは対戦の文句を言われ続け、奈菜瀬には良い試合になりそうでも一勝する事はできないだろう。




 圭吾は今はそうであっても――――――――――――いつか、由良の七連覇を塗り替える目標を達成するために。




 由良を超えるプレイヤーになるために。




 六十分の一秒ワンフレームを己のモノとするために。






 「おっし! 今日こそスーパーアーサスラッシュを決めに行くぜ!」






 格闘ゲームを続けていく。 

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