№01・レアアイテム図鑑・3
翌朝、目覚ましが鳴るきっちり5分前に目覚めると、南野は仕事に行く準備を始めた。いくら成績が悪くても簡単にクビにされないのは、こうして毎日皆勤しているためだった。仕事など、南野にとってはコレクションを充実させるための資金源でしかないのだが。
『城』の掃除を終えて身支度を整えると、南野はいつも通り駅へと歩いて行った。まだ学生も歩いていない早い時間、開いているのはコンビニくらいだ。
駅へと続く歩道橋を上り、てっぺんまでたどり着いたそのとき。
ふと、眼下の道路を例のヒヨコのキャラクターが描かれたトラックが通り過ぎていくのを目にとめた。
ついつい目で追ってしまい、注意がおろそかになる。
とん、と背中を押されたのはそんな瞬間だった。
「……あ……」
足元がふらつき、なすすべもなくからだがかしぐ。視界に映るなにもかもがスローモーションで過ぎ去っていく。そういえばこの階段かなり長かったなと思い出しながら、南野はゆっくりと落下していった。
その一瞬の走馬灯のなか、ふと視界の端に赤を認める。鮮烈な、鮮烈な赤だ。あれは、女性のワンピースなのだろうか。それとも微笑む口紅の色だろうか。自分の背中を押した女は、『赤』という特徴が際立ちすぎていて、その他の特徴に目が行かなかった。
もっとも、落下する間の出来事だ、とっさのことすぎて『笑っている赤い女』以外の情報は得られなかった。
そろそろ頭をぶつけて死ぬ頃合いか、と衝撃にからだをすくめていると、見上げていた空の色が赤一色になった。さすがに目を丸めていると、空の色は一瞬で澄み渡るような水色に変わった。
……ぽすん。
死ぬほどひどい衝撃を覚悟していた背中になにかが触れる。どうやらやわらかいなにかに着地したらしい。運がいい、と手をついてからだを起こす。
「…………あれ?」
明らかな異常に気付いて、上半身を起こしたまま辺りを見回した。
そこは駅前のアスファルトの上ではなく、広大な草原だった。秋というよりも春めいた風がそよそよとさわやかに吹き抜け、草花を揺らしている。草原は森に囲まれており、時折鳥や虫が鳴いていた。頭上には太陽が輝いていて、これがピクニックならば相当良いお日柄だっただろう。
しかし、南野はたしかに会社に行くために駅へと向かっていたはずだ。駅前にこんな場所はない。そもそも、南野は階段から落ちたわけであって……
「……どういうことだ?」
南野なりに混乱している間も、小鳥たちはさえずり、太陽はぽかぽかと輝いている。自分の置かれている状況の不可解さと周りののどかさに圧倒的なギャップがあり、それがなおさら混乱を倍増させた。
とにかく立ち上がってみる。さいわいからだにはどこにも異常はなく、痛みはなかった。さくさくと草地を踏みしめると、たしかな感触が返ってくる。これは夢ではないらしい。
「……死後の世界?」
だとすると、これから安物のスーツから白装束に着替えるのだろうか。というか、アパートに置いてきたコレクションはどうなるのだろうか。見るものが見なければ二束三文にもならないガラクタばかりだ、きっと処分されてしまう。それだけはあってはならない。
「そうだ、とりあえずアパートに帰ろう」
そうなれば話は早い、いつまでもここにいるのは得策ではないだろう。まずは森を抜けようと南野は草原を後にして森へと分け入っていった。
アマゾンの大秘境を想像していたのだが、森は意外と歩きやすかった。獣道のような誰かが歩いた痕跡があったからだろう。それを頼りにして歩いていれば、おそらくはどこかに出る。だれかしらいるだろうから、そのひとに道を聞けばいい。
しばらく獣道をたどっていると、やがて視界が開けた。
森を切り開いたらしいそこには、古びたロッジが一軒建っている。
「本当、ここどこなんだ……?」
その疑問はいったん置いておくことにしておこう。とにもかくにもひとはいる。おそるおそる扉に近づくと、南野は軽くノックをした。
「すいませーん、ちょっとお尋ねしたいのですが……」
「うるさい! もうちょっと寝かせんか!!」
返ってきた怒号に目を白黒させる。女性の声だ。寝起きなのか少しかすれていた。
しかし、ここで寝てもらっては困る。なにせ近隣にはこのロッジしか民家がないのだ。南野は根気強くノックを繰り返した。
「お休みのところすいません、少しでいいのでお時間いただけませんか?」
「…………」
「あのー?」
「……ぐぴー……ぐぴー……」
いびきが聞こえてきた。これはいけない。寝かせるものかとさらに強くドアをノックする南野。
「ちょっとでいいんで! お話だけでも! 俺、駅前の方から来たんですけど、気付いたら森の中にいて! ここどこですか!? アパートに帰りたいんですけど、道を教えてください!」
「……ぐぴー…………ふがっ!? なんじゃと!?」
いびきから一転、裏返った声が聞こえると、室内からどたばたと騒がしい音が聞こえてきた。どうやら家主の目は覚めたらしい。ほっとしていると、ドアが勢いよく開いた。外開きだったので、南野の顔面を見事にドアが直撃する。
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